目が覚めたら、家ごと砂漠に引っ越ししていた件

ミトイルテッド

第1話 一日目

 日曜日の晩はいつだって寝つきが悪い。明日から始まる仕事漬けの日々を想像してしまい、どんどん気持ちが落ち込んでいく。僕はため息をついて、ベッドサイドに置いてあるウイスキーをぐびりとやった。こうでもしないと眠れないのだ。酒が睡眠薬代わりになったのはいつからだろう。

 一人には広すぎるキングサイズのベッド。隣にチサトの姿はない。きっと自分の部屋でパソコンでもいじっているのだろう。寝るときは別々。いわゆる家庭内別居というやつだ。仕事で家を空ける時間が長すぎたのかもしれない。飼い猫のリクですら、最近ではチサトにばかり懐いてしまい、一緒に寝てくれることもなくなった。

 はあ。ため息をついて寝がえりをうつ。ただただ寂しい。

 ごうごうと風の音が響いていた。寝室の窓から覗く木々が折れんばかりにしなっている。嵐でも来ているのかな。明日は電車が止まって会社が休みになればいいのに。




 ――翌朝、目が覚めると、僕の家は砂漠のど真ん中に引っ越ししていた。


 慌てて飛び出して外の様子を伺うが、見渡す限りの砂の世界。おーい、おーいと叫んではみたものの、その声は虚しく砂地に吸い込まれるばかりだった。電気も通じない、水も出ない。ましてやインターネットにも接続していない。

 さあ、これはとんでもないことになったぞと、僕はチサトの姿を探した。チサトはキッチンで猫のリクに朝ご飯を与えているところだった。


「チサト! 呑気に餌なんてあげてる場合じゃないよ。外は見た? なんか砂漠みたいなところに移動しちゃってるんですけど!」

「ほら、電気だって通じてない」


 僕はテレビのリモコンのスイッチをカチャカチャと押し、続けてスマートフォンの圏外という表示をチサトに見せた。

 

「あらあら、それは大変ねえ」

「大変ねえって……それだけ?」


 どこか抜けたところのある女だとは思っていたが、まさかここまでだったとは。


「だって、水も出ないんだよ!」

「水ならあるわよ。緊急時のために食べ物だって買い置きしてあるし……」


 そうだった。僕も一緒に買いに行ったんだった。あれだけの量があれば、二人なら数週間は持つはず。


「と、とにかく! 僕はこれからもう少し遠くまで様子を探りに行ってみる。危ないからチサトは外に出ないように。そうだ、たしかクローゼットに古いラジオがあったろう。ラジオの電波なら飛んでいるかもしれない。チサトはそっちを調べてくれ」


 僕はリュックサックにペットボトルの水と少しの携帯食を詰め、念のため寝室に置いてある護身用の木刀を持って出かけることにした。チサトが玄関まで僕を見送りにやってくる。


「いってらっしゃい。気をつけてね」


 半開きのドアの隙間からリクがちょこんと顔をのぞかせている。なんだか会社に行く時とまったく同じでまるで緊張感がない。


「ああ、行ってくる。チサトも用心して。必ず帰ってくるから」


 あらためて家のまわりを一周してみるが、どう見ても砂漠だった。はるか遠方にひときわ背の高い砂丘が見える。あれに登ればもっと先が見渡せるに違いない。僕は砂丘の頂上を目指して蟻のようにゆっくりと進んでいった。

 結論から言うと砂丘の向こうには何もなかった。想定していた何倍もの時間をかけて、必死になって頂上まで登り切ったが、地平線の果てまでただ砂漠が広がっているだけだった。

 いったい何が起きたのか。ありとあらゆる可能性を考えてみたが答えはみつからない。僕は暗い気持ちで家へと辿り着き玄関の扉を開けた。もうへとへとだった。


「おかえりなさい。随分遅かったのね。どうだった?」

「駄目だった。どこまで行っても砂漠だったよ」

「そう……。私もラジオをつけてみたけど、どこにも繋がらないみたい」

「やっぱりか。ああ、なんでこんなことになっちゃったんだろう」


 僕はがっくりと肩を落とし、ソファのへりにもたれかかった。

 

「そうね。でも、くよくよしていてもしょうがないじゃない。少し早いけど晩ご飯にしちゃおうか。このままだと冷蔵庫のものが駄目になっちゃうし……。よし、今晩はすき焼きにしよう」

「あなたはリクにご飯をあげておいてもらえる?」


 どうしてチサトはこんなにも平然としていられるんだろう。僕は不思議に思いながら、戸棚から猫用の缶詰を取り出した。プルタブを引くぷしゅっという音に反応して、全速力で駆け寄ってくるリク。早く食器に盛り付けろと言わんばかりに、みゃおーみゃおーと鳴いて催促する。


「お前は気楽でいいよな」


 満足そうに餌を頬張るリクの頭を撫でながら僕はため息をついた。

 キッチンからはトントンと野菜を切る音が聞こえてくる。そうか、今日はすき焼きだったっけ。コンロを用意しないとな。僕はテーブルの上をふきんで拭いて、ガスボンベをカセットコンロにセットした。そういえば、お腹もペコペコだ。


「さあ、できたわよ。食べましょう」


 いつもと変わらない食卓。ぐつぐつと煮える鍋を挟んで、僕たちはすき焼きを食べた。これからどうしようという会話もあるにはあったが、どうすることだってできやしないのだ。きっと僕たちはこれからもこうやって生活を続けていくしかないのだろう。

 食べ終わり、食器をシンクへと運ぶ。


「水が出ないから食器も洗えないのね。困ったわ」


 キッチンで独り言を呟くチサト。僕はソファに深く腰掛けて、真っ暗なテレビ画面をただぼんやりと見つめていた。頭に浮かんできたのは、すき焼き美味しかったなあという感想だけだった。


「ちょっとあなた、すごいわよ。外に来てみて」


 玄関の方から僕を呼ぶ声が聞こえる。何事かと駆け寄る僕にチサトは空を指さして言った。

 

「ほら、見て。すごく綺麗な星空」

「ほんとうだ……」


 見上げると、そこには数えきれないほどたくさんの星があった。それぞれが赤、青、黄色にキラキラと輝いていて、まるで夜空いっぱいに散りばめられた宝石のようだ。


「そういえば、こんな星空の下で眠るのが夢だったんだよなあ」

「あら、そうだったの。それならせっかくだから外で寝ましょうよ」


 突然のチサトの提案に少々面食らったものの、僕たちは二人で力を合わせてキングサイズのベッドを寝室から庭へと運び出した。


 枕を並べて横になる。二人はしばらくの間、ただじっと星空を見上げていた。いくつもの流れ星が夜空を駆けていく。

 僕たちはどちらからともなく手をつないでいた。 


「これからどうしたらいいんだろう。チサトは怖くないの?」

「怖いに決まってるでしょ」


 振り向くと、すぐ近くにチサトの顔。目が合った。こんなに至近距離で見つめ合ったのはいつぶりだろう。


「ねえチサト、キスしていい?」

「500円」

「わかった。後で払うよ」


 昔はお決まりだった冗談を交わし、僕は久しぶりにチサトの唇にキスをした。

 

「あのさチサト、なんか……ごめんね」

「どうしたの急に?」

「なんだろう。よくわからないんだけど、急に今までのことを謝りたくなった」

「変な人。でも、いいよ。許してあげる」


 風一つない夜。砂漠には静寂だけがあった。

 

「ねえ」


 少し悲しそうな困ったような表情でチサトが言った。


「私も。ごめんね」


 僕はつないでいた手を手繰り寄せて、彼女をそっと抱きしめた。

 夜空には大きな満月がぽっかりと浮かんでいた。




――その夜、僕の夢に神様が現れた。


「ほっほっほ。さて、次はおぬしの番じゃな」 


 大きな杖を持った真っ白い髭のお爺さんだ。

 

「あの、もしかして……あなたは神様ですか?」

「さよう。それっぽい格好をしておるじゃろう」

「はい。なんとなく神様ではないかと思いました」

「うむ。話が早くて実に結構」


 満足そうに頷いている。


「昨日はそちらの女の願いを叶えてやった。今度はおぬしの番。そういうことじゃ」

「え、昨日はチサトの願いを?」


 いったいどういうことだ。


「昨日はそちらの女の夢に現れて、世界を望むかたちに変えてやったのじゃ」


 そんな馬鹿な。この世界はチサトが望んだものだっていうのか。 


「信じられない……」


 チサトが家の外を砂漠に変えた? おかげで街も、人も、僕たちの住む家以外のなにもかもが消えてしまった。

 

「チサトはそのことを覚えていたのでしょうか?」

「覚えてはおらぬ。おぬしもこの夢が覚めれば、わしのことなどすっかり忘れておるじゃろう」


 そうだ。チサトはそんな素振りなんて一切見せていなかった。


「どうしてチサトはこの世界を砂漠に変えたのでしょうか?」

「ほう。それを知ることがおぬしの望みで良いのかのう」

「ま、待ってください。ちゃんと願い事を決めますから、もう少しだけ時間を下さい」


 僕は考えた。世界を砂漠に変えてしまったチサトの気持ちが知りたかった。

 わからない。でもきっと彼女は幸せではなかったのだ。だから世界を変えたんだ。僕はどうだろう。果たして幸せだったと言えるだろうか。僕の毎日、僕の生活、僕の人生。僕はなにを目指していたんだろう。いったい何になりたかったんだろう。

 ……うん、そうか。そういうことだったのか。僕はなんとなくチサトの気持ちがわかったような気がして嬉しくなった。どうして今まで気づかなかったんだろう。


 僕は願い事を決めると、神様に叶えて下さいとお願いした。




「あなた、起きて。大変よ!」


 ――翌朝、ただ事ではない様子のチサトの声に僕は目を覚ました。


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