最終話 Hello,my friends

「着いた……のかな?」

「そうみたいだぜ」

 アリッサとジローは樹の根元まで近づいて、見上げた。天を貫くような威容に、ため息が出る。

 最初に樹が見えてから恐ろしいほどの距離を走った。

 想像以上に大きい。化け物じみた樹だった。

「……これが<最果ての樹>かあ」


 まるで数十本の樹が絡み合っているような――それも一本一本が巨大だ――まるで森そのもののような太さの幹だ。

 そっと触れてみる。さわさわ、と中に力強い魔素マナが流れているのがわかる。

 幹を見ていて、アリッサはふと気がついた。ナイフで彫られている文字、それは……。

 <やっと着いた!! ――ホリー・エヴァンス>

「この名前……じゃあ唯一到達したうちの学校の生徒って、エヴァンス先生!?」

 ぷぷっ。

「なに笑ってんだよ」

「べつに。まったく、何してんの先生……」

 アリッサはその下にナイフで文字を彫った。

<あたしも着いたよ! ――アリッサ・メイフィールド>


「――よくここまで来ました、二人とも」

 気配はなかった。

 驚いて振り向いた二人の前に、女性が微笑んでいた。

 いったいどこから現れたというのだろう。魔法を感知すらできなかった。

 圧倒的な美しさとオーラが感じ取れる。しかしどこかで見たような……。

「ポラリスさん!?」

「いえ、違います。私はナヴィガトリア。ポラリスは妹ですわ」

 そういえばヴォルトが言ってたっけ。彼女らはだと。

「あの……キノスラさんもいるんですよね」

「今どこにいるのやら。しばらく会ってないからちょっと居場所まではわからないわね」

「そうですか……あたしはアリッサ、こっちはジロー。あ、あの、なんでも願いが叶うというのは本当ですか?」

「本当ですよ。ただし――」

 それまでの微笑みが一転、真剣な表情になる。

「願いはひとつだけ。そして、願いが聞き入れられると<ルート000>のことは忘れてしまいます。それがルールです」

「記憶がなくなるってことですか?」

「そう何度も願いが叶えられるのなら、夢に向かって努力する人なんていなくなってしまうでしょう?」

「それはそうだけど……」

「全部の記憶がなくなるわけではないから安心して。ここへ来るまでのほんの一部だけですよ。帰りはポラリスの店、<アルフヘイム>までは私が責任もってお送りしますのでご心配なく。そこから先はポラリスがどうにかするはずですから」


「じゃあ俺が先だっ!」

 突然ジローが言い出した。

「別に順番なんかどっちでもいいじゃない。どうせあんたの願いってモテたいってことでしょ」

「いいや。これだけは譲れねえ」

 ちっちっとジローは短い指を振ってみせた。なんか知らないけど、アリッサは妙にムカついた。

 ジローがひょこひょこと歩いていった。

 膝をついたナヴィガトリアに何やら耳打ちする。

「わかりました。では樹に触れて、その願いを言ってください」

 ジローはその通りにした。とたんジローの全身が金色に光り輝いた。すぐに光は消えたが、そのままこてんと後ろに倒れる。

「ジロー!?」

 アリッサが近づいてみると、が聞こえた。単に寝ているだけのようだ。

「大丈夫です。夢の中で<ルート000>に関する記憶を整理し、消去します。何も害はありません。ではあなたの番ですね、アリッサ」

「あたしの願いは――」

 ナヴィガトリアが静かにうなずく。

 アリッサは樹に手のひらを当てた。願いを呟くと、樹から大量の魔素マナが流れ込んでくる。内側から光っているのがわかる。自分の身体が風船になったようだった。大きく膨らんで、破裂する――。

 幻か。

 自分はただ、そこにいた。

 光が消えてしまうと、アリッサはその場にへたり込んだ。

「……あれ? 眠たくならない?」

 自分の願い。ナイトウォーカー2000のこと。旅の途中のあれこれ――ヴォルト。

「あたし、ぜんぜん忘れてない! なんで!?」

 ナヴィガトリアが微笑んだ。

ですよ」

 そう言って、静かに話し始める。



「――どうしてそんな願いを? 異性にもてるようになる、のはいいんですか?」

「旅をしててさ、いろんなことあったけど――とっても楽しかったんだ。どっちも憶えてないんじゃ、淋しいじゃねえか。もてる方は自前でなんとかするさ」

「あなたの記憶の方は消えますけど、それでも?」

「あいつが憶えててくれれば充分だ。頼むぜ」

「――あの子が好きなのね」

 ジローは笑った。

「まあ、友達としてな。それに――」

「それに?」

「あいつには忘れたくない人がいるみたいだからよ」

「わかりました。では樹に触れて、その願いを言ってください」



「馬鹿ね、こんなときにいいカッコしてんじゃないわよ。いっつも名前間違えるくせに、こんなときだけ――」

 アリッサは寝ているジローをぎゅっと抱きしめた。

 ジローが目を覚ます。きょろきょろと首を振り、アリッサの顔をまじまじと見た。

「ここどこだ? あんた誰?」

「あたしはアリッサ。あなたの友達よ」

「憶えてないけど、どこかで会ったような気がする――おい、泣いてんのか?」

「どうでもいいわそんなこと。一緒に帰ろう、ジロー」

「……ジローって俺のことか? 俺にはちゃんとした名前があってだな」

「いいの、あんたはジローで」

「強引な奴だなあ。――まあ悪くはないけど。ジローか。なんか懐かしい名前だ」

 ナヴィガトリアが宣言する。

「先に言ったとおり、ポラリスのもとまで送ります。どうぞこちらへ」


 旅が終わる。アリッサはこれからのことについて思いを巡らせた。考えがだんだん一つに固まってゆく。


 虹色の光が消え去ると、見たことのある店内だった。

 ナヴィガトリア――いや、ポラリスがスペシャルコーヒーとウィスキーを用意してくれた。

「……ありがとうございます、ポラリスさん」

「ふうん。あなたは記憶を失っていないってわけね」

「俺は憶えてないけどな!」

「黙っててジロー」

「わたしの知る限り、記憶を持ってここへ帰ってきたのはあなたで二人目よ」

「え? もしかして」

「それは言わないでおきます」

 ゆったりとした時間が流れる。十分にアリッサは楽しんだ。

 そうして立ち上がる。

「もう行くの?」

「ええ。学校へ帰ります。旅は帰るところがあってこそ、でしょう?」

 ポラリスはゆっくりとうなずいた。

「ええ、そのとおり」



 まだ日は高い。イスキエルド魔法女学園に戻ったアリッサは、真っ先にある部屋へ向かった。

「エヴァンス先生!」

「なんです、騒々しい」

 彼女の私室、アリッサの目にはガラクタにしか見えない様々なものにあふれた部屋。

 そこにホリー・エヴァンス先生はいた。

「行ったんでしょう、先生も――あの樹のもとに」

 先生は指を一本、口の前に立てた。

「他言無用ですよ」

「やっぱりんですね。どんなをしたんです?」

「知恵と言いなさいな、人聞きの悪い」

「ひょっとして、先生があたしを行かせたくなかったのは……記憶をなくしたら卒業課題ができなくなって落第してしまう――それを心配したからじゃないんですか?」

「……べつにあなたが落第したからと言って私は痛くもかゆくもありませんよ」

「意地っ張りですね、先生」

「それでも強引に行って帰ってきたあなたほどでは」

 はじめて対等に見つめあった気がする。二人いっしょに笑った。

 エヴァンス先生はいつにない優しい表情で言った。

「まあ、無事に戻れてよかったですね。アリッサ」

「ありがとうございます。先生のくれた薬、とても役に立ちました。重ねてお礼を言いたいです」

「まあ、たいしたことじゃありません」

純度99.99フォーナインが、たいしたことじゃない?」

「贈る人にそれだけの価値があった、ということですから」

 エヴァンス先生は、最初からあたしを認めてくれてたんだ、とアリッサは気づいた。小さなことで突っかかって、あたしはなんて子供だったんだろう。

「先生はあの樹にどんな願いをしたんですか?」

 少し考えて、エヴァンス先生は言った。

「生徒たちをきちんと導けるような、立派な教師になりたいと願いました」

「それ、ちゃんと叶ってるじゃないですか――エヴァンス先生。じゃああたし、行きますね」

 アリッサはウィンクを残して部屋を出て行った。

 ひとり残された、ホリー・エヴァンスは呟いた。

「とても嬉しいことだけれど、教え子が大人になってゆくのを見るのは――やはり淋しいものね」

 気を取り直したように頭を振る。

「また新しい子供たちがやって来るのです。彼らを指導するのが私の役目。あの時、そう願ったのですから」


 それから話を聞きたがったみんなに拉致されるように自分の部屋に戻ってきた。アリッサの独演会みたいなものだ。エヴァンス先生のことを除いてみんなしゃべってしまった。

 ルールに反している気がして、ナヴィガトリアさんが怒らなければいいけど――でも記憶を残したのは彼女なんだし、と開き直る。

「記憶をなくしてしまうんじゃ、そりゃ記録も残ってないわけだわ」

 ディディが腕を組む。ギャビーが合いの手のように、

「ディディだったら毎年、詣でに行きかねないもの」

「ひどいなあ。三年にいっぺんぐらいかな」

「行くんかい!」

「うそうそ。あたしには無理よ」

「アリッサはどんなお願いをしたの?」

「――それは、内緒」

 全員からブーイングが起こる。

「まあまあ。おみやげ買ってきたから、それで許してよ」

 グラムサルで仕入れたおみやげをみんなに配る。グラムサル。あの街ではいろんなことがあった。

「あー、アリッサがひとりで哀愁してるー」

「なにか雰囲気が変わったわ、アリッサ」

 イザベラがすました顔で言った。

「いが栗みたいなトゲトゲがちょっとはおさまったようね」

「あんたは全然変わらないけどね」

「なんですって!!」

「口の悪いのは変わんないなー」

 うんうんと、イザベラと口喧嘩を始めるアリッサを見てみんなうなずき合った。




 無事にみんな卒業が確定した。

 そうして、卒業式の当日。

『この良き日に卒業証書を授与された皆さん――』

 オークウッド校長のスピーチが続いている。

「みんな、着替えは用意したよね?」

「卒業式恒例のやつね。もちろん!」


「あの、イザベラ様」

「あら、薔薇? ありがとう。なんか改まってどうしたの? ――まあちょうどいいわ。カーリーン。わたくし、卒業したらになろうと思うの」

 みんな仰天した。

「アリッサの話を聞いて興味が出てきてね、わたくしの美貌と才能を生かすのは<魔法探偵>しかないなと思ったの」

「あんたあたしの話聞いてた? おかげで殺されそうになったんだよ」

「わたくしなら大丈夫」

「なにその根拠のない自信。それに美貌がどう関係するのさ」

 イザベラはアリッサをきっと睨んでから、カーリーンに話を続ける。

「それで有能な片腕が必要で――カーリーン、わたくしと来てくれない? 給料はそこそこ保証するから」

「……」

「無理にとは言わないけれど――ブレッセル&ウェスト魔法探偵社ってカッコよくない? どう? もう行く先決まってた?」

「……わたし、わたしついていきます」

「ちょっと、カーリーン――どうしたの、急にいったい」

 泣きだしたカーリーンに慌てるイザベラを横目に、

「そこらへん鈍いよね、イザベラも」

「薔薇の花七本でしょ? <秘密の恋>、だっけ?」

「まあイザベラの金銭感覚じゃ経理は無理だろうしねえ」

「お似合いなんじゃない? 貴族のやっかいごとって意外に多そうだし、なんとかなるでしょ」

「私は薬膳レストランチェーンの開発部でしょ、ギャビーは魔法玩具会社、ディディは大学か――アリッサはどうすんの?」

 メグが聞いた。

「あたしは――もう少し世界を旅してくる。つきあってよ、ジロー」

「しょうがねえな」

 いつのまにかジローがひょっこり顔を出した。

 ギャビーがつっつく。

「旅にハマったな」

「そうかも」

「グラムサルに行くの?」

「グラムサル行くのよ」

 アリッサは真面目な顔で返す。

 二人は思わず笑いだしそうになり、顔を引き締める。まだ式の途中だ。

 卒業式がようやく終わる。

 ディディがささやいた。

「じゃあ、あの噴水まで誰が一番早いか、競争ね! もちろん魔法なしで!」

 卒業式が終わった後、卒業生は敷地内の噴水にみんなで飛び込んで大騒ぎする。それがこの学校の伝統だ。

 みんなじりじりとその瞬間を待っていた。

 空は高く澄み渡り、夏がやって来る。



『皆さん、卒業おめでとうございます! ではこれで卒業式を終了――』

「行っけ――っ!!」

 みんなが一斉に走り出した。

 走る。走る。ギャビーが、ディディが、メグが。イザベラが、カーリーンが。みんな笑いながら走る。

 未来はどうなるかわからない。

 学校で──今まで確かにここにあったのは、彼女たちと過ごしてきた時間。それはとても大切なもので、たまらなく愛おしい。だけどあたしたちは前に進むんだ。

 噴水が目の前に迫る。

 青空に向かって思いっきり跳んだ。


 水しぶきの粒が、日差しを反射してきらきらと光る。

 それはまるで、世界からの祝福のように。






                    終



あとがきのようなもの2

https://kakuyomu.jp/users/renno/news/1177354054890212190

感謝を込めて

http://moon.gmobb.jp/renno/cgi/images/etc/alissa.png



 

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願いを叶えるとっておきの方法――世界の果てまで行っちゃおう!? - マジカルルート000 Remix Take2 - 連野純也 @renno

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