犬がなついてくれない

桑原賢五郎丸

第1話

 全ての犬は敵だ。

 家で飼うのは3回目だが、いずれも私になつかない。なつかないどころか、明らかに敵意を向けてくる。

 犬は犬好きの人間が判別できるという。私はたいていの犬を嫌っていないが、犬は明らかに私を嫌っているのである。

 表を歩いていても、犬の大小関わらず、すれ違う全ての犬が牙を向いてくる。

 もしかしたら自分の体が相当に臭いのかと思い、妻に聞いてみたが

「臭いといえば臭いけど、当たり前の加齢臭なんだけれどね」とのことで、少なくとも人間には匂いで迷惑をかけていることはないらしい。



 ならなぜ飼うかというと、家人の判断に他ならない。一匹目はまだ私が小学生の頃、父親が拾ってきた雑種のオスだった。名をブチオといった。まだら模様のオスだったからその名にした。

 こいつは大変にわがままで、私が散歩当番の時は犬小屋から出てこなかった。それでも糞などはさせねばならないので首輪にリードをつなぐと、ものすごい勢いで駆け出し、嫌いな人間、すなわち私を振り払って自由を得ようとした。

 この行動は私が散歩当番の時だけで、父や兄が連れて行くと実にあざとくしっぽを振っていたものだった。それどころかエサすら私が差し出すと口をつけなかった。


 この頃に、犬というものは家族の中で序列をつけ、自分より下の者の言うことは聞かないということを知った。

 ブチオは12年間生き、最期まで私を見下していた。感覚的なものだが、明らかに私を見下していた。



 二匹目は高校生の頃。会社員となった兄がペットショップで見初めたコーギーのメスだった。カレーライスのような色調だったので、ボンという名をつけた。

 こいつはブチのわがままに獰猛性を加えたような奴だった。散歩に連れて行くと、何が何でも首輪を抜こうと後ろ向きに踏ん張り、自由を得たあとは他の散歩中の犬に飛びかかった。もちろん定年退職した父が散歩に連れていけば実におとなしくしており、周囲からは「主人を見極める賢い犬」扱いをされていた。

 最大の思い出は、ボンが死ぬ時のことだ。14年目の夏に死ぬ前、一月あまり寝たきりの状態が続いた。やはり私の手からはエサを喰おうとしなかったが、その時は家の人間がたまたま出払っていたのだった。右手にエサを乗せ、鼻先につきつけた。匂いを嗅いだ後、エサではなく手を噛んだ。

 つうこんのいちげき。

 最期だからやったれと思ったのかどうかは知らない。

「あたしもう死ぬ。お前も死ね」

 という意味だったのかもしれない。なんにせよ、この一件は私の心に深い傷を刻んだ。



 この頃、太宰治の畜犬談を読んだ。あれが随筆なのか小説なのかは分からなかったが、今読んでも笑えてしんみりできる、犬に対しての愛情があふれた作品だ。

「私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰くいつかれるであろうという自信である」で始まる名文の主人公は、最後こそポチの飼い主として立派な態度をみせるが、途中までの心情と行動はなかなかの鬼畜である。発表する時代によっては動物愛護団体がクレームをつけるかもしれない。

 その点、私は犬に対して捨てる、とか、保健所に、という感情を抱いたことは一度もない。だからなぜ犬が私を目の敵にするのかがわからない。

 かといって全ての動物が歯を向けるわけではない。猫には普通に触らせてもらえるし、馬にまたがったこともある。犬だけが、人間の良き友と呼ばれる犬だけが、スキあらば私を噛もうとするのだ。



 そして3匹目が、今眼の前にいるエル。オスのゴールデンレトリバー。妻の提案で飼うことにした。名をつけたのはやはり私で、広島カープに在籍していた強打者ブラッド・エルドレッドにどことなく似ていたからだ。

 妻の強い希望で、屋内で飼うようになってしまった。子供に恵まれなかった夫婦の夫として、妻の願いはなるべく叶えてあげたいところではあったので、反対はしなかった。

 だがそれにしても、犬というのは表で飼うものではなかったか。マンション住まいが増えて庭が無いといった事情もあるのだろうが、最近では表で飼われている犬を見かけることが少なくなったように思う。



 エルは自分がでかい図体をしていることを自覚しているのだろうか。その巨体を利用して、寝ている私をぺしゃんこにしようとするのである。もしかしたら、私の「犬に嫌われる」という特性を知らない人がその状態を目撃すれば、仲がいいと勘違いされるかもしれない。もちろんそんなことはなく、単純に布団代わりにしているだけなのだ。

 言うことは聞かないし、朝に起きれば私の顔に容赦のないお手を連発。顔を舐めるのが親愛の表現だとしたら、顔を叩くというのは、小馬鹿にしている以外にどんな心情を表しているのだろうか。

 賢い犬種と言われているだけあり、お手やお座りなどの基本動作はすぐに覚えた。妻が「さんぽ」と声をかければ自ら小走りでリードを取りに行く。私が呼びかけると黙って玄関へ先に向かう。

 また、エサを待つ態度も妻と私で違う。妻がエサを用意する時は、尻尾を振り耳をだらしなく垂らしキャンなどと軽くわめきながら、愛犬としてどうすれば愛されるかを知り尽くした、下品でいやしくかつさもしい常軌を逸した行動に移るが、私の時は違う。置かれた器にそっと前足を置きやがるのである。早くよこせということだろう。気高さする感じるその催促を見るたび、妻は笑い転げていた。


 エルは他の犬に吠えられても吠え返さない。泰然自若とでもいうのだろうか。穏やか、というのとも少し違う。他の犬にはあまり興味がないといった印象を受ける。私が他の犬に吠えられている時などは全く興味なさげに遠くを見ているのだった。


 妻が入院することになった。もともと体が強い方ではないし、70歳を越えればお互い悪いところも出てくる。2週間の入院で不安を取り除けるのならば大したことではない。

 妻が荷造りをしている最中、エルは部屋を必死に散らかした。しばらく妻がいなくなることを察したのだろう。雰囲気なのか会話を理解しているのか、犬のこういうところは不思議である。高くて長く続く悲しげな遠吠えをしながら、エルは完成した荷物を散らかそうとした。

「害獣め、おとなしくしろ」と止めようとした時、妻が大声を出した。

「エル、やめなさい!」

 叱るところを始めて見た。びっくりしたのは害獣も同じだったようで、ビクッと動きを止めたあと、とぼとぼと部屋の隅へ。しばらくの間かぼそい鳴き声をあげていた。



 妻が入院して10日。

 エルはその間、あからさまに元気を無くしていた。それでも散歩に出れば私を先導、というより引きずりながら走る。その勢いが普段よりも弱い。

 ある日の夕方、向かいから服を着たチワワだかスピッツだかが駆け寄ってきた。私はたいがいの犬は嫌いではないが、服を着させられた小さい犬はたいがいの外にいる。どういう訳かリードが付いておらず、キャンキャンと鳴きわめきながら私達を囲むように走り回った。そして例によって私に対して威嚇の唸り声をあげた。

 普段無視を貫くエルが、鼻先にシワを寄せ、低く吠えた。一瞬ですくみあがったチワワだかが逃げた先で、飼い主と思しき中年男性がそれを抱きかかえた。

「ピットちゃん怖かったね〜。いじめられたの?」

 と中年男性はこちらをねめつけながら、抱きかかえたそのピットちゃんにささやいた。文句を言われる筋合いはないが、あるのなら直接言えばいいだろうに。

 敵意を剥き出しにしてエルが大きく吠えた。中年男性はそれに対して笑顔で応える。

「おっさん、しつけができないなら飼うなよ」

 私も笑顔で返した。

「すみません」

 エルがさらに吠えるので、大きい声で続けた。

「その大きい虫けらがまとわりついてきたので。いや、申し訳ない」

「虫?」

「その汚い服着たそれ」

 意味に気づいた中年男性は激怒してなにか叫びだしたが、無視して通り過ぎた。エルもなぜか素直に従った。



 行きつけの公園に着いた。エルはそこの高台にあるベンチをいたく気に入っており、座ると20分は動かずにただ佇む。その間待っているのもヒマなので、ブラシをかけてやることにしている。

「お前な、あんなのいつも通り無視してれば良かったんだよ」

 何を言っても相変わらずこちらを見ない。ブラシをかけられながらエルは静かに遠くを見つめる。日が落ちてきた。高台から見下ろす家の窓に灯りがともり始める。

「あと3日もすればうちのやつ帰ってくるから。その時、お前が元気ないとさみしいだろ?」

 エルがベンチから降りた。家の方に向かって強く走り出す。その時に軽く返された「ワン」は、まるで返事のように聴こえた。

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