口紅

ふなぶし あやめ

口紅

 おや、客ってのはお前さんのことかい。こりゃまた随分と若い子だな……いや、何。ちと驚いたが、別にここじゃあ老若男女、身分や理由なんぞ関係ねぇ。用があるなら誰だって構わねぇさ。

 ん? あぁ、そいつは間違いなく俺の事だろう。この暗い路地の辺りにゃ俺以外に情報屋なんて名乗る奴はいないからなぁ。

 それで、お嬢さん? 俺に、いったい何を聞きに来たんだい?

 あ、その前にちょっと待ちな。俺から話を聞くってことは、少なからず代金が発生するが……あぁ、わかってくれるのか。物分かりがよくて助かるよ。こっちも商いなもんでね。まーったく話が通じねぇようなやつもいるしなぁ……。おっと、こいつは失敬!関係ねぇ話しちまったな。

 それじゃ、お嬢さんの話を聞かせてくれるかい?


 ――……なるほどなぁ。つまりお前さんは、俺イチオシの情報を知りたいってことか。あぁ、そうだ。俺が持ってる情報で一、二を争う面白い話なもんでね。イチオシってわけよ。

 それじゃ、俺の知ってることを話そうか。まず初めに言っておくがお嬢さん。俺も人伝いに聞いてくる話だ。俺の言うこと全てが真実だなんて、嘘でも言えねぇ。それだけはわかってくれよ。……ま、単純に自分自身を信じれって話だけどな。

 よし、いい返事だ。それじゃ、教えてやるよ。

 むかーし、むかし……って言うほど昔ではねぇらしいけどよ、今より何十年も前に、この世界のとある国に一人の服飾職人がいた――。



 彼の腕は非常によく、とりわけ彼の作る装身具は精密な造りでありながら、そこはかとない妖しさ、そして見るものを虜にする不思議な魅力があると大変な人気だったそうだ。

 小さな宝石加工から、大きなドレス飾りまで、とにかく装身具に関して、彼の腕にかかれば作れないものなんてなかった。彼の店は大繁盛、その人気ぶりは衰えることを知らないように、経営は右肩上がりだった。

 ある日、彼の腕の良さを聞いて一人の女性客が来店した。綺麗な目鼻立ちの、真っ赤な口紅がよく似合った女性だ。彼女は良家の娘だったが、周りを見下すこともなく、誰にでも平等で、また知的な女性だった。

 有名な服飾職人となっていた彼だが、元々は非常に貧しい家の出で、上流階級と接する毎日でも心のどこかで自分の出生を恥じていた。でも彼女はそれを知っても馬鹿になんかせず、彼の才を妬んで、生まれに関する悪い口を叩くような連中にも皮肉を交えて言葉を返す、そんな女性だった。

 彼女は彼の装身具の素晴らしさに感激し、何度も店に訪れては、装身具を買っていった。また、彼女を魅了したのは彼の作るものだけではなかった。彼自身の優しさや、仕事に対する誇り、その人間性に惹かれていったのだ。

 彼と彼女の距離は自然と縮まり、いつしか二人は恋人同士となっていた。

 彼は今まで通り高品質の装身具を作る傍ら、毎日少しずつ愛する人のための特別な品の制作も始めた。それは、彼がこの仕事を始めてから一番綿密な設計図を描き、上質の材料でそれを作り上げていく。ゆっくり、ゆっくり丁寧に仕上げていったその品は、指輪と首飾りの対になる装身具であった。

 また、それぞれに嵌る二つの美しい宝石の形が口紅に似ていたこと、彼の店の名がその地方で口紅を意味する言葉だったことから、二つの装身具を「口紅」と彼は呼んだ。指輪のほうには息をのむような紅玉、もう一方の首飾りには吸い込まれるような青玉をあしらった、彼の装身具の最高傑作と言える品だった。

 そんな中、相思相愛の二人に、障壁が立ちはだかった。身分差のある恋人同士でよく見られる問題で、彼女の両親が彼女の結婚相手を決めてしまったのだ。

 彼がいくら彼女を愛そうが、いくら人気で腕が良かろうが、所詮は生まれの良くない一介の職人。彼女は両親に何度も何度も抗議し、自分の意志は違うと伝え続けた。しかし、彼女の両親は決して首を縦には振らず、これ以上彼に会ってはいけないと、彼女を軟禁状態にしてしまった。

 そこで彼は、彼女の前から姿を消すことを決意した。自分といては、彼女は幸せになれないと判断したからだ。外にも出られず、自分のやりたいこともさせてもらえない。自分が去ることで、彼女が幸福にさえなってくれれば、それでいいと思った。

 しかしせめて、口紅だけは渡したいと、彼はそう願った。彼女に贈るつもりで、まだ渡していなかった赤い口紅を――。だが、もう片方の口紅を彼が持つわけにはいかない。片方だけ持っていれば、きっと彼女は彼のことを忘れられないだろう。それでは自分が去る意味がないと、彼は頭を悩ませた。でもこれは対になるものだ。一つずつ互いが持っていて、それでいて彼女が気づかないような……。

 数日間考え抜いた彼は、とある細工を施した。そして――彼女が次に親の目を盗んで彼の店に訪れた時には、彼の姿どころか、家具等もすべて無くなっていた。……たった一つの箱を残して。

 彼女の両手に収まるほどの小さな箱。オルゴールだった。蓋には服飾職人の彼らしく細かく丁寧な造りの装飾が施されており、赤紫黄といった美しい宝石も散りばめられていた。彼女がそれを開くと、どこか哀しいメロディと共に一枚の紙があった。そこには彼が去ることと、謝罪、それから彼女の幸せを願う言葉が綴られていた。

 彼女は泣いた。泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いた。だがいくら泣いても彼が去ってしまったという事実だけが彼女を蝕んでいき――。

 彼女はとうとう彼が消息を絶って数年後、自室で眠ったように息を絶ったらしい。彼が残したオルゴールを抱いて。蓋の赤い宝石に手を添えながら。



――っていう、話だ。

 これで終いだよ、お嬢さん。いかがだったかな?ははは、確かに、『面白い話』ではねぇな、こりゃあ失敬した。でも宝石や美術品の歴史専門の情報屋なんでね、俺は。こりゃあまだまだ幸せな方だろうよ、その口紅にとっちゃな。

 さーて、ここでお嬢さん、俺からも一つ尋ねていいかい? これに答えてくれたら代金は半額で結構だ。よし、そうこなくっちゃ。それじゃ、率直に訊くけどよ。

 ……お前さん、今の話に出てきた女の親族か何かだろう――?


 ***


 目の前に座る、お世辞にも綺麗とは言えない桑色の汚れたマントを羽織った男の言葉に、私は思わず目を見張った。半額にしてくれる質問と言うから、いったいどんなのかと思えば……。

 わずかに迷ったが、まぁ知られて困るようなことでもあるまい。それに、彼の眩しいものを見るような優しい視線に、なぜだか答えなくてはいけない気がした。


「……そうよ。おじさんよくわかったわね」


その言葉に、彼は黄ばんだ歯を見せて大きく笑った。


「はーっはっはっは! そりゃあわかるってもんだ。人生も長く生きてるし、何しろお嬢さんみてぇな若い子がわざわざこんな辺鄙な場所まで、俺みたいなやつを探す理由なんぞ知れてるしなぁ」


 おじさんは一通り笑ってから、私を見つめた。今度は見定めるように。


「な、何かしら…?」

「結局例の彼女とはどういう関係だい?」

「……妹よ」

「妹? 俺も歳か……。とても二十年前に亡くなった人の妹とは思えないほど若く見えるが……」


 なんだ。さっきは具体的に何年前かなんて言わなかったのに、知ってるんじゃない。


「私は姉さんが亡くなる直前の年に生まれたの。だから二十歳以上の年齢差があるわ」


 靄のかかったような姉さんの記憶しかないけど、やはりたった一人の姉であることには変わりなくて。こうして口紅という名の装身具をたどって姉さんの話を探してきた。

 なんでも、現在両方の口紅には相当な額の賞金がかけられてるらしい。一世を風靡した服飾職人の最後の一級品。売るために作られたわけでもないのに、やはり彼の作る品は価値が他とは桁違いらしい。

 ……ま、赤い口紅の方は絶対に見つからないでしょうけど。


「なるほどなぁ。俺の聞いた話は口紅の歴史とそのいきさつだったから、お前さんは出てこなかったわけだ」


 彼は納得したように頷くと、またもや私が驚くことを口にした。


「それでお前さんは、青いほうの口紅を探してるってわけかい」

「え? どうして青い口紅なの?」

「そりゃあお前さんが赤いのを持ってるからだろう。オルゴールの蓋に化けた赤い口紅を」

「…………」


 私はトランクを握る手に力を込めた。悪い人ではなさそうだけど、やっぱりここまで的確に言われてしまうとさすがに焦る。警戒心が見えたはずだが、おじさんは気にせず話を続けた。


「青い口紅の居所は、残念ながら俺も知らねぇんだ、すまねぇな」

「そうなの……。じゃあまた探してみるわ」

「あぁ。もし見つかったら俺に教えてくれ。お前さんが探した話を買うからよ」


 なるほど、この人はこうやって話を売買してるのね。

 とりあえず、欲しい話は聞けたので私は値段を尋ねた。そろそろ次の街に移動しないと日が暮れてしまう。馬車も見つかりにくくなるだろう。

 金貨三枚ほどを覚悟していたのに、おじさんが言った値は驚くほど安かった。懐から銅貨を二枚出して、彼に渡した。


「まいどありだ、お嬢さん」

「いいえ、こちらこそ安くしていただいてありがとう」

「あぁ。……口紅、見つかるといいな」

「えぇ、きっと見つけてみせるわ……!」


 私は一礼しておじさんに背を向けた。


 ***


 少女が路地から姿を消すのを見届けると、俺はもたれかかっていた汚れた鞄を出した。手で中を探って目当てのものを取り出す。


「――妹だってな……よく似てやがる。俺は後悔してもしきれないほどの罪悪感で胸がいっぱいだけどよ……これで少しは軽くなった気がするよ……」


 握った首飾りを目の前に翳しながら話しかける。傍から見たら怪しいが、今となっては俺の本音を言える唯一の相手だ。


「嘘ついちまって申し訳ねぇが……俺が死んだらあの子の手元に行くよう手配するか。その方がお前もいいだろ?」


 傾いた太陽が、暗い路地に久しぶりに顔を出し……、首飾りに輝く、吸い込まれてしまうような美しい青玉に優しい光が反射した。



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