リベンジ・パストマスター

第12話

『おはようございまーすタヌキちゃーん。ブロークンハートナイトは終わりましたかぁ』

 カシミヤの陽気な声。タヌキは返事を絞り出した。

「人生最悪の目覚めだ、この外道め」

『あはは、よく言われる。さて、今日はどうしようか』

 ハッキリと罵倒をぶつけるタヌキと、それをまったく意に介さないカシミヤ。

(カシミヤは信用できる。できるが、それはまったく別問題だ)

『進むもよし。止まるもよし。なんならここでほとぼりが冷めるまで隠居しておくって手もあるね』

(俺は心底、この顔面包帯女が大嫌いだ……!)

 起き抜けから怒りで震えながら、タヌキは暖かな寝袋から冷えた空気のなかに這い出た。

 よく晴れた朝だ。雲ひとつなく、空気は乾いている。吹く風も穏やかで、絶好の逃避行日和と言えた。

『タル・タラや賞金稼ぎ達はまだタチカワ周辺を探し回っているみたい。タヌキちゃんの目撃情報がそのあたりで頻出してるらしいんだよ。君、双子の妹とかいたりしない?』

ふざけたことを言う。

「オマエだろ、カシミヤ。そんなこと出来る奴、お前とあのサムライくらいしかいねえ」

 タヌキの棘のある声。荷物をまとめながら、朝の空気で肺を一杯にする。脳が一気に覚醒する感覚が快感だった。

『今日の午後には山越え。そうすれば晴れてタル・タラの支配下からの脱出だ。それ以降は廃線になった鉄道に沿って西に向かえばいずれキョウトに着くよ』

 カシミヤの行程案内を聞いてタヌキは顔をしかめた。コンタクト経由ではなくイヤーギアで会話をしているため、その顔はカシミヤには見えないはずだったが、カシミヤは『ほら、変な顔しないで。可愛い顔が台無しだよ』などと言う。

「うるせえ」

 何度この言葉を発したか。タヌキにはカシミヤに明確に言いかえす言葉が見つけられない。それは隠そうとした真意を暴かれているときでもあるし、言われ慣れていないことを言われたときでもあるし、本当にうるさいと思ったときでもある。今回のは三番目のほうだった。

 左腕の痛みはもうほとんどない。骨同士がくっついたのか、押してもほとんど違和感がなくなっている。それを確認して、装備を順に体に身に着けていく。愛銃は一度ABASシステムを起動してセルフメンテを実施したが、問題は見当たらなかった。

(堅牢さはコイツの武器のひとつだからな)

 機構自体は単純なため、それを覆う銃身には希少な炭素ジュラルミン鋼が使われており、刀の斬撃程度なら受け止めることができる。その頑強さにABASは守られている。演算能力は端末に依存しているとはいえ、計算された結果を実行するために高純度の珪素ジェルを使っており、それは非常に繊細だからだ。

 愛銃を背負い、腰の短刀と左足のイタチを軽く触って、コートを羽織った。脛まで覆うような着丈のコートは黒く、掠れたような色合いに仕立てられている。都市迷彩のバリエーションだが、山の中では逆に目立つことが憂慮されていた。早く山を出たいタヌキにとって、いい天気であることは願ってもないことだった。

 数時間山登りを続けるだけで、『タル・タラ』の支配からはあっけなく脱出した。立ち入る者からは厳密に通行料をとるが、出ていく者に対してはあまり関心を払わない『街』の特性は武装組織『タル・タラ』にも表れていた。

 山の稜線を越えて少し下ったところで木々が消滅し、裸の山になった。そのあたりで昼食をとった後、しばらく歩くと眼下に廃線跡が見えてきた。

『30年くらい前に廃止になった路線らしいよ。歩けそう?』

 アヤノの問いかけ。カシミヤはどこかに出掛けたらしかった。

「枕木の上なら歩けそうだ。降りるぞ」

『りょうかーい』

 山の斜面を滑るようにして廃線の上に立つ。このあたりから政府の法治下に入っている地区である。今タヌキの立つ山地の地下には巨大シェルター型住居が埋まっており、その弊害で周辺の草木は枯れている。線路も雑草1つ生えておらず、今にも電車が走ってきそうな恐怖感があった。しかしそれでも、この線路はもう数十年の間、その役目を果たすことなくここに鎮座するのみだ。

 タヌキはそれから数日歩き、廃駅で夜を明かす日々を何日か過ごした。全部で130㎞ほど歩いた。代わり映えのしない景色の中を淡々と歩いた。ひたすら歩いた。時折野生動物を狩り食糧を節約した。イヤーギア越しにアヤノやカシミヤと取りとめのない話をひたすら続けた。

 その話はまた別の話。


 枯れ果てた池の脇を通り、左に崩れた山が見える。

 そこでタヌキは立ち止まった。

 理由なく立ち止まることは130㎞の間に何度もあった。しかし、今回ばかりは違う。


「俺は、ここを歩いたことがある…?」

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ライト・トゥ・ライヴ ─セカンド・ネスティ─ のんぐら @r_krn_

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