私たちのゲームウォーズ

ミゲル

第1話 始まりは壊れたゲームから



——あの頃の、わたしたちへ




 例えば今、私がこの場所から消えたとして、誰か困ることがあるだろうか。飛行機雲が走っている。それ以外何もない。ただの青空。私は他人の家の二階のベランダで、大の字に横になってそれを眺めていた。コンクリートの地面は鉄板のように熱く、遮るもののない太陽は私のことを無慈悲に照らす。

 私は、「このままだと、死ぬかも」なんて、茫然と考えながら、腕を伸ばして真夏の日差しを指越しに眺めた。小高い丘の上にあるここは、横になると視界に入るものが柵しかなくて、ひとり、取り残されたようで、人の家ながらにとても居心地がよかった。

「ナッちゃん、いつまで焼肉ごっこしてるの! 次、ナッちゃんの番だけど飛ばすよ?」

「今、両面こんがり中!」

 友人に呼ばれて、私はすっかり汗でグシャグシャになった体を起き上がらせた。制服のシャツがぴったりと背中にくっついている。多分、軽い脱水症状だろう。水を飲まないと、と少し痛む頭にイラつき考えながら、私は無理やり黒染めした自分の髪から垂れた汗で、色の変わる地面を見ていた。

「ナッちゃん。オスカー様がデートのお誘いに来たけど、無視していい?」

「ダメに決まっとろうが‼」

 二度目の呼びかけでやっとサンダルを捨てるように脱ぎ、ベランダから急いで屋内に入ると、私はゲームのコントローラをアイから奪い取って選択肢を変える。ステータス画面に切り替えれば、先ほどまでは振り切れんばかりに高かったキャラクターの好感度が、今では底辺にまでほど近い。

「ちょッ! 何をしたらここまでこうなるかね!?」

「いや、星を作るのに〝妨害〟をお願いし続けてたらこうなってたよ。仕方ないね! 私が求めてるの、彼じゃないし」

「酷……ッ! 私が求めてるのはオスカー様だろうがよ!」

「だって、私はジュリ様派だし。オスカー様が来てもねぇ?」

 今、私たちは〝乙女向けゲームを皆で回しプレイする〟という、私たちお得意の奇妙な遊びの真っ最中だ。この六畳もない狭い部屋にいるのは、三人の同級生たち。それぞれの想うキャラクターが違うために、もちろんステータスやキャラクターたちからの好感度はしっちゃかめっちゃか。それの何が楽しいのか? さぁ、私たちにもわからない。

 休みも放課後も何も関係なく、時間があればアイのこの家に集合。これが私たちのお約束。ゲームを遊んで、アニメを観て、絵を描いて、自作でコスプレだってする。

 家主の〝絵上(えがみ)アイ〟は美大を目指す美術部クラスで、よく私はスケッチのモデルをさせられていた。私は体が貧相で、そのままを描くと先生に「こんな人間はいない!」と指摘を受けるようで、完成した絵を見せてもらうと肉付きよくウソに描かれていて、それがおもしろくて、二人してよく笑った。

 彼女は少し偏屈なところがあり、突拍子もないことを突然言い出しては人を困らせたり、笑わせたりするような子だった。けれどそれはきっと、計算されたものではなくて、自然と心から零れ落ちてしまうものだったのだろう。

「ミナコは何を描いてるの?」

「今度の新刊……」

 机の上のタブレットに向かい、そんな会話のなかでも黙々と手を動かし続けているのは、〝自院(じいん)ミナコ〟。昔からマンガやイラストがうまくて、私たちの自慢の存在だった。小柄な体系とアニメチックな声、くるくると巻いた天然の黒髪パーマを二つに結った彼女の姿は、マスコット的存在のようにも思えた。けれど、「虫が大嫌い」と言いながら大量の蟻を傘の先で潰しているのを見た時は、えにも言われぬ恐怖を感じたし、本能的に悟うことを放棄したものだった。

そういえば、お泊り会の時に、失敗した生焼けのパンケーキを私の口に笑顔でねじ込んで来たのも、確か彼女だ……。

「遅くなったー。もう皆、来てるの?」

「リッちゃん、いらっしゃい!」

「あれ? 熱中症で危ないからって、運動禁止って連絡が来てたよ? 部活やってたの?」

「そんなの関係ないよ! 大会あるし、正念場よォ‼」

 襖を無遠慮に開け、こんがりと袖焼けした姿を見せたのは、〝壱打(いちだ)リエ〟。ソフトボール部のキャプテンを務める運動部員だ。〝陰気なオタク倶楽部〟といった私たちの集まりからは程遠い存在に思えるけれど、マンガが好きで、アイとは幼稚園からの付き合いだった。中学生の時に、好きなマンガのキャラクターの名前を校門にマジックで書いて父母呼び出しになった、生粋のプロテイン系能天気女子でもある。

ただ、体育会系ならではか、彼女だからなのか、後輩にも自分にも異常に厳しい悪い癖のある一面も持ち合わせている。

「ナッちゃんは相変わらずお胸が発育しないねェ~」

「やめろバカ‼」

 リエはカバンを乱雑に放り出すなり、あぐらをかいて画面に向かう私の胸をむんずを掴んだ。背中には、ぽわぽわと私が持ち得ない弾力のある感触が伝わる。

前屈させるかのようにリエが体重を私に預けると、股関節の痛みとともに、毎日の部活による、日の光で痛んだリカのポニーテールの毛先が私の首元をかすめた。


 ……ここまでの紹介でひとつ言えるのは、高校二年のこの夏にして、私たちは将来についてあまりにも危機感がない、ということ。そしてなぜ、私たちはこの夏休みに一様に制服であるのか。答えは簡単で、テストの点数があまりにも悪くて、補習授業を強制されているからだ。

真夏、クーラーも付けてもらえない教室で、たった数人で授業を受ける。「お前らは本当にどうしようもない」と先生に憎まれ口を叩かれる授業が終わったら宿題を無視し、寄り集まってゲーム三昧。先生ごめんなさい。私たちは、夏休みを返上してまで学校へわざわざ足を運んでくださっている先生方の苦労が、何も身にもなっていないかもしれません。そんな、思ってもいない謝罪を心の中でした。

 私たちは本当に真っ新な女子高生だった。女子校だから男子の存在も知らず、ゲームやアニメに時間とお金と心血を注ぐ。それ以外、何も知らない。そう、私〝宇津(うつ)ナツメ〟も、そんな彼女たちのなかのひとりだ。


「そういえば、新しいゲームをゲットしました!」

〝ジャジャーン〟なんて古い効果音と一緒に、リエがガチャガチャとカバンの中を漁って、ケースに入った一本のROMを掲げた。「おぉ~」とわざとらしく一瞬、沸く歓声。

「リッちゃんがゲーム? 珍しいね」

「皆でやろう? 私、難しいとできないし」

 そうリエが言うと、皆いそいそと準備を整えて灰色のゲーム機のスタートボタンを押した。〝新しく〟という割には肝心のパッケージはなくて、何かの空きケースに入っただけのROM。盤面も青空と流れる雲、そして黒い城のような背景がデザインされているだけで、不信感を少し覚えながらも

その謎かけのような存在が逆に私たちをワクワクさせた。

 アクションなのかRPGなのか、それともまさかのSTG!? それでも、なんでもいい。新しいものを、知らないものを遊びたい。私たちのなかにあるのは好奇心だけだった。

 ゲームを起動すると、メーカー名もタイトルロゴも現れず、ただ幻想的で繊細なタッチで描かれた森のイラストをバックに、〝 PRESS ANYKEY 〟という文字が画面上に現れた。

「なんだろう、アクションかな」

「〝 PRESS ANYKEY 〟って言いながら、○ボタンしか受け付けないのって、毎回ちょっとむかつくよね」

「あるわ~」

「まぁ、まずはオープニングムービーでしょう!」

 ゆっくりと点滅する文字に、私たちは集中した。新しいゲームを遊ぶドキドキ感と、少しの不安。画面が明転すると、どこかの民族音楽を思わせる音が、ゆったりとした旋律を奏で始める。どこか懐かしい、けれども知らないメロディ。

……いや、私は知っている。でも、思い出せない……。


——助けてください。運命の子どもたち

    あなたたちの抱いた夢は、無限の可能性


 画面にゆっくりと、浮かび上がっては消える文字……。

「おお……。『幻水』っぽくない? カッコイイね」

「これはちょっとRPGくさいですねぇ……」


——私たちの世界は今、

       大きな変化に飲み込まれようとしています

 どうか、世界を救って、

         運命を変えて。愛を知って……


 突然暴力的になった楽曲を背景に、画面には登場人物と思われる四人の男性が戦い傷付き、苦痛の表情を浮かべる姿が、力強い打楽器の音に合わせ、次々と現れては消える。私たちはその度に、前のめりになって感嘆した。

痛々しい彼らの姿に、若干の不安も生まれはしたが、これはゲームだ。切なさに半身を引かれながらも、皆、ただただ情熱に身をゆだねた。

「イケメン出るやつ‼」

「恋愛要素とかあるのかな?」

「今の人! 今の人、素敵じゃない!? あふれる筋肉、たくましい姿……ドキドキだわァ」

「あー……うん」

 画面に集中しているのかいないのか、皆思うことを次々に口走るなか、リエが恍惚とした表情で言う。それにそっけない態度の私。

「ほら、ナッちゃんの好きそうなチャラい男も出たよ」

「チャラ……!? 柔和で優しい男性と言えや」

「しかし、我々のいいところは、好きなキャラが一切被らないところだよね。戦争が起きない。真の平和だよ」

「うんうん」とアイの言葉に皆、うなずきながら、落ち着きもなく、けれど食い入るように私たちは視線だけは画面に集中させていた。

いつの間にか透明感のある旋律がテレビのスピーカーからこぼれ出す。そして曲はいよいよの盛り上がりを見せ、草原を駆けるような主観視点は、光に向かって飛ぶ。

そして、また言葉が浮かんだ。


——いざないましょう、この世界に。

    あなたの力が解放される、この世界に


 それを最後にして、画面は固まった。けれどもなぜか、私たちはなぜか、動けずにいた。ROMがゲーム機の中でカラカラと回転する音と、セミの声だけがうるさく部屋に響く。

 普通だったら、声を掛け合うとか、リセットボタンを押すとか、そういったことがあって当然のはずだった。けれども私たちは画面に見入ったまま、その場から動けない、何も、声を出すことすらできない。

 ほんの数秒前まで、あんなに「男子の好みが」とか、「早く遊びたくて」とか、うずうずして話題は尽きず、口々に掛け合いを乱雑に行っていたのに、今は誰も声を発しようとしない。瞳には、すっかり明転したままの画面が焼き付くように映り込んでいる。それは私も変わらずに。


——鈴のように高い音と、そして声が、聴こえた。


『あなたの悲しさを消すことは、

            私たちにできますか?』


 視界が、ぐらりと回る。私は脱水症状気味ですでに気分が悪くて、だから、この眩暈も半分はそのせいだと、その時は思っていた。


       ◇◇◇


『なんだその頭は! 染めているんだろう‼』

『スカートの長さ、短いんじゃないのか。教壇の上に立ってみろ。皆に見えるように! 間違った長さと正しい長さを皆に見てもらえ!』

『お前みたいな人間がいるから、他のヤツが真似をして集団行動ができなかったんだろう? そうだろう! 俺にはわかるんだからな。お前が他のやつらを誘導したんだ‼』

『あなた、タバコを吸っているでしょう。私には臭いでわかるんですからね。普段の素行にも表れているんだから』

『生徒会に立候補出すの、宇津サンがいいと思いまーす。何か、オーラとかぁ? ありそうだし。知らないけど』

『ねぇ、何で学校来ないの? 起きられないだけ? 朝、迎えに行こうか。ねぇ、何を考えて生きてるの?』


 ……嫌な教師。嫌なクラスメート。興味本位に近づいてくる人間。嫌な学校、嫌な、嫌な、嫌な、嫌な、嫌な……。


——気が付くと、そこは虫の声のうるさい森のなかだった。目覚めの悪い夢の終わりに木漏れ日はキラキラと私を照らし、空気は相変わらず熱くてどんよりとしていたけれど、湿気た地面の冷たさが心地いい。

「って、……何これ?」

 それしか、正直言葉が見つからない。ひとまず体を起こして周囲を見渡し、冷静に、冷静に、と声に出して、私は自分を落ち着かせることに専念する。

 私は確かに、いつものようにアイの家に四人でいた。最初はアニメのオープニングのイラストを模写して遊んで、その後は乙女ゲームを嗜んだ。それからだ。それから……ゲームを。リエの持って来た、出どころ不明の怪しいゲームを、プレイし始めたはずだったんだ。

 なんて思考を整理していると、私の頭の中が急にグルグルと回り始めた。体はだるく、吐き気が私を襲う。熱中症だ。これは、ここがどこかなんて考えている場合ではない……体がそう、意識に呼び掛けていた。

「喉が……、体を……冷やす…そう、水……。水場がないか、探さないと……」

 よろよろと立ち上がりながら、私は白呆けた頭で周囲を見渡した。何もない。ここはどこだ。富士の樹海か!? 景色は三六〇度、見渡す限りどこも同じで、進む方向の検討すら付かない。突然の恐怖が私を襲った。誰もいない、友人の皆も。誰でもいいから、知らない人でも……!

「サバイバル知識をもっと勉強しておくべきだった……。森での水場の探し方とか……」

 いよいよ朦朧とし始めた意識のなか、〝雪山で遭難した際は、下手に動かず、かまくらなどを作って寒風から身を守りましょう〟なんて、今はまったく役に立たない知識が走馬燈のように駆け抜け、あっけなく私は脱力して膝から倒れた。

私はいよいよ死ぬんだ。ただそう思った。その時、


——私を呼ぶようにして、歌が聴こえた、気がした。


◇◇◇


 体がひんやりとして、気持ちがいい。今日は何度、目を覚ます日なのだろう。ぼやけた視界がはっきりしてくると、藁と木で組み上げられた簡素な作りの天井が見えた。私の首には濡らした布が巻かれ、私の体は大きな桶の中で、水の上に咲く蓮の華のように浮いていた。

「どこ……バリ島?」

 駅前のチラシにあった、天国のような光景が私の脳裏をかすめる。湿気た空気、知らない虫の声、木製の家具……。やはり、バリ島は夢の世界、天国だったんだ。なるほど、ここは天国。

そんなことを多幸感に包まれながら考えて上体をゆっくりと起こすと、私は自分の姿に驚いた。

「って、ほぼ全裸やんか!」

 なぜか私の口からついて飛び出す、謎の関西弁。飛び起きると、前開きの病院着のような白い服が、水に透けている。その薄い布着は水で体にピッタリと張り付き、私の凹凸の少ない体の線を強調していた。

 そして何より、これはもうひとつの驚き。私のそばで、ひとりの青年がこちらを笑顔で見つめている事実。『誰!?』なんて声すら出せないそんな混乱のなか、その男は無邪気に、オレンジにほど近い金色の髪を掻きながら口を開いた。

「よかった。気が付いたみたいで。すごく衰弱してたから」

「ちょっっっっと待って‼」

 動揺した私は、手近にあった木のトレーで彼の顔をふさいだ。「オゴッ」と声が聞こえたが、今は彼の鼻がどうだとか、顔面がどうだとか、考えている余裕はない。「何か着るものを……」と見回したけれど、周囲にそれらしきものはない。

「待って、わかった。君のことは見ない。そうだ、目を閉じていよう。それでいいかな……?」

「え? あ、は、はい、はい」

 私の意図が察したのか、彼は「俺は丸腰だ」と言わんばかりに、両手を肩まで上げてひらひらと降参のジェスチャーで、椅子に座ったまま訴えた。仕方なく、叩きつけたに等しいトレーを外すと、彼は目を瞑ったままにこちらを向いている。

(とりあえず乳……、胸元を死守しよう……)

 混乱の最中に出た結論が、これ。私は先ほどまで彼に押し付けていたトレーで胸元を隠すと、桶の中で体を丸くした。目を瞑ったまま、困ったように笑顔を浮かべる彼の容姿は、鼻がツンと高くて目尻は少し垂れていて、少し艶っぽい。

「目はずっと閉じていたほうがいいかな? それとも開けても大丈夫?」

「だいじょうぶ、です」

 開いた目は、アーモンド形の、でもどこか鋭いそれ。

失礼だという自覚はあったが、私は頭のてっぺんから足先まで、彼のことをまじまじと見入ってしまった。それは、あまりにも私たちの装いとは異なっていたから。幾度となく想像した、ゲームやアニメの世界の姿。ここは〝日光江戸村〟的な?〝千葉にある夢の国〟的な? キャストがファンタジックな世界を体現してくれるテーマパーク、なのか……?

 彼の服の作りは簡素で、装飾も少なく、縫製も最低限だ。明らかに、日本で見るような〝洋服〟ではなかったし、私が目にするとしたらコスプレイベント会場くらいなものだろう。

 まさに、子どもの頃から憧れていた作品のそれだ。ただ、顔には消えないであろう、細かい傷跡が多くあることが気になった。ここはどこなんだ。彼は誰だ。

「森で倒れていたのを俺が運んだんだ。体を冷やすために、里の人に言って協力してもらったんだよ」

「ァありがとうございます。たァ助かりました……」

 咳をひとつして、冷静を完璧に装えたと思った私の声は、思いのほか上ずっていた。

「まぁ俺的には、お嬢さんのセクシーな姿を見られて大満足だからOKだよ!」

「アアア????」

 もう一度言うが、これでも冷静を装ったつもりである。短気は損気が私の悪い癖。思わず立ち上がって手が出るところだったけれど、思い留まると私は桶の中で丸くなって、できるだけ体を外から隠すことに専念した。

男性に体を見られるのは、父親以外初めての経験だ。一瞬体をもたげた時の、水の揺れを私は静かに眺めながら、自分の無防備さに心の内で動揺ばかりを覚えていた。


 いや、そう不信感を抱きながらも、覗き見てわかるのは、私の好みを具現化したような彼の容姿。きっと軽薄で、でも情には厚く、ただきっと女好き。しかし何かの事情を隠していそうな男(アニメキャラの設定傾向でいえば)。「好みの男性に助けてもらえるとは……!」と、私は内心、まだぼやけた頭の中でガッツポーズをひとつした。死んでいたかもしれないというのに、いよいよ呑気なものだ。

正直、目が覚めてから〝現実味〟がない。夢の中にいるようだと、そう、他人事のように考えた。

 けれど、常識と理性と羞恥心と自尊心と、あとわずかな自分でもわからない処女的精神で、私の心は彼の侵入を閉ざした。それに、「ナツメは男の趣味があまりよくないから、気を付けなさい」と皆に言われている。誰も男性と付き合った経験がないくせに、よく言ったものだ。


 ただ、出会ってからまだほんの数分。それでも、私は外見以外にも、彼にどこか惹かれるものを感じていた。その根拠は、私にもわからない。懐かしさ、にも似た不思議な感情。

「あの……いっこ質問が」

「どうしたの?」

「『すごく変なこと聞くな?』と思われるかも知れないけど」

「問題ないよ」

「ここはどこでしょう?」

 一瞬の沈黙。でも彼の表情は薄い笑顔から変わらない。

「ハナンという、いくつかの獣人が家庭を持っているような小さい里だよ」

「獣人……?」

「そう。でも君が聞きたいのは、そういうことじゃないよね」

「……え?」

 突然、腹の中を探られたような感覚に、無意識に私は息をのんだ。

「ここは君たちがいた世界とは違う、もっと遠くて、でも近い場所にある世界だ。ようこそ、俺たちの世界へ。声に応えてくれて、ありがとう。ナツメ」

「私の…名前……」

 体が強張る。鳥肌が全身を駆け巡った。本能的に危険を感じて、物理で対応できる手段はないかと考えるが、辺りを見回しても手元のトレーひとつで、自分の身を守れそうなアイテムは存在しなかった。

青年は座っていた椅子を手に取って反対に回して座り直すと、気楽な姿勢のまま淡々と私に説く。

「君のことならなんでも知っているよ、宇津ナツメ。英光女子学園高等部二年生。B組で、小学生の時から小説を書くのが好きな女の子。無気力で学校へもほとんど行っていないのに、生徒会や知らない文芸部にも強制的に所属させられている。それも、クラスの人間からの嫌がらせだと思い込んで。劣等感が強くて、自己否定が多い。いつだって生きることを放棄したがっている。でも仕方ないね——」


「うるさい‼」


 自分でも、思ってもみない大きな声が出てしまった。なぜこいつは私のことを知っているんだ。誰にも話したことのない、私だけの秘密、悩み。どうして——?

「ごめん……、デリカシーがなかった」と彼は謝ると、ゆっくりと口を開いた。

「まずはきちんと僕が挨拶するべきだったね。俺はロベルト。皆はロビンと呼んでいるよ。よろしく、ナツメ。俺はセイジュウ。君だけのセイジュウだ」

〝セイジュウ〟? 疑問符だけが私の脳を支配する。「私だけの」と言っていた。オタク的知識をフル稼働させると、〝私に従う〟と考えて、答えは〝聖従〟となる、気がする。好みの男子が私のプリンスになってくれるような世界であれば、これぞまさにアニメ的世界……。そんなことがあるのか?

 ……などと、まだ自分の置かれている状況を把握できていない、どちらかといえば混乱が頭の中の割合を多く占める迷路のような状況下で、オタク脳だけは働いていることが情けなくて、思わずため息が漏れた。

 ただ、男性という生き物はマンガやゲームで得た知識以上に知らず、何を考えているかよくわからないし、少し怖い。そんなことをひとり、モンモンムンムンと考えていると、ロビンは立ち上がって突然言い放った。

「君の内面を勝手に知っておいて、俺自身が〝嘘の姿〟じゃ対等じゃないね」

「……嘘の、すがた?」

「そう、これは俺の仮の姿。この社会に溶け込むための姿。本当は——」

 そう、彼は腹に力を入れるように前かがみになると、私の前では信じられない光景が広がった。とたんにメキメキと彼の体が膨張し、破れた服の間から、毛むくじゃらの背中が姿を現した。爪は鋭く人の指ほどもあり、耳の生えた顔は凶悪なキツネのようで、大きな牙は圧倒的な捕食者のそれを思わせた。家が壊れてしまいそう。背の高い本棚を越え……いや、屋根にまでも届きそうな大きな体。

「ヒッ……‼」

 二つの足で床板を軋ませながらこちらへ向かって歩く獣を見て、私は声を出すこともできずに思わず後ずさった。

「殺される」とだけ思っていた。このまま食われて、私は知らない世界でその生涯を終えるんだ。死にたがりのくせに、こんな時はきちんと恐怖を感じるのか……?

「驚かせたね。ごめんね。これが俺の本当の姿。〝聖獣〟ロベルトだ。よろしく」

 変わらない声。ロビンはそう言うと、私の頬をペロリと舐めた。どうやら、ほんのかすかに芽生えかけていた私の恋は、早くも終わりを迎えたらしい。


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