狭間の映画「カールじいさんの空飛ぶ家」

 最初期の短編「ルクソーJr.」のころから、CGアニメーションが特殊なリアリティ感覚を提供する技術であるということについてジョン・ラセターを筆頭とするピクサーのスタッフたちが理解していたということは、この突拍子もないキャラクターを主役に据えた作品を観れば明らかである。そして世界初フルCG長編アニメーション映画である「トイ・ストーリー」が提供したのは、我々がかつて知っていたリアルとファンタジーのどこにも位置しない、その狭間をゆくリアリティライン(作品固有の、リアリティの線引き)だった。


 CGアニメーションが実写と見わけもつかないほどのレベルに達したのはここ10年程の急速な進化によるもので、初期の技術水準では生身の人間を画面に登場させることすら危うかった。リアリズムと無縁なキャラクター/世界観で映画を作ればこの問題を回避できただろうが、ご存知の通りピクサーの作り手たちはその手法を選ばず、自分たちの持つ技術レベルで表現可能な領域を慎重に見極めながらも、自分たちが表現したいリアリティに必要な技術を開発しながら映画を作ってきた。初期ピクサーの映画の歴史はそのまま、CGアニメーションの技術進歩の歴史と重なっている。ところで、リアリティを規定する重要な因子のひとつが「重力」である。モノの質量感覚ないし重力感覚が視覚的に伝わってこなければ、その作品にリアリティを感じることもない。そんな初期ピクサーの「重力」描写技術⇔リアリティとの格闘の歴史を経て生み出された作品が「カールじいさんの空飛ぶ家」である。


 宮崎アニメからの影響なども感じさせる「カールじいさんの空飛ぶ家」が、宮崎アニメ同様に、上昇・下降という運動を物語の要としていることは想像に難くない。「浮き上がる」「浮ついた」「地に足が付いた」というのはこの上下運動を連想させる比喩表現だが、まさにCGアニメーションにおいて、とりわけこの作品において、リアリティの線引きというのは上下運動とそれを支配する重力によって規定されているのである。


 ピクサー映画の歴史を振り返ってみても、これほど激しくリアリティラインが変動する作品はちょっと見当たらない。世知辛い現実社会を反映していてあまりにきつく感じられるような、孤独な老人のさびしい一幕(ピクサー映画において初めて人間の血が画面に映った?)が描かれたかと思えば、飛行機を運転する犬だの、風船で飛ぶ家だの、絵本でしか許されないのではないかというようなファンタジーを見せる。我々はいつの間にこんなフィクションのレベルまで引き上げられたのか? もちろん、家が浮き上がる瞬間に映画が動いたのだ。あの溜息が出るほど美しい瞬間に浮き上がったのは家だけでなく映画そのものである。完全な虚構、うそを画面いっぱいに広げながら、確かな技術により演出された説得力ある重量感で、違和感を与えることなく現実からフィクションのレベルへ飛翔するあのシーンは、この映画で最高級に美しい瞬間だった。フィクションだけが描ける美しさである。

 灰色の現実からフィクションへの逃避。「死」を連想するのも、観客の勝手だ。


 しかしこの映画が凄いのは、それが物語の始まりに過ぎないというところにある。現実から虚構へ飛翔した主人公は、上空で「ずっと空に浮かび続けている男」に出会うのである。

 彼はずっとフィクションの中に身を置いている。彼から見た世界は自分を主人公とするストーリーであり、行く手をはばむ者は皆、敵である。ここで主人公は、この男のようになってはいけないことを確信し、観客には天か地かという単純な二択では済まされないのだということが理解される。


 そしてこの映画は、主人公の家そのものと同様に、上昇を続けたまま完全なファンタジーや夢の世界に到達することもなく、あるいは身もふたもないリアルの地平に墜落することもなく、あくまで「狭間」、その狭間をたゆたい続ける。これはCGアニメーションという特殊なリアリティを提供する技術にしかできない綱渡りであり、だからこの映画はメタ的な意味においてスリリングで動的である (さらに言えばこういう考え方において、夢を追い求める男――主人公と探検家――がなぜ空を目指すのか、主人公の鏡映しである探検家の最期がどのようなものだったか、は必然的な帰結として理解される)。

 重力に支配されながら、時に重力に抗いつつ、天地の狭間をたゆたった物語/主人公は、ついに着地点、つまり「身の置きどころ」を見出す。これはそういう物語である。

 

 また、上空と下界は、ある意味で世界の二種類の見方である。我々はふだん地べたをはいつくばって、地に足が付いた視点で物事を見ているが、その見方が正しく適切である保証はどこにもない。だからこそファンタジー、というかフィクションは凝り固まった見方を解放させる特効薬になるわけだが。


 天と地に象徴されるその分裂したリアリティラインは、この映画のラストショットでたやすく手を結ぶことになる。ラストショットがどのようなものだったか、忘れた人には見返してほしいので詳しく語らないが、たった一画面を見せるだけでそれを実現させてしまう手腕に感心しつつ、この映画のあまりの優しさに胸を打たれる。

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