結
佳祐
『君がこの男の命を背負ってはいけない』
それが、俺が復讐に失敗した理由だった。
あの日、件の男を追い詰めた俺が、あと一歩で男の体に包丁を突き立てようかという時、男の胸から刃が生えた。
背後から日本刀で男の心臓を貫いたのは、父と交流を持っていた、男の被害者家族のうちの一人だった。
失血性ショック死。
男は自分を殺した者の顔を見ることもなく、俺に縋りついたまま事切れた。
だからだろう、死後幽霊となったあの男の魂が、俺の元に辿り着いたのは。あの男にとっては、自分の死=俺――蘆屋佳祐であったのだから。
『君のお父さんは、最後まで復讐に反対していた』
奴を殺したその中年の男は、人を斬殺したとは思えないほど穏やかな声で、それでも力強く、俺を叱った。
『何故だと思う? 君を殺人者の息子にしたくなかったからさ。彼は、自分のことよりも、奥さんのことよりも、何より君のことを大切に思っていたんだ。そんな君が、一体どんな理由で忌むべき殺人者に身を落とそうというんだい?』
俺は何を言うこともできず、深い喪失と挫折を抱えたまま、とぼとぼと帰路についたのだった。
俺を叱った男は、翌々日――つまり、あの不可思議な一夜が明けた次の日の朝に、警察に出頭し、そして、過去三件の殺人の罪も認めた。無期懲役が求刑され、執行された。
叔父は死んだ。
元々、人の身に合わぬ魂を詰め込まれていた体のほうに限界が来ていたらしい。
貞子によると、あの日の前の数週間は特に状態が酷く、血圧は常に200を超え、睡眠は2日に1度、30分程度しか摂っていなかった。また、異常な新陳代謝によって、一日の摂取カロリーは3万キロを下らなかったという。
『あっちの方も凄かったわよ。毎晩毎晩色んな女の人とっかえひっかえしてワッショイワッショイ……』
両腕を抱えて身震いした貞子の後ろから、『見てこれ! こんなにいっぱい! 佳祐、あんた少し持って帰りなさいよ!』と、不二子が何処かから見つけてきたのか大量のコンドームを抱えて現れ、顔を真っ赤にした貞子に頭を殴られていた。
貞子は十年以上の間、表面上は叔父とパートナー関係を結んでいるように見せかけて、俺の監視をしていたのだという。
いよいよあの日の晩、俺が件の男を殺すと決めていた日を狙って、あの復讐者にその情報を流した。そして、俺がものの見事に失敗し、すごすごと引き下がったのを見届けて、叔父に虚偽の報告をしたのだ。
叔父の魂を、絶望に染め上げるために。
なんのことはない。
これは、貞子の復讐の物語だったのだ。
親友を殺された彼女の、十数年越しの復讐。
俺は、ただの舞台装置に過ぎなかった。
ずっとつけっぱなしであった俺の腕の拘束を解きながら、後のことはこっちでやっておくから、と気軽に言う貞子に従い、俺は再びすごすごと叔父の家を抜け出して、自分の部屋へと帰った。
数時間前に不二子と二人で駄弁っていたときの、そのままの状態の部屋を見て、俺は唐突に訪れた睡魔に襲われ、殆ど気絶するようにして眠り込んだ。
やがて、開けっ放しであった部屋の窓から降り注ぐぎらぎらとした光に目を覚ますと、そこにはただ、眩しい程に晴れ上がった夏の青空が広がっていた。
不二子の姿も、貞子の姿もなかった。
俺はなんとなくぶらぶらと外に出ると、昨晩不二子と共に逃げ込んだ公園へと足を向けていた。
そこには夏の暑さなどものともしない様子ではしゃぎ回る子供たちと、それを微笑まし気に、いや、よくみればげんなりとした顔で見守る母親たちの姿があった。
あれほど恐ろしかった『虚ろな顔』など、どこを見渡してもあるはずもなく。
風が吹けば、どこかから風鈴の音が。
それをかき消す時雨のような蝉の声。
むっとする緑の中に、溶けたアイスクリームの匂い。
じりじりと肌を焦がす陽射し。
それは、何の変哲もない夏休みの光景で。
俺はようやく、長い長い悪夢が醒めたことを知ったのだった。
……。
…………。
そんなことを、夢見の合間に思い出したのも、偶然ではなかったのかもしれない。
俺がちょうど2年ほど前の記憶を、眠りから覚めて、それでもまだ閉じたままの瞼の中でぼんやりと反芻していると、何やら体に圧力がかかっていることを感じた。
ところで皆さん、金縛りって、あったことあります?
俺は、ある。
というか今、なってる。
頭は覚醒しているはずなのに、体がぴくりとも動かない。
そして、まだ目の開き切らない俺の顔を擽るように、重たげな黒髪が数条、垂れ下がっている。
こちらを覗き込むようにして、正面から覆いかぶさる、骨のように白い肌の女。
呪詛のように伸び広がる黒髪。
ぎょろりとした大きな黒目の下に、濃い隈。
薄い唇は青紫。
一目見ただけで暗黒に引きずり込まれそうな、女の顔だった。
「……心霊現象じゃねえか」
「失礼な!」
俺の腹の上に跨っていた女――不二子を退かすと、俺は重たい瞼を擦りながら手探りで電灯の紐を引き、枕元の置時計を探した。
「あんたね、女の子に起こしてもらってその態度はなんなの? おかしくない?」
「ばっか、お前、ふざけんなよ。まだ2時半じゃねえか。何起こしてくれてんだよ!」
てっきり寝坊しそうなのを起こしてくれたのかと思ったじゃんか……。
「はあ? 何で彼氏でもない男にモーニングコールなんかしなきゃなんないわけ? 調子乗んないでよね」
「言ってることおかしくない?」
俺はげんなりしながらもう二回電灯の紐を引くと、タオルケットを頭から被り直した。
「ちょ、なに二度寝してんのよ。起きてよ、ねえ。佳祐!」
「うっさいな、明日1限なんだよ……」
「そんなんあの似非陰陽師に代返頼めばいいじゃん!」
「あいつに俺が代返頼まれてんだよ!」
結局、俺の悪夢はまだ醒めていなかったらしい。
俺はすっかり不二子たちや幽霊たちの姿を見る力に目覚めてしまったらしく、その後もだらだらと、なあなあと、この自称死神の不気味少女との付き合いは続いていた。
高校を卒業し、大学に進学して、新しいアパートに移ったあとも(叔父の遺した資産は殆どが彼の会社の何某さんが持って行ったが、僅かに残った分け前は、それでも俺の貯蓄としては十分すぎるほどだった)、こうして不二子は時折部屋に上がり込んでくるようになり、それどころか、かつて俺の母がそうしていたように、俺は不二子の仕事をちょくちょく手伝ったりしている始末だった。
そんなことをしているうちに、俺はオカルト趣味の人間たちにも注目されるようになり、大学ではそんな連中の怪しげな活動にもほとんど無理やり参加させられ、昼に夜に引っ張りだこの生活が続いている。
辛いこともあったし、悲しいこともあった。
楽しいこともあったし、嬉しいこともあった。
そんなことを繰り返しながらも、俺はまだ、なんやかんやと生きている。
これからも、生きていく。
「ねえ、茸のバルハザクがどうしても倒せないの。昨日貞子がドヤ顔でテオの可愛い装備自慢しててさ。あのクソパリピまじでイラっときたわ。だからあたし、絶対明日はバルハ装備でマルチするって決めてるのよ。お願いだから一回寝るところまであんたがやってよ。とどめだけ私がやるから」
「いいけど、室見さんにチクっとくからな」
「……は? なんであんたが私の上司の名前知ってるわけ?」
「こないだ菓子折り持って挨拶に来たんだよ。ウチの部下がご迷惑かけてるみたいでってさ」
「いや。……うそ。え? あの、あのそういうのホント困るんだけど」
「じゃあ今日のことは内緒にしとくから、お前も俺の仕事手伝えよな。明後日、孤児院の古井戸で除霊の依頼入ってるから」
「う。ぐぐ。分かったわよ……その代わり今日はバルハの防具と武器全部揃うまで帰らないからね」
「はいはい」
……。
…………。
俺は、名前を蘆屋佳祐という。
大学2年生。
専攻は哲学。
オカルトサークル『陰陽や』所属。
好物は葛餅。
苦手なものは合コン。
趣味は神社廻り。
特技は、幽霊が見えること。
どうぞよろしく。
夜半の寝覚めはだれそれと lager @lager
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