第18話 エピローグ
『その日、私は彼が大きく成長したことを大きく実感した。サベージパンプキン独特のSEと共に、彼が暗闇から光り輝くステージへと出てきた時、2年前のサベージパンプキンからは想像も出来ない程の、自信とカリスマ性で溢れており、思わず圧倒されてしまった。1か月の失踪と2年のブランクの間、彼はきっと自分なりに答えを求め、そして見つけたのだろう。数々のサベージパンプキンの曲を聴く度、私はマルセルの心の声を聴いた様な気がしてならなかった。サベージパンプキンというヘビーメタルグループが、これから大きく変化する予感を胸に秘め、私は自分という壁と戦ったマルセルキスクに心からの拍手を送ろう』
ミュージックスピリッツ編集長 大友真澄の記事から
その日はハロウィンで、満月が美しく輝く夜であった。
PM18:30から始まった、サベージパンプキンのジャパンツアーコンサートの初日が終わり、大友真澄は暫しアリーナの席で放心状態になって居た。
「編集長。行きますよ。取材しっかりして下さいました?」
「あっ?」
見ると、会場はすっかり明るくなっていた。
先程まで一体になっていた、観客がゾロゾロと帰って行くのが見える。
なんだ…終わったんだ…。
「その様子じゃ、やっていなさそうですね。」
と、柳原和男はバッグを肩にかけながら言った。
「良かった。念の為に私が取っておいて。」
そう言って、彼は自分の椅子を畳む。
「こんなコンサートは久しぶりだったなあ。俺が我を忘れるコンサートなんて…俺達はライブコンサートなんて見飽きるほど沢山見てただろ?だから、もう感動する…なんて事はないんじゃないかって、半分諦めていたんだが…あるんだなこんな事。」
そう言いながら、真澄が立ち上がった。
「そうですねえ。私もそれを今日感じましたよ。マルセルキスクは、明らかに素晴らしいシンガーになりましたねぇ。当初はそんなこと考えもしませんでしたが、予想外でしたよ。」
「本当に。何を見つけたんだろう?あの男は。こりゃあ、明日のインタビューは凄い事が聞けるかもしれんぞ!」
そう言って、真澄はフフッと笑った。
それから、自分の座っていた椅子を畳み、柳原と並んで歩き出した。
あれから2年。
ジャーマンメタルバンド、サベージパンプキンの周辺も大きく変わった。
まず、ジャーマンレコードの社長バーナードが、今はヘビーメタルは流行らないから、と言い、サベージパンプキンを、ブルースバンドに仕立てようとした事に、ジミーが腹を立て、丁度その時期、アメリカの大手レコード会社から誘いが来ていたこともあってバンドは、そのレコード会社に移籍したのだ。
だが、「俺はドイツから離れたくない。」と、ドラムのジョージエドマンドが脱退。
代わりにアルベルトケネスがオーディションの中から受かり、ケネスを含めた5人がベルリンからロサンゼルスへと引っ越した。
プロデューサーも変わったが、マネージャーの『ドニーパウエル』は、彼等と一緒に着いて来た事で、サベージパンプキンの専属マネージャーとなり、弁護士のサマンサと日夜、マスコミや色々注文のうるさいレコード会社と戦っている。
その中で、サベージパンプキンは2作目のアルバムを発表。
2作目も波に乗って好調に売れ、その中のセカンドシングルのバラードは、アメリカのヘビーメタルチャートで2位。
ビルボードでは35位とかなりの人気を出し、プラチナディスクになる勢いにまでなった。
それから数か月後、彼等はワールドツアーを開始し、アメリカを半年ツアーした後、この日本にまた戻ってきたのだ。
すなわち凱旋ツアーという感じで、サベージパンプキンは日本の地を踏んだのである。
一方、ジャーマンレコードはというと、あんなに期待していた彼等に逃げられた事で、バーナードが反省したかの様に思えたが…決してそうではなかった。
彼は、ルックス勝負のアイドルバンドを作ったのだ。
今までの方向性とは全く違う方向で、彼の思惑は大いに当たり、10代の若者にそのバンドは受け始め、そして近いうちにプロモーションを兼ねて、来日するという。
全くどこまで続くのやら…バーナードは本当に唯では起きない奴だ、と溜息をつきながら、真澄は思った。
真澄と柳原は、コンサート会場からロビーへと出てきた。
ロビーには色々な服に身を包んだ若者達が、バンドのグッズ製品を買おうと長い行列を作っていた。
手にはバンドのパンフレットを持ちながら、それぞれが口々に話をしている。
真澄はこのざわめきが好きだった。
その中で、真澄と柳原は歩きながら話を始めた。
柳原。お前子供の名前はもう決まっているのか?」
「やだなー編集長。こんな所で言うなんて照れるじゃないですか。…まあ、一応は真由美とも話して決まっているのですが、男なら結愛斗、女なら、…真理絵にしようか…な、なんて言ってるんですよ。ハハッ」
そう言い、照れ笑いをする柳原。
「真由美もそう言っているのか?」
真澄が聞く。
「ええ。」
柳原が、答える。
すると真澄は、まだ信じられないといった顔を浮かべ柳原に言った。
「しかしなあ。お前と編集部員の大原真由美ができて居たとは知らなかったよなあ。しかも結婚をした時は、子供が3か月だったなんて、手が早いよなお前も。」
「はは…それだけが取り柄ですので…」
またもや柳原は、照れ笑いをする。
2人は自動販売機でコーヒーを買うと、それを飲みながらロビーのソファーに腰掛けた。
ふと上を見ると、素晴らしく豪華なシャンデリアがいくつも灯っており、華麗な色彩を織りなしている。
真澄がそれらの物を何気なしに見ていると、柳原が急に話を始めた。
「真理絵といえば…。」
「うん!?」
真澄が急に柳原を見る。
その様子を、柳原は驚いた様に見つめた。
「ど、どうしたんですか?編集長?」
「い、いや、別に…他の事を考えていたもので…真理絵がどうかしたのか?」
慌てて、取り繕う真澄。
その様子を、柳原は苦笑した様に見つめていた。
「浅野真理絵の話ですよ。考えてみれば、今回また、マルセルの声を聞けたのも、あの子が居なければ始まりませんでしたからね。私はマルセルキスクの1ファンとして、本当にあの子には感謝しているんですよ。今回、女の子だったら真理絵にしようって真由美と相談したのも、自分の子供が、あんな思いやりのある娘に育ってほしいと…そう願ったからなんです。」
しみじみと、柳原は言った。
真澄も、コーヒーを飲みながら。
「そうだな…。」
とポツリと言った。
しかし、真澄はハアーと、少し溜息をついた。
「今日来てますかね。真理絵さん。」
「えっ!?」
またもや、真澄は驚く。
「編集長?どうかしたんですか?今日可笑しいですよ?」
柳原が、そう言いかけたところで。
『ピンポンパンポーン』急にロビーに場内アナウンスが流れたのだ。
『お客様のお呼び出しを致します。浅野真理絵様。いらっしゃいましたら地下1階の事務室までお越し下さい。繰り返しお客様のお呼び出しを致します…』
「やっぱり、来てましたね。真理絵さん。」
柳原はそう言ったが、真澄は…恐ろしく、真面目な顔をしたのだ。
「話が違うじゃないか!ジミー!」
「えっ!?話が違うって?」
しかし、彼は次の瞬間、立ち上がると持っていたバッグを肩に掛けて言った。
「先に帰ってろ!柳原!社には追って連絡する!」
「あっ!?ちょっと待って下さいよーっ!編集長!?」
彼の叫びも虚しく、真澄は一度も柳原の方を振り向かず。
エレベーターに乗って、そのまま行ってしまった。
「先ほど呼び出しを受けました、浅野真理絵と言いますが、私に何か?」
「ああ!貴方が真理絵さんね!」
エレベーターで地下まで下りた突き当りにその事務室はあった。
中に入った白いカウンターで、浅野真理絵は不安な顔を浮かべていた。
2年前より少し大人びた彼女は、髪も長く、ラムスキンののテーラーハーフコートを茶色のブラウスの上に羽織、下の方も同じくラムのタイトスカート。
シルバーのイヤリングとネックレスをし、そして黒光りした3センチほどもある、ハイヒールを履いて、牛革の黒いバッグを持っている。
その姿を見た、事務室の少し皺の入った中年女性は、持っていた書類から目を離し、笑顔を見せて、にこやかに彼女に近づいてきた。
そして、こう言った。
「私の後に着いて来て下さい。先程からバックステージでお待ちかねですよ。」
「あの…誰が待っているのですか?」
真理絵が聞く。
「それは秘密です。言わないでくれと言われていますので…。」
中年女性はそう言うと、彼女に『サベージパンプキンジャパンツアー』と書かれてある、バックステージパスを渡すと、事務室の一番奥の茶色のドアの鍵を開けて、真理絵の前に中へ入り、後から彼女も中へと入った。
そこは…楽屋であった。
忙しそうに、サベージパンプキンとロゴが入ったTシャツを着た人々が、真理絵達を横切って行く。
荷物を持って走り去る者、衣装を抱えて他の誰かと話している者、日本語と英語が飛び交い、そこはまさしく、サベージパンプキンのツアースタッフが住むバックステージだった。
まさか、事務室の奥に楽屋と通じる場所があったなんて…
真理絵はあまりの驚きに目を見張っていた。
途中、バンドのリズムギターのウォルターバレットが真理絵達の方に向かって歩いてきた。
彼の両隣に居るのは、日本のファンの女性達だった。
しかも、相当親しい仲だと思える。
どうしよう…思わず、足がガクガク震えてきた真理絵に事務室の中年女性が言った。
「こちらの方です。」
そう言い、中年女性は右の方へ曲がった。
幸いウォルター達は曲がらずに真っすぐ通路を歩いて行く。
良かった…ホッと安堵する真理絵に中年女性が声をかけた。
「ここです。」
そこは、白いドアの部屋だった。
人気はあまりなく、中はシーンと静まり返っている、中年女性は、そのドアをコンコンと二回叩いた後、彼女の方を振り向き、「あまり、遅くならないでね。ホテルの都合もあるから、さあ…どうぞ開けて下さい。」と、言い、そのまま真理絵を残して行ってしまった。
真理絵は一体何なのか、皆目見当がつかなかったが、とにかく先程の女性の言葉通りドアを開けてみる事にした。
『ガチャ…』
『キー…』
ドアを開けると、中には人が居た。
その人物は彼女の姿を見るなり、
「真理絵!!」
と叫んだ。
「マ…マルセル!?マルセルキスク!!」
マルセルであった。
2年前に真理絵のもとで、1か月間過ごしたあの青年の姿であった。
一時は、燃え上がるように恋をし、そして花火のように散ってしまった恋を体験した、あの男性であった。
彼は2年前より、背も高くなっており、幾分ほっそりとした、締まった体形になっていた。
髪も肩までだったのが、今や腰のあたりまで長く伸びた、ブロンドになっていた。
先程の舞台衣装のまま、真理絵の前に立ったマルセルは、あの時よりも数倍男らしく大人に見える。
真理絵は、予想にもしていなかった再会に心震えた。
「ああ!懐かしい…懐かしいわ!こうしてみると、2年前のあの頃の事が思い出される。元気だった?マルセル?」
真理絵が、頬を紅潮させてマルセルに聞いた。
「元気だったよ。」
彼が答えた。
それから真理絵の顔を見ながら、「少し痩せたね…」と言った。
「えっ!?本当?嬉しい。貴方も痩せたわね。あれから色々あったみたいね?」
「うん。日本へ来るまでに、また最初からやり直しって感じだった。ドラマーが抜けてメンバーチェンジしたり、まあ、この2年の間にバンドの中の膿出しをしたような感じだった。」
マルセルが、思い返すように答えた。
真理絵とマルセルは、暫くお互いの2年の間の事を話した。
マルセルは相変わらず、子供っぽい笑みを絶やさない少年のようだったが、彼が真理絵を見つめる目は、2年前と少しも変わらなかった。
彼女の動作一つ一つを、優しい目で見つめているようだった。
真理絵はそんな彼の瞳に気付く度、まだ心のどこかでマルセルに惹かれている自分に気付いた。
彼女は何とかこの気持ちを悟られまいと、話題を変えて目を反らすのだが、それでもマルセルは真理絵の姿を追い続ける。
マルセルが切り出した。
「そう言えば、哲太の姿が見えないけど、一緒にコンサートに来てくれたんじゃあなかったの?」
徐ににマルセルが言った。
一瞬ビクっとする真理絵。
しかし、その後笑いながら、
「マルセル。貴方は私しか呼ばなかったじゃない?だから私は一人で此処まで来たのよ。」
と、とぼけた様に言った。
「あ、そうか。ビックリさせようと思ったもので…じゃあ、哲太は来ているんだね?」
瞳を輝かせながら、マルセルが言う。
しかし真理絵は、
「いえ…哲ちゃんは来ていないわ…。彼は、今忙しいから…」
と、はなし
「今日はあすなと2人で来たの。」
と言ったのだ。
「なんでーっ!?空港で別れる時、あれほど約束したのに。絶対に来てくれるって。」
「うん…ごめんねマルセル。哲ちゃんには私の方から叱っておくから…」
「だって、哲には、アリーナ席のチケットまで用意したんだよ。真理絵は郵送したから、来たんだよね?」
「うん。そうだよ。最高だったわ。貴方のステージ。」
真理絵は、そう言っていたが、心の中は少し罪悪感があった。
マルセルが帰った後、哲太はアパートを引き払って家に戻った。
真理絵は哲太が、やっと厳格な父親と話をする事を決めた時、心から嬉しがったが、年が明けたその日。
2人でドライブへ行く事になった。
最初は夜景を楽しんで居た二人だったが、夕暮れも過ぎた夜半頃、車の中で突然哲太が真理絵を抱き締めた。そして、「結婚してほしい…」彼女に迫ったのである。
突然プロポーズを受けた真理絵は、あまりの驚きに戸惑ったが涙を流しながら、彼女は哲太にNOの返事を出した。
真理絵は哲太のことが好きだった。
けれど、それは兄の様に慕うという気持ちだけで、どうしても友達以上の思いを彼に向けることが出来なかったのである。
そして、2人は別れた…。
あれだけ大好きで、大切な友人と思っていた彼と別れる事実は、真理絵にはあまりにも重すぎた。
そして、その時やっと彼女は修三が言っていた、『酷な事』の意味を理解する事が出来たのだ。
だから真理絵は、2度と哲太には逢えないとその時苦しみの中から悟ったのだ。
だが、その矢先に…あの電話があったのだ。
「あのさ…真理絵。」
徐にマルセルが言う。
その拍子に真理絵は我に返った。
いつの間にか、彼女は自分の世界に入っていたみたいである。
それを気付かれない様に、わざと声を大きめにする。
「なあに。マルセル?」
「どうして、俺が君をここに呼んだか分かる?」
マルセルが訪ねる。
すると彼女は少し考えた後、「やっぱり懐かしかったからでしょう?」と、何の迷いもなく言った。
「まあ、それもあるな…。」
そう言って彼はフフッと笑う。
「でも、本当は違うのさ。」
「じゃあ、なあに?」
真理絵が首を傾げる。
「俺は、この日本に決着をつけに来たのさ。2年前に果たせなかった大切な決着をね。その決着とは…君が好きだという気持ちさ。」
この言葉に、真理絵は拳で頭を殴られるほどの鋭い衝撃を受けた。
彼はジッと、真理絵の瞳を見つめている…真剣なのだ。
彼女は突然の事にどう対処したらいいのか分からなかった。
頭の中が、真っ白になった。
それでは…それでは!2年前私が体中の肉を引き裂かれるような思いをして、彼を諦めた事実は一体何だったのだ!?ミシェールという恋人が自殺未遂をして、あの一通の手紙だけで、貴方を断ち切らなければならなかった、その日々は一体何だったのだ?私が最近になって今の恋人を、やっと…やっと…大切に思えてきた矢先にこんな仕打ちを受けるとは…。
真理絵の瞳から涙が零れてきた。
それは際限なく溢れてきた。
彼女はその涙を拭おうともせず、ひたすらマルセルの目を見据えた。
そして憎しみと悲しみの混ざった気持ちで、彼に今の自分の思いをぶつけた。
「今更…今更そんな事…何で言うのよ!どうして?どうして?あの時ミシェールを選んだのは貴方じゃない?私はまた…断りの返事を大切な友人に言わなければならないの?哲ちゃんと同じ事を貴方にも言わなければならないの!?残酷よ!残酷すぎる!!私の心をどうしてこんなに苦しめるのよ…!何とか言ってよ!マルセル…!」
激しい嗚咽をしながら、真理絵はマルセルを何度も詰め寄った。
それは、彼を諦める事が出来なかった、あの頃の真理絵の気持ちが無意識にそうさせていたのだ。
真理絵の言葉を聞いていたマルセルが静かに目を閉じ、そして言った。
「…そんなに…今の恋人が好きなのかい?真理絵?」
マルセルが真理絵に聞く。
すると、真理絵は彼の瞳を見つめながら言った。
「好きなんて…そんな言葉では表せない…私はあの人が居たからこそ、生きる事が出来た。貴方を忘れることも出来るようになったわ…。でも、時々あなたのことが恋しくて…たまらなくなった時もあったわ。今日だって、目の前に貴方を見つけた時、私は…久しぶりの再会に心震えたわ。でも…そんな時、あの人はこう言うのよ。どんなにマルセルを思って居てもいい。でも、俺は君を愛しているんだ。寂しくなったら、いつでも俺が君の傍に居るから…。ってそう言ってくれたのよ。だから、私もあの人の気持ちに応えたい。応えて精一杯愛したい…。今はそう思うのよ。だからマルセルに、今更私のことが好きだ…なんて言われても、私どうしたらいいか…だって、貴方を傷つけたくないんだもの。哲ちゃんの時みたいに、あんな顔をさせたくなかった。」
と…ここまで話して、真理絵は少しハタッと気付いた。
何でマルセルが私に恋人が居ることを知っているんだろう?まさか…まさか…?
「真理絵。ジミーを愛して居るんだね。」
マルセルが呟いた。
「知っていたの!?マルセル!?」
するとマルセルは、真理絵の問いには答えず、
「トリックアトリート!!そこに居るんだろう!?ジミー入って来いよ。」
と、言ったのだ。
途端にジミーハンセンが、入り口の白いドアから舞台衣装のままで、きまり悪そうに入ってくる。
真理絵は目を見張った。ど…どういう事なのこれは!?
「真理絵。ジミー兼シュミーアは全部俺に今までの事を話してくれたんだ。俺がミシェールと婚約をした夜。真理絵のことを知っているマルセルに、隠しておく事が出来ないと…全て話してくれたんだ。」
そう言って、マルセルはニコッと笑った。
「じゃあ…どうして…?私のことが好きだなんて…そんな事を言ったのよ!」
「あれは、真理絵が本当にシュミーアのことが好きなのかどうなのか知りたくって、それで…悪い事だとは思ったんだけど…鎌をかけたんだ。だって、君のことが本当にあの頃は好きだったのだもの。だから、このままシュミーアに取られるのは癪だと思ったもので…でもそうしてみて良かった。これで俺も君のことを吹っ切ることが出来るし、いい友達だと…思うことが出来る。」
そう言った彼の笑顔は、さわやかであった。
「マルセル。」
英語でジミーが言った。
「ごめんな…俺、お前になんて言えばいいか…。」
ひたすら、謝り続けるジミーに、マルセルはポンと肩を置くと、やはり英語で話し始める。
「けれど、お前も良くやったよ。慣れない日本語を独学で勉強して、真理絵と付き合おうだなんて…俺だったらとても出来なかった。それに真澄も協力者で、デートの日時と場所を教えていたメッセンジャーの役割をしていたなんて、考えたよなー。」
そう言って、クスッと笑い、真理絵の方を見る。
そして、恥ずかしさのあまり、マルセルの顔をまともに見る事が出来ない彼女に向かってこう言った。
「真理絵。目を反らさないで、俺を見てくれ。君はシュミーアが好きなんだろう?俺は友達として、君とシュミーアを祝福したいんだ。俺は今、ミシェールと新しい人生を歩き出そうとしている。それは2年前君が居たからこそ、実現した事なんだよ。俺の事を気遣って2人が黙っていた気持ちは分かるよ。けれど、俺はもう大丈夫。やっと自分のレールを引いて行く力を身につける事が出来た。それは…君のおかげなんだよ。ミシェールも君には本当に感謝している。だから、今度は君に幸せになってほしいんだ。あの時俺に分け与えてくれた素晴らしい幸福を、今こそ君に返したい。だから、俺は今日君に逢った。君と決着をつける事で、真理絵の心を解放してあげたかったから…。」
真理絵は泣きながらマルセルを見た。
その涙は喜びの涙だった。
彼女はマルセルの許に走ると、思いっきり彼の体を抱き締め、そして言った。
「ありがとう…マルセル…。」
その一言を…。
それからマルセルは、気を利かせて外へと出て行った。
あとに残ったジミーと真理絵は暫くお互いの顔を見つめあっていた。
それからジミーは、彼女の肩へと手を伸ばし、ユックリと真理絵を抱き締めた。
そして…言った…。
「結婚して下さい。」
片言の日本語で、彼は確かに言った。
真理絵が驚く。
だが、ジミーは尚も言う。
「きっと…幸せにします…。」
そう言い、真理絵を更に抱き締める。
真理絵は、彼の腕の中に抱かれながら、沈黙の中で英語でこう言った。
「私でいいの?本当にいいの?貴方は、売れっ子のヘビーメタルミュージシャンよ。私なんかと結婚したら、きっと苦しむわ。」
真理絵の問いに、だが、ジミーはこう言ったのだ。
「ねえ真理絵。初めて会った時のこと覚えている?喫茶店で君はマルセルのことを一生懸命庇っていたね。俺はそんな君に、あの時から恋していたのさ。マルセルを羨ましいと、俺もあんな風に誰かに愛されてみたいと、そう思っていたんだよ。けれど、真澄が通訳を務めた、あの最初の電話の中で、君が友達からならと俺と付き合ってくれた時、それまで遊びでしか女性と付き合った事がなかった俺に、一条の灯を灯してくれたのさ。だから俺達はずっと、2人で居ようよ。2人で同じ人生を歩くのが俺達の自然な姿なんだ。その道しるべになってくれたのが、マルセルだったんだよ。」
そう言うと、真理絵を愛おしく抱き締めた。
真理絵はジミーのフサフサした金髪をいじりながら、ジミーの相変わらずの強引さにクスッと笑った。
そして言った。
「それなら…私は今日からドイツ語を習わなければならないわね。」
「何故?」
ジミーが言う。
「だって、貴方と結婚するなら…骨の髄までドイツ人になりたいの。もちろん日本人である以上、金髪や、ブルーの瞳は持てないけど…貴方をもっと理解したいから。」
ジミーは真理絵の瞳を見つめ、ユックリと口づけをした。
2人はそれから、いつまでも抱き合い、お互いの愛を確かめ合うように、いつまでも離れる事はなかった…。
大友真澄は、どうしても楽屋に入ることが出来なかった。
自分ではプレス専用のバックステージパスを持っていたので、堂々と中に入る事は出来たのだが、先程の場内アナウンスを聞いた途端、これはもう2人の事がマルセルにバレているな…
と直感で感じたからだ。
雑誌の編集者は、私情で、ある一人のアーティストに肩入れをしてはいけない事が鉄則なのに、彼は肩入れどころか、全面的に真理絵とジミーの恋の手助けをしてしまったのだ。
そう思うと…とてもマルセルの顔など見ることが出来ないほど恥ずかしかったのだ。
しかし、やはりジミーの事が気がかりのあまり、こうして楽屋近くの駐車場で待って居る我が身の辛さよ。ああ…俺ってどこまで小心者なんだーっ!!そう思い、ただ、ひたすら自己嫌悪に陥っている彼であった。
だが、その横に、モスグリーン系の上下のパンツスーツに身を包んだ、圓山あすなの姿があった。
アナウンスが鳴った途端、地下一階に行ったきり、1時間くらいたつのに、一向に連絡がない彼女を心配して、同じく楽屋近くの駐車場で待っていたのだ。
最初、真澄はサベージパンプキンのプレゼントを持った1ファンかと思っていたが、ファンが帰った後も帰ろうとしないあすなを見て、不審に思い始めていた。
だが、その時、楽屋に続く廊下から、マルセルが身支度を整えて外へと出てきたのである。
「あれっ真澄…?」
「マ…マルセル…」
慌てて、真澄が作り笑顔をする。
しかし、内心、今まで彼に2人のことを隠して居た事もあって、彼の顔をまともに見れなかった。
「マルセル…あの、真理絵は?貴方に会いに行ったはずだけど…」
あすながマルセルに心配そうに尋ねた。
「真理絵はこの中。今、ジミーと逢っているよ。」
彼が親指で、楽屋のドアを指した。
すると、あすなは、全てを悟ったらしく
「そうなの!じゃあ、今日は一緒に帰れないわね…」
と残念そうに言った。
「そう言う事。だから、あすな。今日は俺と帰ろう。」
マルセルが優しく言う。
「でも貴方、彼女が好きだったんでしょ?なぜ諦めちゃったの?」
あすなが追及する。
「まあ、それは歩きながら話すよ。とにかく帰ろうぜ。」
それから、マルセルは帰り際真澄にこう言ったのだ。
「真澄。隠してたなんて酷いぜ。俺、シュミーアからその話を聞いた時、ビックリしたよ。でも、2年もの間、お前もよく頑張ったな。シュミーアも。そして、真理絵もね…。あ、そうそう、明日のインタビュー楽しみにしてろよ。新生サベージパンプキンの誕生までの経緯をね。」
そう言い残し、マルセルは、あすなを連れて帰って行った。
真澄は暫くの間、ポカンとして、帰って行く2人の姿を見ていたが、彼の言った事を心の中で噛みしめると、プッと噴き出し、アハハ!と大笑いをする。
そして、フーっと一呼吸つくと
「やられちまったな。マルセルに。なあシュミーア…。」
と、呟いた。
外に出ると、風が冷たかった。
マルセルは黒いサングラスをつけると、一歩、一歩、歩き出した。
今日は気象庁で、一段と冷え込む夜になることを、あすなは思い出した。
ブルッとあすなは震え、そしてマルセルを見た。
するとマルセルは笑みを湛えながら、こう言ったのだ。
「気持ちいい風だなあ…。」
「えっ!?だって、2年前にマルセルが日本に来た時の温度と変わりないわよ。寒いわよー。」
「うん。でも、とっても気持ちがいい…」
そう言って、マルセルは白い歯を見せ、安心した様に笑う。
そこには、もう2年前の苦悩の姿を浮かべた彼の姿はなかった。
Thanks To
Kazumi Nemoto 編集 構成
歌を忘れたヴォーカリスト 谷口雅胡 @mimmmay7
★で称える
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