第5話 We are dying to die

 息を荒くする同伴者を、励ますように、私は不思議な地形と、そこはかとなく不気味な人たちを指差した。遠目ではよく見えないが、7、8人はいるだろう。そこまで歩み寄って、それぞれ風変わりな容姿をしているのを確認した。まさに、十人十色と言うにふさわしい様相を呈した風景だった。

 ただし、揃いも揃って珍妙な彼らには共通点がある。一様に、この場所へ死ににきている、ということだ。


 「S山の旧ハイキングコースの中程にある、目印となる大きな樹木を折れ曲がってまっすぐ」案内にはこれだけ書き記されていた。はじめのうちは、しっかりと目的地にたどり着けるか不安だった。けれど、書かれた通りに大木を折れ曲がり、獣道とも野道ともしれない険しい道をこえた先に目的地はたしかにあった。

 それに、当初の私にはもうひとつの気がかりがあった。ほんの出来心(どちらかと言えば遊び心かもしれない)で誘った、面識のないネット友達のことだ。すんなり快諾してくれはしたものの、正直、来ないと思っていた。私が冗談で招待したように、彼だって、冗談で招待に応じたのかもしれないと考えたからだ。

 どうせ、口だけなのだろう。頭のおかしい戯言ととられて、思わせ振りなことを言われて、それでおしまい。来るわけがないし、そもそも来られても困る。けれど、どうやら彼は本気らしかった。

 びっくりした。待ち合わせの場所に、喫茶店を選んだのだが、それは放置された時でも問題がないようにだ。そろそろ店を跡にしようかと思ったその時、しかし彼は来たのだった。

 たしかに驚きはしたものの、冷静に対処できたと思う。その時の私は、自分の陰鬱な気持ちを気取られぬよう、努めて陽気を装った。新島龍一と名乗った彼に演技をするたびに、私の心はひび割れていった。ガラスの亀裂が見えないように演技したはずなのに、いっそうガラスは脆くなる。

 新島は虚ろな目をしていた。しかし、何故だかその水晶体の奥に、温かい輝きがちらりとみえたような気がしてならない。私は無意識に、彼の瞳をずうっと見つめていた。まるで、吸い込まれ、閉じこめられるみたいに、すうっと。そんな私に気づいてか、彼はかたくなに私から目をそむける。小さなすれ違いに、もどかしさに近い何かが、胸をしめつけた。いや、これは罪悪感なのかもしれない。

 君は、私のせいで死ぬんだよ? 私はただ、心の中でそう唱えていた。


 自殺志願者たちは、風貌こそ違えど、全員が感情の抜け落ちたような顔をしていた。さらに、意外になことには、構成員は私たちを含め、多くを若者がしめていた。私は日本の社会に猛烈に嫌気がさしてきてならなかった。これなら少子化もうなづけるというものだった。

 集まった自殺志願者のひとりが、なにを思ってか自己紹介をし始めた。今から死ぬのに、そんなものが必要なのだろうか。私はうんざりした。

 かたわらに立つ新島に視線をうつす。彼も、気が進まなそうな感じだ。というより、何かを訝しんでいるように見える。視線をたどると、その先にいたのは、マスクで顔半分を隠している、それでもぱっとしない中年男性だった。そんな印象もあってか、見るからに怪しかった。顎の部分が露出しており、雑然とした無精髭が目立っていた。あまりに汚ならしいので、生理的拒絶感が強くはたらいた。さしずめ新島も同じ具合なのだろう。けれど心なしか、新島の顔色が、ほんの少し悪くなっているような気がした。

「僕は、前園真です。以前はピアニストをやっていました。しかし、腱鞘炎の悪化で、ドクターストップがかかってしまいまして。今ではほとんど演奏はできません。ピアノは子供の頃からやっていて、コンクールだって、良い成績を残して、いつも一番でした。コンサートも開いて、沢山の人が来場して、これからだって時に。……僕は、ピアノのない生活がたえられない! だから……、ここにいます」

 自己紹介をしだした男性は、感情を取り戻したように、にわかな心理の激動をみせた。凛々しい眉に皺をつくっていた。涙をこらえているようにみえた。いかにも、同情してくれというような、媚びにも近い自己紹介だった。

 続いて自己紹介したのは石田富雄と名乗る、げっそりとした中年だった。

「暴露話なら得意だ。なんせ私は、宗教に心酔した妻に、娘と財産を根こそぎ持って蒸発されたのだから。」

 前園とは打ってかわって、徹頭徹尾、無感情だった。なんだか脱け殻みたいな人だと思った。人間的形骸化といえば、そうかもしれない。

「……」

 中学生か高校生か見分けのつかない、鈴を張ったような目付きををした女の子が、体を仰々しく動かし注目を集める。そして、奇抜なファッションの一部であろう、肩から提げたピンクのショルダーバッグから、スケッチブックを取り出した。それにすらすらと油性ペンで字を書きだした。


 ワタシは聴覚に先天的な障害をもっています。けれどみなさんの会話はくちびるの動きでわかります。名前は柴田あかねといいます。ワタシは、普通の人と違います。世の中は、不公平だと思います。8才の頃には、すでに自殺願望がありました。


 どこか引っ掛かる文だったけれど、書かれていた字はとても端正だった。字のひとつひとつから、本人の折り目正しさが感じられる。けれど、それらが意味しているものは、ずっと悲しいものだった。

 最後に、柴田あかねはペコリとお辞儀をした。

「ほんじゃあお次は俺ですかな」

 と、肉だるまと言ってもさしあたりのない肥満体が、悠々と語りだした。

「俺にはよくできた弟がいたんだが、そいつが死んじまってね。んで、弟の恋人がいったのさ。全部あんたのせいだって。俺は無職でね。弟には気苦労をかけちまった。死因が過労というんだから、ああ言われて仕方ないかもしれない。そいで、俺も俺で思い詰めて、ここにいる。ああっと、俺の名前は御手洗(みたらし)林太郎だ」

 罪悪感にたえられなくなった、ということなのだろう。なのになぜ、こんなところにいるのか。自殺なんて、恥の上塗りなのに。たまらなく不快だった。私は思わず顔をしかめてしまった。けれど、でっぷりした同じ穴の狢は、へらへらと笑っていた。

 それから、少し沈黙があった。喉で唾液を飲む音がこだまして、それは不意に破られた。

「ぼっ、ぼぼぼ、僕の名前は、かっ、かかか、海堂淳人です。」

 海堂は、吃りつつ自己紹介をした。

「うん?おいおい。それでおしまいってのはなしだぜ。前園のあんちゃんをはじめとして、俺たちゃみんな過去を打ち明けてきたんだからよお、ここで逃げるのはずるいぜえ」

 にやけつつ、御手洗が矛先を向ける。両者はにらみあったが、海堂の方が先に根負けし、ため息まじりに癖毛をかきむしってから、語った。

「ぼ、ぼぼぼ、僕は人をころしてきたんだ。だだ、だからここにいるのさ。お、おずおずと引き返すわけない」

 場の温度が変わった。それになんだか、どんよりとした雰囲気も感じる。いくつかの蔑視の目が、海堂を責めた。それに耐えかねたのか否か、海堂は癖毛を揺らして弁明しだした。 

「しっ、ししし、仕方ないだろ! あ、ああ、あいつら、ぼ、僕にいじわるしたんだ。と、ととと、当然の報いさ」

 視線による侮蔑は続いた。皆、人殺しは嫌いらしい。

 自殺者が倫理観を持ち出すのはずるいと思う。そもそも、海堂のやっていることは御手洗と同じじゃないか。

 どうせ死ぬのだから。皆もそう思ったか、間もなく刺々しい視線はぱっと消えてしまった。海堂の罪が浄化されたように思えた。

 まるで何もなかったかのように、自己紹介が再開した。

「私は鈴木りんです。私は治療薬のない大病を患っています。悪化する前にと、インターネットで安楽死についてしらべていたときに、集団自殺の募集が目に入りました。はじめは嘘かと思いました。でも、ここで適切な分量の自決剤を配給すると知ると、いてもたってもいられなくなって……。それで、ここに来ました」

 そうだ。たしか、ここでは自決剤が配給される。だから、自決剤を目当てに来る人間だっていてもおかしくはない。

 鈴木は、清楚と言うにぴったりの女性だった。その清楚さが、どこかものさびしい感じを強調していた。同じ女性ながらに、これこそが男性の理想像なんだろうなあと感慨してしまった。

 気づけば、残るはマスクの中年と、私と新島だけだった。新島に目配せを送ってみるが、まったくの無反応だった。マスクの中年も取り敢えず一瞥したけれど、予想通り鉄のように固まっていた。

 仕方がないから覚悟を決め、深呼吸して気を引き締めた。

「私は白石翼です。ここへは、世知辛い世の中に嫌気がさしてやってきました」

 これだけ言えれば十分だった。まさか先程のように、いちゃもんをつけられたりするのだろうか。

「それだけ?」

 やはりというべきなのか、泣き虫ピアニストの前園が、目をむいて訊ねた。

「そうですが、皆さんみたいに、死ぬのには立派な理由が必要ですか?」

「なっ…」

 一同は苛立った。例によって白い目線が送られた。私は痛くも痒くもなかった。ただ、意外なことに新島はきょとんとした様子でこちらを見ていた。無関心なだけなのか、思うところがあるのか、私には見当もつかなかった。

 ともかく、私の方はあらかた言い終えたので、今度こそ新島の番だ。

「では、次は僕ですね。僕は新島龍一です。こちらの、翼……さんの友人、ていうのも変ですけど、付き添いとして? …ではなく、ここへは、一参加者として、やって来ました」

 語られた新島の言葉は、濁っているというより、澱んでいた。言い淀んだのだ。あまりにとりとめのない自己紹介に、前園たちは困り顔をしていた。

「僕からは、何もありません。暴露といえるほどの話もありません。でも僕は、有り体に言っていいのなら、死にたくはありません」


「?」

 何をいっているのだろう。はじめは理解が追いつかなかったが、やがてその意図が読めてきた。

 どうして。そんなこと。

 驚きのあまり、私は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

迷える子羊の漂着 細川たま @garasha777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ