最終話 いつか陽射しの中で
その写真には、一組の家族が映っていた。
静かに微笑む若い夫婦と、母親に抱かれるまだ幼い子ども。
いつの物かは不明だが、父も母も今より十歳以上は若い。となると私は二、三歳だろう。
「本当に、この写真しか入ってなかったんですか、あのメモリには」
私は拍子抜けしつつ、龍造に言った。あんなに苦労して持ってきたデータなのに。
「本当だよ。全ての研究データを暗号化し、高密度画素で再構成したのがこの写真だ」
なぜ父はこの写真をデータのカムフラージュに選んだのだろう。最も幸福だった時の写真だからだろうか。
「暗号をすべて解析するには何か月かかかるだろう。すまないが待っていてくれたまえ」
私は黙ってうなずいた。何も急いで全てを知りたいわけではない。ただ私自身と家族に関する事実がその中にあるとすれば、知ることは自分の義務であるようにも思えた。
「そうですか。しばらく先生にお会いできなくなると思うので、ちょうど良かったです」
「……というと?」
「ちょっとした旅に出ようと思うんです。特にあてはありませんけど……」
私が打ち明けると龍造はしばらくの間、私の顔を覗きこんで沈黙した。
「そうか。それもいいかもしれないな。……それじゃあ、バッテリーの予備を用意しよう」
龍造はことさら理由を尋ねたりはしなかった。私はほっとして「ありがとうございます」と頭を下げた。
「陽向君。……どこにいても、これだけは忘れないでほしい。直接、敵の手から君を守れなくても、我々はいつでも君の味方だ」
龍造の言葉に、私はこみ上げるものをこらえつつ強く頷いた。
「時間はかかるかもしれないけど、必ず自分を……「本物の影」を取り戻してみせます」
私は龍造と、私を支えてくれたすべての存在に向けて、あらためて誓った。
※
ラッシュ前のホームには、目覚めた町の息吹が静かに漂っていた。
身の周りの物だけを詰めたリュックを背に、私はぼんやりと電車が来るのを待っていた。
――ごめんね、みんな。
私は心の中で、黙って町を去る不義理を詫びた。母には書き置きで、円さんや若葉たちにはメールやSNSの書きこみで後から伝えるつもりだった。
唯一、いまだ目覚めぬ祖父の病室を訪ねることだけが叶わなかったが、むしろその方がいいような気もしていた。
――逃げるわけじゃない。敵が私を追ってくるのなら、正々堂々と向き合ってやろう。
一晩考えぬいた結果、私が思いついた唯一の答えがこれだった。
間違っていたとしても構わない。「影」を取り戻す戦いは、私の宿命なのだ――そう思って自分の足元を見つめた、その時だった。ふと私は人の気配が近づいてきたことに気づいた。
「陽向」
「お母さん」
振り向いた私の目の前に立っていたのは、母だった。
「やっぱり行くのね。……なんとなく、そんな気がしてたわ」
母は寂しげな、それでいてどこか明るさを含んだ声で言った。
「ごめんなさい。みんなを避けてるわけじゃないの。私にはこれしか思いつかなかった」
「わかってるわ。あなたは嫌がるかもしれないけど、どうしても言いたいことがあるの」
「言いたいこと?」
私が訝ると母は無言で頷き、うっすらと微笑んだ。
「あなたが、悩んでるんじゃないかと思って。……自分はもしかしたら他の子とは違う人間なんじゃないか、そう疑ってるのなら、ノーと言えるのは私しかいない、そう思ったの」
私は沈黙した。たしかに、父の言葉を聞いて以来、そのことは引っかかり続けていた。
――私は、もしかすると父か祖父が作った人造生命なのではないだろうか?
それなら、影を奪われたり、取り戻したりといったあり得ない出来事にも納得がいく。
そう思う半面、そうであって欲しくはない、普通の人間でありたいという思いもあった。
「あなたは普通の子。お父さんとお母さんの子どもよ。……納得した?」
私は頷きつつ「じゃあ何故」という言葉を飲み下した。母はうつむくと「父さんの研究の結果、あなたが特異体質になった事は確かよ。でも、そんなことが私たち家族に影響を及ぼすはずはない。それだけはわかって欲しいの」
別居のことを言っているのだ、と私はすぐ気付いた。決してあなたを捨てたわけじゃない、母はそれを私に言うために、ここまでやってきたのだ。
「……うん、わかってる。でも、旅から戻って私がもっと大人になったら、今よりもっとお母さんのことをわかるような気がする」
私がそう言うと、母はうっすら涙ぐみながら「そうね。楽しみにしてるわ」と言った。
やがて、アナウンスと共に電車が入線する音がホームに響き始めた。私はリュックを背負い直すと、傍らの母に「それじゃ、元気でね」と言った。
「あなたもね。陽向」
電車がホームに到着し、母が後ずさった。私は踏み出しかけた足を止め、振り返った。
「……行ってきます」
私は明るい口調で母に告げると、朝の柔らかな陽射しで満たされた車両に乗りこんだ。
「シャドウハンター陽向(第一部)」〈了〉
シャドウハンター陽向 五速 梁 @run_doc
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