うす暗い向こう側

フリフリモモ

第1話

長い髪がおそろしい。何故こんなにも怖いのか思い出そうとするも頭の中にびっしりと蔓延る長い髪が邪魔をするから思い出せない。ほら長い髪が嗤いながら私を羽交い締めにする。くるしい。あれはいつのことだったのか。これは誰の髪なのか。鏡を視る。私が映る。あぁあれはあの髪は『おかあさん』


人が闇を怖れるのはその暗がりに『何か』いると思うからだ。しかし私は真昼の明るさの中にそれを視る方が怖い。白昼堂々と私に伸びる手。白い橈やかな手。折れそうな手首に絡まる糸。ぬるりと私の首を撫ぜるその生温さに背筋がつぅっと凍る。これはいきてここに存在するものなのか『わからない』


噂話というのはいきている。人の口から口へ渡り姿を変えてかたちを変えていろさえも変えて私たちの日常に根をはるのだ。『ねぇきいた?』『あの話ね』耳を塞ぎたいのにどろどろとしたそれは私の耳を侵す。私の耳の穴から流れ込みわたしの体を作り変える。わたしはもう噂の一部だ。『聞いて頂戴』


瞼の裏がこわい。目を閉じても瞼の裏は視えるからだ。迫ってくる。せまってくる。セマッテクル。『ねぇなんでにげるの?』声がする。だれの声?聞いたことのある声音。当たり前だ。その声はわたしの声だ。『ずぅっと一緒だよ』瞼の裏にはにぃっと赤いくちを裂いて嗤うこわいかお。逃げられない。


わたしは隙き間に異常な関心のある子供だったそうだ。隙き間を一心に見つめてそこを離れない、離そうとすると火が着いたように大泣きしてハハを困らせたらしい。それは今でも変わらない。わたしは必ず部屋の扉を少しだけ開けて隙き間を作る。そこに浮かび上がるセカイが私をよぶのだ。『おいで』


赤いあかいアカイ紅い血が私の中から流れ墜ちていく。わたしの白い肌を朱色に染めていく。あぁ、私は緋色を纏い足元からズブズブと血溜まりに嵌っていくのだ。ダレのち?わたしの血?それとも貴方のチ?あぁ、もう手遅れだ。わたしは境い目が分からないほどにドロドロに融けて仕舞ったのだから。


ガラスケースに入ったセルロイドのお人形。青い目が綺麗で大好きだった。いつか私の物になるのだと思っていたのに結局私の物にはならなかったの。『手に入らないのなら壊してしまおうかしら?』私は呟く。人形はガラスケースを突き破り私の腹を引き裂いた。『わたしも貴女の物になりたかったわ』


水音がする。ポタ…ポタ…ポタ…

浴室の扉を開くと浴槽の中に青白い顔の女が浮かんでいた。生気のない女の顔。だのにその髪の毛は生き物のように浴槽を漂っていた。私は女の髪の毛に触れてみたくて浴槽に近づいた。女の髪が私の手首に絡みつく。私はずるりと浴槽の向こう側に引き摺り込まれた。


真夜中に鏡を覗く。鏡に映るのは無数の目。め。メ。眼。鏡に映るのは私の顔じゃない。沢山の目玉が無言で私を覗き込む。私はその目玉から逃げられない。私を責める無数の目が私の皮膚をヒリヒリと突き刺すのだ。振り返ると私の背後には眼窩にナイフの突き刺さった女。私が殺した女が嗤っている。


赤ん坊の泣き声が聞こえる。おぎゃぁおぎゃぁと泣いている。川に流した私の愛し子が恨めしくて泣いているのかもしれない。ふらふらと川まで歩く。真っ赤な川面に浮かぶどろどろの赤ん坊。あぁもう一度私のお腹に戻っておいで。私は私のお腹をこじ開けて再びあの子を産み直すのだ。『おかあさん』


(了)

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