バスケットコートの幽霊

戸松秋茄子

本編

 俺の人生で最も印象に残っているシュートは、プロのプレイヤーのそれでもなければ、自分が決めたそれでもない。


 お前にはきっと関心のないことなんだろう。自分が放ったたった一発のシュートが、誰かの記憶に深く刻まれるなんて思いもしないだろう。


 お前自身、もう覚えていないのかもしれない。万歳をするように掲げられた両腕。嘘みたいに綺麗だったボールの軌跡。お前がコートのほぼ中央から放ったシュートはあらかじめそう予定されていたように、惑星の周りを回る衛星のように、ゴールへと吸い込まれていったんだ。


 ずっとバスケをやってた俺にだって、あんな綺麗なシュートが打てるかどうかは分からない。だからこそいっそう腹立たしく思うんだ。お前があんな素晴らしい技術を持ちながらそれを腐らせていたこともそうだけど、何よりその腕をあんなことに使っちまったことが俺には許せない。


「ナイッシュー」


 あのとき、俺はお前にハイタッチを求めたよな。お前も無表情ながら内心ではびっくりしてたんじゃないかな。


 俺は陰気臭い奴が嫌いだ。だから当然、いつも魂の抜けたような顔で教室の隅に座ってるお前のことだって好きじゃなかった。仲間が人数合わせってんで連れてこなければ一緒にバスケをすることなんてなかっただろうよ。


 何が言いたいかって言うと、その俺が思わずハイタッチを求めてしまうくらいには興奮してたってことなんだ。お前のフォームと、ボールの軌道、その美しさに。


 あのとき、お前がハイタッチに応じていたらっていつも思うよ。そうしたら、俺の中でお前の評価はずっと変わってたはずなんだ。でも、お前はそうはしなかった。


 あのとき、なんで素通りしたんだとは訊かないよ。だって、お前はそういう奴だからな。興奮した俺がそれを忘れてただけさ。あのとき、お前が額に汗を浮かべていなけりゃ、「ちっ」て舌打ちの一つでもしたんだろうな。


 そう、俺が驚いたのがお前の汗だった。俺は表情ってのは生理現象みたいなもんだと思ってる。だから、それがないお前っていうのは俺の中では死んだような存在だった。それが生きた人間みたいに汗をかくなんて不自然じゃないか。


 ハイタッチを求める俺に対して無表情で素通りする一方で、汗だけはしっかりかいてたお前。俺はお前が生きてるんだか死んでるんだか分からなくなった。


 お前みたいないけすかない奴は中学のときにもいた。他人の親切をはねつけたり、不機嫌そうな顔をしてるのが利口に見えるとでも思ってる奴だ。


 でも、お前はそいつと違った。そういう奴は、文化祭の準備に律儀に参加したりしないし、メールアドレスを訊かれて素直に教えたりなんかもしない。尤も、お前はメールアドレスをあっさりと教える代わりに、自分からはまったく送信してこなかったし、しょっちゅうアドレスを変えてそれをまるで知らせてこなかったけどな。お前はとことん受動的だった。相手をはねつけるんじゃなく、ふらりふらりと避けるようにして立ち回っていた。


 だから、あの日もきっとそうだったんだろう。お前は人数の足りないバスケに参加することをあっさり承諾した。きっと暇だったんだろ? お前みたいな奴って家で何をしてるんだろうな。ゲームか、ネットか、あるいは本でも読んでるのか。俺にはそのくらいしか浮かばない。自分だったらきっと一日だって耐えられず庭でシュートの練習をはじめるんじゃないかなって思うよ。


 お前がただコートに突っ立ってるだけなのを見たとき、驚く奴はいなかったんじゃないかな。少なくとも俺はそうだった。人数合わせ以上のことは期待してなかったんだ。驚いたのは、たまたまフリーだったお前にボールが回ってきたときのことだ。あんな綺麗なフォームでスリーポイントシュートを決めるなんて誰が予想できると思う?


 もちろん、いまではみんな知ってる。お前は地元の中学じゃ文武両道の優等生だったんだろう? それが高校に入ってどうしてあんな死んだような目をするようになったのか。それが俺には分からない。もちろん、どうしておふくろさんを殺したのかもな。


 お前がおふくろさんを殺したって聞いたときはもちろん驚いたよ。あの頃にはもうすっかり学校に姿を見せなくなってたお前だけど、教室ではみんな衝撃を受けてたんだ。まるでみんながお前みたいに死んだような顔をしていたよ。それを見たら、お前はどう思うんだろうか。ゾンビや吸血鬼みたいに、自分の仲間ができればうれしいと思ったりするのか? 


「なんで」って言う奴もいれば、「やっぱり」って言う奴もいた。女子の中には泣く奴もいたよ。小憎らしいことに、お前はけっこうイケメンだったから、隠れたファンも少なからずいたんだ。勉強もスポーツもできて、女にもモテるっていうのに、お前はいったいどうして普通の青春を謳歌できなかったんだ? 俺はそれが許せないし、不合理に思えてしょうがないよ。


 俺にとって新聞っていうのはテレビ欄とスポーツ欄に、お飾りの文字がひっついてるだけの代物だった。それを変えたのはお前だよ。俺は事件の記事を徹底して読み込んだんだ。結果としていろんなことを知ったよ。おふくろさんは首を切られていたこと。敷居の上に万歳をするように横たわっていたこと。お前はおふくろさんの首を持って自首したこと。そして同時に、お前のことを何も知らなかったことにあらためて愕然としたんだ。お前が違う学校に通う弟と二人だけで暮らししていることなんて誰が知ってただろう。


 なあ、なんでお前はおふくろさんの首を切断したんだ? ワイドショーなんかを見ると必ずそのことについて専門家が尤もらしいコメントを残してるよな。俺たちがガキの頃の事件を模倣したんだって説、おふくろさんの人格を抹消したかったんだって説、生き返るのを阻止しようとしたんだって説、どれも俺には机上の空論にしか思えなかった。想像したくもないが、首を切るっていうのはかなりの重労働だそうじゃないか。あんな覇気のないお前がそれを成し遂げたんだ。よっぽどの理由があるんだろう? それはなぜなんだ。


 俺はそのことがずっと気になっていた。あんな夢を見たのもきっとそのせいだ。


 夢ってのは起きたら忘れるのがほとんどだけど、その逆に起きても覚えてる夢ってのはなかなか忘れることができなかったりするよな。俺が見た夢も、きっと俺の人生にずっと付きまとうことになるんだろう。


 どうしてくれる。


 お前に会う機会が会ったとして、まず言いたいのがそれだ。あんな夢を見せてくれやがって。


 いまでも、コートの上を駆け回っていると思い出すことがある。コーチやチームメイトも、俺がたまに幽霊でも見たような顔でコートに突っ立ってるときがあるって言うんだ。そのとき、俺は決まって「なんでもない」と答える。本当にそうだったらどれだけいいだろうな。でも、俺はきっとこれからもコートの上で幽霊を見ることになるだろうし、お前のことだって忘れたくても忘れられないんだろう。


 まったく、お前にも一度見せてやりたいよ。


 お前のおふくろさんが、自分の頭を、まるで万歳でもするように腕を伸ばしてシュートしてる光景をな。

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