第7話 古い、昔の、お伽話

 人は空に憧れる。


 そして空を飛びたいと願う。


 何もおかしいことはない。


 人類が長い間夢見てきたことである。


 ずっとずっと昔、神話の世界。


 蝋で鳥の羽を固めて空を飛ぼうとした者は、太陽の暑さで蝋が溶け、落ちて死んだという。


 それから何百年、何千年。


 天才と呼ばれ如何なる学問にも通じていたものでも、翼の設計図を残しただけで、飛ぶことは叶わなかった。


 ならば、飛ぶとは行かなくても滑空するだけならと、挑んだ者もまた落ちて死んだという。


 そして、今から百年と少し前。


 人類は空を飛ぶということに成功した。


 飛行機という翼を持って、空を飛ぶことに成功したのだ。

 その成功から時は経ち、鉄の翼とエンジンを持ってして空を自由に飛び回り始めて久しいが、しかし、その姿は原始人々が思い描いていた"空を飛ぶ"とは程遠い姿ではないだろうか。

 故に、飛行が可能になった今でも空への憧れは消えない。



 彼女もまた、その例外ではなかった。



 彼女は空を眺めていた。


 齢一歳にも満たない彼は、夜の公園の中捨てられていた。


 外灯一つない公園の端、ベンチと花壇の間に。


 何のために生まれてきたのかもわからず、そのまま死ぬ運命なのだろうか。


 それさえもわからない。


 勝手に産み、勝手に捨てた、親というべきかも悩むほど身勝手な親を恨むことも。 生まれたばかり故、自分の力で生き延びられないことも。ましてやすぐに死ぬこともできまま、ただただ空を眺めていた。


 手を伸ばしても届かない空を。


 ダンボールの中で彼は一生懸命手を伸ばす。


 もし、あの空に手が届いたとしたら何があるだろうか。


 それすらもわからない。


 車の通りも、人の通りも、風の通りすらもない寂しい空間。


 金木犀と土埃の匂いだけがする悲しい空間。



 無意識に手を伸ばしたあの空が、墨汁を垂れながしたような漆黒の空が、徐々に明るんでいった。


 黒から青へ移り変わりゆく景色の中、黒い何かが視界の中を横切った。


 それは流星のようで、しかし明るんだ空に見える流星などあるはずもなく、また黒い流星なんてものは存在しない。


 少ししてからもう一度横切ると、姿がぼんやりと見えた。


 黒い身体に黒い翼を持ち、あの憧れた空を自由に飛びまわる存在。


 名前も分からぬ漆黒の存在に、自分もなりたいと思った。


 なって、空を飛びたいと思った。


「カァー」


 名前も知らない空を飛び回る存在は、聞いたこともない鳴き声でなく。


 現代日本に生きていてその鳴き声を聞いたことがないという方が珍しいが、生まれたばかりの彼女にとって、比喩でもなんでもなくそれは文字通り初めて聞いた鳴き声だったのだ。


 拙い頭で考える、あの存在になるにはどうしたらいいか。


 羽を動かすか? しかし自分には翼はない。


 故にできることといえば、今しがた聞いた鳴き声をとりあえず模倣することである。


「かぁー」


 だが、翼は生えない。


「かぁー。かぁー」


 一生懸命真似をする。


 あの空を飛びたいから。


 しかし何度やってもあの存在にはなれない。


 代わりに、その声を聞いてやってきた者がいた。


 大人という存在。


 彼女自身望んではいなかったが、客観的に見れば一番必要な存在を、呼ぶことに成功したのである。

 幸か不幸かその大人は孤児院に勤めていた。

 幸であったのは、彼が生き延びることができたから。

 不幸であったのは、彼女がこのダンボールの中で息を引き取れば、黒の名前も分からぬ空を飛び回る存在に生まれ変わることができたかもしれない可能性が潰えてしまったから。



 それより七年経ったある日、運命の出会いをする。


「あなたは誰?」


「あたしかい? そうだね、烏天狗って呼ばれてる」


 世界は急速に姿を変えていく。


 昨日と呼ばれていた日が一昨日、先週となるように。


「ああ、そうか、知らないだろうから一つ教えてあげよう」


「ほぇ?」


「人はね、飛べるよ。どこまでも、遠く高くへ。ただ飛び方を知らないだけさ」


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Code:RAVEN 久連 詩稀 @siki-yuki

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