第二章 追憶、変わっていく日々

第6話 空に憧れた少女

 風が泣いている。

 そう表現したのはどこの誰かは知らないけれど、言うなれば今日はそんな天気。泣いている、といっても雨が降っているわけではない。雲はまばらに流れ、いつもより空が遠く感じるだけ。まあ所謂比喩表現だ。


 陽が沈み辺りが茜色に染められる時間。

 太陽が山の向こうへ消え、夜の帳が降りてくる時間に彼岸と此岸の境界線は曖昧になるらしい。

 故に、逢魔ヶ刻とも呼ばれる。


 温く乾いた風が抜けていく夕暮れに、鷹尾暁子はいつも通りの仕事をしていた。いつも通りの仕事なんて言うと、コンビニでクレーマーに叫ばれながらタバコの銘柄をおろおろと探していたり、あるいは営業先で怒られとぼとぼと会社に戻ると残業に次ぐ残業で疲れ果てている姿を想像するんだろうが違う。



「最後に言い残すことはないか?」


 よくあるハンドガン――ベレッタとかいう名前らしいが特に興味はなくこだわりもない銃を突きつけた途端、目の前で腰を抜かし立てなくなった中年のオヤジに坦々と、しかし冷酷に問う。


 副都心化計画で科学の中心地となっている研究学園都市の一角、住宅区画のマンション二十五階の一室で、自分とオヤジと二人きり。女子校生と中年オヤジがマンションの一室で二人きりとは、なんとも妄想がはかどるか?


 何、やましい事はない。


 ただ、殺しに来ただけなのだから――。


「何も言うことはないか?」


 もう一度問う。

 無駄なことだとは思う。

 だが、一応殺し屋を名乗ってはいるが、特に信念や信条なんてものはない。故に少しでも遺恨は残したくない。まあ、殺しといて遺恨ゼロは無理だろうけど。


「くそっ」


 やっと口を開いたか。


「お前、牛若の手先か?」


 銃を出しただけで腰を抜かした無様な中年オヤジは、死ぬ覚悟をしたのか年相応の声色で返した。


「ウシワカ? そんなやつは知らないし、雇い主の名前を言う馬鹿な殺し屋もいない」


「あーあ、俺の人生も終わりか。ま、力を悪用しようとした罰だろうな」


「何を?」


「なんでもねぇさ。ただ少女よ、空に憧れたことはあるか……」


「黙れッ!」


 反射的に引き金を引くと同時に、発砲音が室内を反響する。


 空に憧れたことがあるかだと!


 うるさいッ!


 空に惹かれ―――。


 空に憧れ―――。


 だが残ったものは何だ?


 空に憧れたが故に何を失ったか。


 ――――何を喪くしたのか。


「お前にわかるっていうのかよ!!!!」


 そう叫んだ頃には、彼はもう言葉を返すことはできなくなっていた――死んでいたのである。


「ちっ。伝言言うの忘れちまったじゃねえか」


 雇い主から、詳しく言えば組織から、こいつを殺す前に伝えてから殺せと言われた言葉があった。

 それを伝える前に殺してしまった失態に気づいた。

 いつもならしないはずの失敗だが、柄にもなく熱くなってしまった。


「死んだ後だけど伝言、いいよな」


 そう前置いてから、少し声のトーンを下げ、さりげなく、かっこつけて決める。


「『お前は交わり過ぎた』だとよ。詳しいことは知らんが」


 かっこつけるのは柄にもないことだが、やり場のない怒りを発散させるにはこれが一番ちょうど良かった。


「さて、死体処理しとくか」


 弾丸を窓に一発撃ち込み、全体にひび割れた窓を蹴り粉砕する。


 息が詰まるような密室から解放された部屋は、外から大量の空気を吸い込み、そして吐き出す。

 同時に、生温い風が全身をすり抜けていく。


「さあカラス達、エサの時間だ」


 呟くと同時に、割った窓から数十匹のカラスが部屋に入り、死体に群がる。


 死体処理はもっぱら、死体処理を専門とする業者が裏には存在する。


 しかし、鷹尾暁子は違った。殺しから処理まですることによって、業界内で驚異のリピート率を叩きだしていた。っていうと、普通の店みたいだが、大抵の殺し屋は三ヶ月もすればいなくなる。


 理由はまちまちだが、そのことを考慮すれば"驚異のリピート率"それだけで彼女の凄さが判別できる。だが、それだけ息が長いということは、それだけで敵が多いということと同義だ。


「あー、飛び散った血は片付けるのがめんどいんだよなぁ。くそ、感情的になってしまった。我慢我慢」


 勢いで引いた引き金に後悔を残し、後片付けを進める。


 無心になると頭に響く最後の言葉。


『空に憧れたことがあるか』


 その言葉に肯定も否定もしなかったが、現に彼女は、空に憧れていた――――。

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