第5話 揺れる夕景

 春とはいえ、四月の夕暮れは冬の残滓が尾を引く。


 カーディガンの一枚でも羽織れば良かったなと今更後悔をする。


 コンコン。


 職員室の戸をノックして、志田先生を呼ぶ。


「来ましたよ」


「おお、来宮か。来てくれてありがとう」


 手伝って欲しいものはこっちにあるんだ、と職員室を出る先生の後ろを三歩後ろで着いて行く。


「あの、先生どこに?」


「屋上だよ」


 そう言うと、校舎の教室棟と対になる特別棟の三階から屋上へと繋がる階段へ足をかける。


 普段人が立ち寄らないこの階段は、掃除担当も生徒もサボっているのか踊り場から上は埃が溜まっている。


 あーあ、掃除してないなこれ、と愚痴を言いながら進んでいく。


 いつもは鍵が掛かってて開かないが、今日は鍵を持っている。役得といえばいいのか、一度も入ったことがない屋上へと出ることが出来た。学生というものならば、全員屋上に憧れるものだ。


 ガチャン。


 屋上の戸を閉めると、二人きりの空間ができた。


「それで先生、手伝うものって?」


「ないよ」


「え?」


「手伝うものなんてないよ」


 豹変した志田先生にいきなり首を絞められた。ああ、これはヤバイな。


「死にたくなかったらおとなしく言うことを聞け? いいか?」


 今日の違和感はこれだったのか。私このままどうなるんだろう。


 まあ、死んでもいいや。


 どうせその程度の人生だったんだよ……。


「やけに大人しいな。まあそうだよな、屋上に二人きり。そしてこんなところ誰も来ないしな」


 仰々しく語る先生は更に、いじめられてるもんな、誰も助けに来ないよな、だって友達いないもんな、と続けた。


 ああ、そうだ、友達。


 はは、友達くらい作りたかったな……。


「おら、脱げよ。もう濡れてんだろ? へへっ」


 あー、割と信じてたのになぁ、志田先生。


 私の処女はこうやって奪われるのか。まあいいや、どうせ生涯誰にも奪われずに死ぬんだし。彼氏でもいれば違ったんだろうけど。


 彼氏かぁ。遠い夢だ。


 ここで反撃しても、どうせ酷くなるだけだ。だからそのまま受け入れよう。

知っている。猫を噛んだ窮鼠がその後どうなるのかを。


「なあ、さっき話した烏天狗の話、あれ嘘だってわかったか?」


 それでも。


「烏天狗なんかじゃねえよ、あれ全部俺だよ。俺が全部ヤリ捨てた奴らだよ!」


 それでも、もしここで何か出来たら?


「鳥葬って知ってるか? 死体を鳥に食わせて葬るやり方だ。殺してから屋上に放置しときゃ証拠もなんも残らない。楽だよな」


 何か、する事ができたら?


「さぁ、お前は何もできずに俺の性奴隷になるんだよ!!!!」


 そう。


 ここでもし、何か出来たら、私は変われるかもしれない。


 私は……。


「私は!」


 声にならない声で叫ぶ。


 腹の底から出したことないような、声で。


「奴隷になんてならない! 私は、誰にも飼われない! 自由に生きてんだ!」


 反撃してこないと思ったんだろう。私の声に喫驚し目を丸くしている。


 しかし、それ以上がないと悟ったのか、怒りに表情が歪む。


 諦めかけた。


 あー、このまま死ぬのだと覚悟しようとした途端、"それ"は来た。


 ドン。


 少し遠くで、しかし近くで鳴った音の方向に二人共が目を見やった。


「正義の味方とーじょー、ってか?」


 ニヤリと口角を上げ、陽気に言葉を吐く彼女の姿を私は知っている。


 今しがた鳴った音が彼女が扉を蹴破る音だと分かった時、時間が止まったような、この数秒が永遠に続くんじゃないかと見間違うような錯覚に陥る。


「鷹尾、どうしてここに!?」


「どうしてここに? まあ、そりゃあ先生がそんなことしてるからだろうなぁ」


 そう言いながら彼女は、鷹尾さんは私を指さす。


 そしてその指をパチンと鳴らすと、空には無数のカラスが現れた。


「何したんだ?」


「まあまあ、アホ面晒さずに見ててくださいよ」


 またしてもニヤリと笑う彼女の後ろで夕陽が煌々と輝く。


「ねえ、鳥葬って知ってます? 鳥に死肉を食べさせる弔い方なんですけどね」


 上空のカラス達が段々と降下してくる。そして、一瞬のうちに先生を取り囲む。


「うわ、なんだ、やめろ痛い痛い痛い!!!!」


「まあカラスたちには関係ないですよね。人間の肉なんて生きてても死んでても」


「やめてくれ!!!!」


「あなたが殺めた人たちがやめてと言ってあなたはやめたんですか?」


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 断末魔というものを初めて聞いた。


 酷くおぞましいものだとは思うが、どこか清々している自分もいた。


 錆びた鉄のような血の匂いがあたりに漂い始めると吐き気を催してくる。


「大丈夫?」


「あ、はい」


「怖かった?」


「ま、まあ」


 先程とは打って変わって、優しい口調で接してくる鷹尾さんが少し気味が悪い気もしながらも、冷静に。ここは一旦冷静に。


「ごめんなさい、ずっと」


「何がですか?」


「いじめられてたんでしょ。長い間」


「あ、はい」


「止められなかった……。いや、怖かったんだ」


「え?」


「師匠にさ、友達になれって言われたんだけど。私人見知りだから、その、話しかけられなかった」


「それって……どうゆう?」


「師匠は師匠だよ。私の師匠。そうだな、みんなには烏天狗って呼ばれてた」


 それを聞いて思い出す。


 あの時会ったお姉さんが、去り際に放った一言。



『その子の名前、キョウコちゃんっていうんだ。見つけたら仲良くしてやってくれな? きっと友達になれるから』



そうか。


あの時の……。


「あなたが……キョウコちゃん?」


「うん、そう。そうだよ。カエデちゃん」


「そうだったんだ……」


 涙が溢れる。


「ちょっと遅いかもしれないけどさ、友達になろう。カエデちゃん」


「うん!」


 嬉しくて涙が溢れる。


 小説でしか見たことのなかった現象が、現実で、しかも自分がそうなるとは思わなかった。


 ああ、しかも友達だ。


 念願の友達。


 しかも、あの憧れた鷹尾暁子が、だ。


「本当にいいの?」


「こっちこそ、本当に友達になってくれるのか?」


「もちろん!」


「なら、わざわざ返す言葉もないな」


 これが夢なら覚めたくないし、これほどまでに素晴らしいこともない。


 血生臭い出会いの中で、空はキラキラと光る。


 マジックアワー。


 日没前後の夕景が一番綺麗な時間。


 二人の影は長く伸びる。


 鷹尾暁子の手を取り立ち上がる。


 まさに私にとって魔法のような時間だ。


 私たちを祝福するようにカラス達の鳴き声が屋上から街中に木霊した。

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