迷子パンデミック

@iwao0606

第1話

初めはひとりの迷子だった。

彼は道によく迷う以外は、とりたてて普通の大学生だった。

友人たちも、よく青年を心配したものだ。

待ち合わせ場所にはちゃんと着くか、と。

「大丈夫だよ。地図を見たら、下に歩けば着くって」

にこりと屈託無く笑いながらスマホを指差す青年に、友人たちは不安を覚えたものだった。

下ではなく、南だし、スマホの道案内通り歩けた試しがなかったからだ。

青年を心配した友人のひとりは、彼をよく迎えに行った。

友人は道に強かった。ちゃんと脳内に地図を描き、方角に沿って歩くことができたからだ。

何度も迎えに行くうちに、友人は道を間違えることが増えてきた。

青年を道案内するときは、特にひどかった。

脳内に描けていた地図が、不鮮明になっていくのだった。

「迷子が移ったなぁ」

ほかの友人たちに笑われ、青年に迷子仲間と喜ばれた友人は、いい気分ではなかった。

友人は徐々に道を間違えるのが当たり前になり、まともに外に出られなくなった。

一人暮らしの狭いアパートですら迷う始末だ。

食事をするために買い物をするのさえ、命がけになってきた。

そのために宅配サービスを頼むことが増えてしまった。

玄関に出るのでさえ、困難だ。

しかも頼んでいるのに、宅配サービスすら届きづらくなったし、電話も通じなくなってしまった。

もしものことがあると考えると、友人は水場のあるお手洗いから離れることができなくなり、冷たい床に寝ることが増えた。

配管から水もやがて出なくなっていった。

次第に減っていく食糧に、友人は食べて寝て体力を温存することしか頭になかった。

異常な事態に友人は怯えて、思考がうまく回っていなかったのだろう。

静寂を破る着信音がなければ、誰かに相談するということを思い出せなかったからだ。

「大丈夫?」

それは青年の声だった。すがりつきながらも、不安と怒りを青年にぶつけた。

「大丈夫じゃない! 迷うばかりで、ろくに行きたいところに行けない!」

しばしの沈黙の後、受話器向こうの青年が話し出す。

「みんな同じことを言うんだ。しかも、最近はタクシーがちゃんと目的地に着かないとか、飛行機が謎の航路をとって墜落するとか、そんな事件ばかりなんだ」

すべてが迷いだしていると青年は言う。

信じたくなかった友人は、激しく青年を罵り、電話を切った。

スマホで本当かどうか調べてみれば、たしかにフェイクニュースではなく、本当にあった事件のようだ。

リンクをクリックしたところ、なぜか違うところに飛ばされてしまう。

リンクさえも迷子なのだ。

すべてが迷子になっている。

つまり、それは何もかもが正しく辿り着かないと言うことを意味している。

その事実に気づいた友人は、再びに青年に電話をかけようとするが、繋がらなかった。


「あれ、ここどこだろう」

のんきな声が青い空に響く。

リュックを背負った青年は、きょろきょろとあたりを見回す。

静かな街には、ひと影ひとつない。

友人たちと連絡つかなくなってから、世界は様相を変えた。

秩序立った世界は、すべて崩れさった。

何もかもが正しく辿り着かない、つまり迷子状態だった。

感染源の青年は、その事実を知らずに、廃墟の世界を歩き続ける。

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