第104話 いざデートへ②
仮交際を説得されている中の沈黙。
俺は迷わず破って言った。
「あのな、婚活と一緒にするなよ。俺ら学生だろ!」
「が、学生でも結婚できますよ! いや、先輩と結婚したいとかじゃなく!」
志乃原が無礼な内容で喚く。
そこは嘘でもプラスの意見を言うべきなのではないのだろうか。
いや、言われたら言われたで困ってしまうことも事実なのだが、どちらにしても釈然としない。
予想より筋が通っていたので納得しそうになったが、俺たちが学生の身である以上、志乃原の言った状況には当て嵌まらない。
「やっぱ大学生の仮交際なんて、だらしないんじゃね」
「先輩ー。お願いします、色々ちょっと、ほんとに」
志乃原は手を合わせて、そろりとこちらに上目遣いをしてくる。あざとさマックスの表情に、軽くデコピンをする。
「ドメスティックバイオレンス……」
「え、これで?」
「訴えてほしくなかったら付き合ってください!」
「結局脅してんじゃねーか!」
そう返事しながら、俺はまた違和感を抱いていた。
やはり志乃原から、いつもと違う雰囲気を感じる。気のせいかもしれないが、本当に何かを伝えたいのかもしれない。
仮交際をしなければ伝えられないことなどちょっと想像は付かないが。
何にせよ普段通りではまだ打ち明けることは難しいのは、僅かな寂しさもある。
「俺って年上らしいことしてるのかね」
ふと気になって質問してみると、志乃原はすぐに口角を上げた。
「はい、今でもたまにされてますよ。顔に出してないだけで、たまにドキッとしたりしてます」
「ほんとかよ」
「まあ、はい。その可能性も否めないかと」
「無理してフォローしないでいいぞ、逆に辛い」
下手なフォローは余計に人を傷付ける。
それを体現するような歯切れの悪い返事に、俺はげんなりした。
「じゃあ、とりあえず一日だけな」
「一週間がいいでーす」
「無理!」
俺は迷わず首を横に振る。
今の俺と志乃原でも、一週間連続で一緒に過ごしたことはない。
志乃原は最低でも週に二、三日は家に来ないが、今以上の訪問頻度になればストレスになる可能性もある。
この現状がお互いにとって丁度よく、絶妙なバランスで保たれていると思っていた。
「一週間ずっと一緒は無理」
再度告げると、志乃原は「何度も言わなくても」と口を尖らせた。
──本当は、もう一つ理由があった。
今の俺には、志乃原に対して恋愛感情はない。
普通の後輩に対する感情と異なっていることは確かだが、まだそれを言葉で形容することはできていない。
それでも、一週間という時間を密に過ごしてしまえば感情が変化するかもしれない。
普通の男なら、それが恋愛に発展しようがしまいが、どちらに転ぼうと構わないと思うかもしれない。むしろ志乃原のような後輩と付き合うということは、男子にとっては間違いなく自慢できること。
だが俺にとって、そして今だけは、志乃原に恋愛感情を抱くのは尚早だと思わざるを得ない。
礼奈と再スタートを切ったばかりなのだ。
今回は礼奈本人からの要望があって仮交際という流れになってしまっただけで、本来ならあり得ない話だということは自覚している。
とんとん拍子で進んだ話だが、俺は無理矢理にでも拒否するべきだったのかもしれない。
今の環境は、俺の意見を尊重してくれる。だがこれに慣れてしまうと、また思考回路が無意識に自分本位へと変化していくかもしれない。
その変移が何らかの過ちに繋がってしまう気がして、俺は怖い。
「無理、無理、無理って。そんなに拒否するなら、何か代替案くださいよ。否定するだけなら誰でもできるんですからね」
「言ってることは間違ってないけど、俺一応頼まれてる立場なんだから怒られると困る」
「怒ってないです。無茶言ってるだけです」
「自覚あるならやめろっつーの!」
「あははー」
志乃原は愉快そうに笑うと、何かを思い付いたらしく、手を鳴らした。
軽快な音が、ワンルームに響く。
「じゃあ先輩、お試しのお試しっていうのはどうですか?」
「どういうこと?」
「今日一日デートしてですね、それでアリかなって思ったら仮交際期間を一週間に延ばしてください!」
「いいよ」
「そこだけあっさり⁉︎」
志乃原は今日一番驚いた様子で大きな声を出した。
俺が了承した理由は、選択権が俺に委ねられていたからだ。
たとえ今日が素晴らしい一日になったとしても、何かしらの理由で断ればいい話。
「言質取りましたからね」
「ああ、記憶の中でだろ」
「いや、録音しました」
志乃原がスマホを俺の眼前に掲げる。
マイクのマークが、画面一杯に表示されている。
「こ、この犯罪者が!」
「ふふ。先輩、画面をよく見てください」
その言葉で目を凝らして見ると、録音データが今日の日付で残されている様子はない。俺はホッと胸を撫で下ろす。
誰かに出回る可能性は無いにしても、不意の発言がデータに残ることには多少の抵抗があった。
「ったく、驚かせんなよ。じゃあ録音云々は全部冗談か」
「いや、ガチです。間に合わなかっただけです」
「そこは冗談って言え!」
録音しようとしていた行為には変わらないことへ、俺は深い溜息を吐く。
今日の調子だと一日きりだとしても心配になってしまう。
「先輩、恋愛において最初に大事になってくるのってなんだと思いますか」
「なんだいきなり。また恋愛番組の
「ち、違いますよ! いいから早くー!」
……図星だろうな。
志乃原の態度からそう思ったが、口には出さないでおく。
代わりに答えを当ててやろうと考えたが、思い浮かんだのは実にシビアな答えだった。
「顔か?」
「はい、あとお金ですかね。まあ何が言いたいかというと、私たちくらいの年齢から、大抵の恋愛には凡ゆるステータスが付き纏うということです」
「あー世知辛い」
これまで何度も思っていたことだったが、大学生の恋愛は高校のそれとは少し形態が異なる。
そして、社会人と大学生の恋愛には更に大きな隔たりがあると思う。
「でもやっぱり中身も同じくらい、それ以上に大事ですよね。確かめる順番がちょっと後回しになるだけで、性格が合わないと付き合う事なんてできません」
「てことは、元坂とは意外と相性悪くなかったのか? 少なくとも、最初の方は」
「ステータスは恋愛に疎くたって、ある程度の常識さえあれば誰にでも判断できます。難しいのは中身の判断で、そこに恋愛の経験値が必要なんです。先輩もここで私という経験値を貯めて、今後に活かせるという訳です。勿論私も」
「おーい」
「うるさい‼︎」
「急に⁉︎」
俺はびっくりして素っ頓狂な声を上げる。
大方また恋愛番組のアンケート結果などから導き出した持論なのだろうが、恋愛観なんて人の数だけあるのだからあまり興味は湧かない。
少なくとも、大衆の意見が正しいかを確かめる為に仮交際をするという話なら、気が進まない。
そこに自分の時間は費やしたくないと感じる。
俺の時間なんて他人からみれば大した価値もないだろうが、俺にとっては何よりも優先するべきものだ。
だが同時に、志乃原自身の考えを確かめる為なら、協力してあげたい気持ちはあった。他でもない志乃原の頼みだ。
普段年上らしいことをしていない分、こうした突発的なことで取り返したい。
それに先程は流したが、志乃原の言う通り俺の経験値にもなり得る話かもしれない。
「なあ。お前自身は、恋愛に大切なものは何だと思うんだよ」
「えっ、私ですか」
志乃原は自分に訊かれることを予想していなかったようで、驚いた声を出した。
「さっきの話は恋愛番組の総括だろ。俺はお前の意見にしか興味ない。お前のためなら、仮交際も全然オッケーだから」
志乃原はポカンと口を開けて、俺のベッドから腰を上げた。
「……な、なんでそんな恥ずかしいことサラっと言うんですか! 変態!」
「変態じゃねえよ。で、答えは」
再度訊くと、志乃原は数秒俯いてから顔を上げた。
「……それが分からないので、先輩に頼ってるという訳で」
「あ、そうなの?」
俺があっさりと返事をすると、志乃原は目を瞬かせた。
「呆れないんですか?」
「別に。だってお前、最初からそうだっただろ」
恋愛経験が薄いことなんて、出逢った初日のうちに把握している。
初めての彼氏を、「恋人っぽいことがしたいから」という理由一つで作り、挙句に浮気をされて短期間で別れる。そんな強烈なエピソードには早々巡り合わない。
しかしそれは同時に志乃原自身の拙さも伝えてきて、微笑ましい話だとさえ思った。まあ本人の立場になってみれば、堪ったものではないのだろうが。
「そういうことなら、まあ一日だけは付き合うか。約束でもあるしな」
「わーっ先輩の倫理観やばー!」
「やっぱ帰れ」
「すみません嘘です照れ隠しです、可愛い一面を見せたんですから許してくださいよ、酷い先輩あんまりです!」
「五秒で立場逆転させてんじゃねえよ! 何で最後お前が怒ってんだ!」
新手の詐欺に遭った気分だ。勢いに押されて、危うく謝るところだった。
「じょ、ジョークです。すみません、でも照れ隠しなのは本当ですよ」
「ああ、そうかよ」
このタイミングで言われても全く信じられないが、そこに言及していたら話が進まない。
俺は軽く息を吐いてから、後頭部をポリポリと掻いた。
「じゃあまあ、とりあえず今からデート行くか」
そう言うと、志乃原は目をパチクリとさせて一瞬静止した。
カノジョに浮気されていた俺が、小悪魔な後輩に懐かれています 御宮ゆう @misosiru35
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