変声人魚と無自覚な恋

千賀春里

第1話 人魚姫の声

 日差しが温かく差し込む庭はこの時期、美しい薔薇の花で彩られていた。

 庭園には噴水があり、水飛沫が光を浴びてキラキラと輝く。そんな美しい庭園に設けられたテーブルにはケーキやクッキーなどの甘いお菓子と紅茶が並べられている。

 ケーキを頬張り、香りの良いミルクティーに口を付ける。

 膝裏まで伸びた艶やかな黒髪とアメジストの瞳が印象的な美しい娘の名をオルディアと言う。

「御馳走様」

その容姿に似つかわしくない老女のような声でオルディアは言った。

「相変わらず、よく腹に入るな」

 向かいに座った男は呆れ声で言う。しかしその目は優しく細められている。

 オルディアは傍にある噴水の縁に腰を下し、水の中に手を入れ、波紋の広がる水面を眺めて楽しんでいる。魚達と意思疎通の出来るオルディアに噴水に放たれた金魚が近付く。

「そろそろ戻らないとまた陰口叩かれるよ」

 銀糸の髪に端整な顔立ち、サファイアの瞳が美しく、知的でクールな印象を与える。

 カルマン国第二王子のミラーは政務の合間を縫ってオルディアの元にやって来る。

「気にしていない。それより、あまり水に近づき過ぎるなよ」

「別にこれぐら・・・・・・っうあ」

 噴水が一瞬勢いよく噴き出し、オルディアの身体に水が掛かる。

「手を貸そう」

 ミラーは形を変えたオルディアの下半身に目をやる。ドレスの裾から覗くのは足ではなく大きな魚のひれだ。

「人魚姫」

 オルディアは人魚姫の末裔であり、保護された人魚達の長である。普段は人間の足で過ごしているが大量の水で身体が濡れると人魚の姿に戻るのだ。

 帝国、カルマンはかつて助けた人魚姫が祝福の歌を贈られた事により繁栄した国である。それ以来、王族により保護され、手厚いもてなしを受け続けている。カルマンでは人魚は国の象徴であり女神同然の存在で、人魚の使いとされる魚は女神の使いだ。

 何者でも魅了する歌声を持つ人魚姫達はその歌声で王族を魅了し、歌を歌い、国に祝福と繁栄をもたらして来た。

しかし、人魚姫であるはずのオルディアの声は老人のようにしわがれている。幼い頃は愛らしく、綺麗な声だった。ある頃より突然声質が変化した。このままでは不吉な事が起こるのではないかと危惧した国王は声を元に戻す方法を探すように第二王子に命じたのである。

 ミラーはあらゆる文献や資料をひっくり返し、喉によい食べ物を用意したり手を尽くしてくれているが成果は芳しくない。

 ミラーに抱えられて部屋に戻り、服を着替えた。

 ミラーと別れて読みかけた本のページを捲りながら溜め息をつく。

「図書館行こう」

 宮廷内にある図書館で本を借りるのがオルディアの楽しみの一つだ。

今読んでいる本はあまり面白くない。他に借りた本は読み終えており、読み終えていないが返却することにした。

 人魚達は敷地内にある真珠館という建物に住んでいる。人魚達が過ごしやすいようにと立てられたのだ。人魚達は真珠館で生活しているが許可が下りれば城外への出入りも自由だ。宮廷内も規制がある場所以外であれば行動の制限はない。

 オルディアは真珠館を出て、城内にある図書館を訪れた。本を返却し、ふらふらと棚沿いを歩く。

 ふと目に着いた本の前で足を止め、棚から引き抜く。昔、読んだ事がある本だ。

 古びた表紙には人魚の歴史と書いてある。

 今でこそ国の象徴であるとか、女神だとか持てはやされているが、残酷な歴史もあった。

 不老不死の薬、万能薬だとされ、王族により多くの人魚が犠牲になり、高く売られたり、国交の為の貢物にされた歴史も確かに存在する。人魚を貶めた者達は人魚達の不興を買い、早々に命を落としたらしい。

 幼い頃、この本を読んだ時は震えた。自分も大好きな母や祖母、他の人魚達もこんな目に遭うのではないかと恐怖で泣いた。

 ミラー様が慰めてくれたっけ……。

 昔からオルディアが泣いているとどこからともなくやって来てオルディアの頭を撫でてくれた。優しい手の温もりは今も忘れず残っている。その時、歌を歌うならこの人の為に歌いたいと思った。逆に自分達を守ってくれない王族達の為になど歌わない、祝福も加護も与えたくないと思ったのだ。

「やぁ、麗しい姫君」

 背後から声がかかり、振り返るとそこには第一王子であるロイスが従者を連れて立っていた。

「ご機嫌麗しゅう、ロイス王子」

 輝く金髪にルビーレッド瞳、母は違うが端整な顔立ちはミラーと似ている。

「相変わらず、ミラーは頻繁に君を構っているらしいね。時間があるようで羨ましいよ。私も時間の許す限り傍にいてあげたいのだが」

「お気持ちだけ頂きますわ、王子」

「ロイスと呼んで欲しいと何度も言っているのにつれない姫だ。声の方はどうだい? 何か掴めそうかい?」

「……」

「まぁ、ミラーでは仕方ない。あれは無能だ。今は政務で忙しいけど、必ず姫の力になるよ。声が戻らず、本来の役目が果たせなければ肩身が狭いだろう?」

「ミラー様は無能などではありませんよ」

 オルディアが言い返すと虫を見るような表情になる。

「ロイス様、お時間が」

「あぁ、ではまた。姫君」

 ロイスの背中が完全に見えなくなったのを確認して、何も借りずに図書館を出た。

「嫌味ったらしい」

 オルディアは昔からあの王子が苦手だ。その容姿から見れば、物語の中から出て来た王子様のようである。しかし、いつも瞳の奥は冷たく、優しい口調には棘がある。そして側室の母を持つミラーを見下している。

 恐らくオルディアがミラーと親しくするのも快く思っていない。ロイスは会う度にミラーを貶めるような事をオルディアに吹き込み、嫌味を言う。最近は特にあからさまだ。

 オルディアはその度に耳を塞ぎたくなる。自分の為に心を砕いてくれているミラーをそんな風に言われて激しく気分を害する。

 オルディアは知っていた。ミラーは王位継承権は第二位だが、その能力はどの王子達よりも勝る。頭脳明晰で王宮剣術を完璧に習得出来たのもミラーだけだ。

 国王がオルディアをミラーに任せたのはその為だと踏んでいる。

全く、争いの火種を生まない為に控え目に過ごしているだけなのに何故馬鹿にされなければならないのか理解し難い。

 陰口を叩かれていてもミラーは何も言い返さない。優秀なミラーを無能と言う者達も、無能と言われても何も言わないミラーにも腹が立つのだ。何も出来ない自分にも。

 いずれはロイスが国王になる。今の王は人魚達にとてもよくしてくれている。だが、ロイスが即位したら、何かが大きく変わってしまう気がしてオルディアは怖かった。

「どうした? 浮かない顔をして」 

薔薇庭園を通り、真珠館へ向かっていると背中に声が掛かる。一人だったはずの庭園にいつの間にかミラーの姿があった。

 即位するのが貴方なら良いのに、とは言えず、オルディアは曖昧に微笑んだ。

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