第3話 不穏な気配
「視察?」
「急な話だが、何日か城を開ける事になったからオルディアに伝えてくれと言っていたよ」
「そうですか。珍しい」
「ミラーも忙しいんだよ。自分の代わりに姫を気に掛けて欲しいと言っていたよ」
オルディアは薔薇庭園でロイスとお茶をしていた。珍しいのは視察へ行く時は必ずオルディアに告げて行くのに今回は何も言わなかった事だ。
それからミラーに会えない日が続いた。何日も会えないと分かっていれば、出掛ける前にも顔を出し、出先から手紙を寄越すような男だ。何だか心配になる。傍にいてくれる人がいない事がこんなにも寂しいとは思わなかった。ミラーがいてくれたから寂しくなかったのだと今更思い知らされる。
「早く帰って来ないかな」
「まぁ、姫様がそんな事をおっしゃるなんて」
部屋に入って来たのはオルディアが一番信頼している人魚のリズだ。
「今までこんな風に思った事なかったから」
胸が締め付けられるような寂しさをオルディアは経験した事がなかった。
ミラーがいないと分かっていても優しく触れる手、甘い声を無意識に探してしまうとは。
「私、ミラー様が好きなのかも」
「え? 今更何をおっしゃっているんです?」
「いや、お母さんやリズの事が好きなのとも違うんだよ」
「そんな事は知っていますよ。相手が特別でなければ髪や手に触れたり、まして入浴中に男性に覗くのを許したりしませんわよ」
「……知ってたの?」
浴室に入って来るのはミラー専用の浴室を使わせてもらった時だけだ。リズの預かり知る所ではないと思っていた。
「他の男性にそんな事許せます?」
「……無理」
恥ずかしいと言うより不快だ。
「肌を許すというのは相手が特別だからこそです。はぁ、愛されている自覚はあるのに愛している自覚はないなんて」
「みんなには内緒ね」
「それ、内緒にする必要あります?」
誰から見ても相思相愛なのは分かりきっているのに、これ程馬鹿らしい話はあるのかしら……とリズは言う。
「まぁ、良いでしょう。それから、お耳に入れたい事が。海辺から人の呻き声が聞こえるという噂はご存知ですか?」
物思いにふけるオルディアを横に話題を切り替えた。
「城の西側の崖下で水牢がある場所から人の声が聞こえるそうです」
城の西側は崖になっており、崖下は海だ。西側の地下には地形を利用して造られた水牢があり、満潮になると海水で沈むようになっていると聞く。
「数日間晴れが続いて満潮でも水位は高くありませんでしたが今朝方の大雨で今夜は確実に沈みますわね」
「その呻き声の話って誰がしていたの?」
「真珠館に来た魚達ですわ」
真珠館はいつでも海水に触れられるようにと海に面している場所に造られた。真珠館の裏は、海へと通じている。魚達は綺麗な珊瑚や真珠、貝殻、海に流れていた光物などをわざわざ届けてくれるのである。
「誰かが捕まってるって事? まさか」
嫌な予感がした。不安が大きく胸の中で膨らんでいく。
「気になって調べてみたんですけど、やはり誰か閉じ込められて水責めにあっているそうです。しかも複数」
さーと血の気が引いた。心臓がバクバクと大きく脈打ち、呼吸が苦しくなる。
「誰が囚われているのかは、魚達では判断できないようですが、こんな事を口にしたくはないですけれど……」
困惑するリズと目が合う。リズもオルディアと同じ予想をしていた。
何日も会いに来ないミラー、果たしてミラーがロイスに伝言なんて頼むだろうか。しかも自分の代わりに気に掛けるように頼むとは思えない。今までのミラーの行動を顧みればおかしな点が多すぎる。
「海に出る」
「姫様はここでお待ち下さい」
「いや……私が行く」
もし、貴方が危険に晒されているならば助けるのは私でありたい。
「貴女の身に何かあっては困ります」
「なら、共に来なさい」
「は、……はい」
一瞬、リズはオルディアの声が透き通るように澄んだものに聞こえ、唖然とした。
「夕暮れが近いすぐに向かう」
自分の耳が正常に機能しているかも分からないままリズはオルディアと共に海へと出た。
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