末夜

末夜

 ろうそくがフッと吹き消された。室内はろうそく一本分暗くなり、人々の顔もだんだん判然としなくなってきた。

 「いやぁ、さすがは神隠し返りされた葵殿のお話だ。〟作り物語〝とはいえ、身の毛のよだつ怪奇話ばかりだな」

 ある一人がそう言った。すると、部屋の真ん中に座っていた白い肌の美しい青年が艶やかな笑みを浮かべながら口を開いた。

 「〟作り物語〝とお思いですか?」

 部屋が一瞬凍りつく。百物語参加者たちは乾いた笑みを浮かべながら、ご、ご冗談を…、とか上ずった声を出す。

 「いやいや、こんな恐ろしいことが実際に起こったと言うのなれば、恐ろしゅうて眠れんぞ」

 「それも、掛軸より怪異が現れるなんて。そんな話が誠なれば、もう部屋に掛軸を飾れませぬなぁ」

 口々に言う。それに対して青年――葵は、そうですね、と至って普通の返事をする。恐がる素振りも微塵も見せない。ただ楽しそうに笑うのみであった。

 「この話が真か偽か。それは百物語ではさして重要ではありませんからね。……さ、九十五本目です、まだ語りますか?」

 彼らは迷っているようだったが、瞬間、突然ある一角から悲鳴が上がった。どうした、と別の人間が聞くと、悲鳴をあげた女が黙って襖を指さす。そこには揺れる火に照らされて襖に大きな猫の姿が映っていた。しかし、室内にはどこにも猫などいない。それに気がついた人々はさらに悲鳴を上げる。

 「おや?どうなされました?」

 葵が少しだけ驚いたような表情をする。しかし、それだけだ。それ以上驚くことも叫ぶこともない。そんな異様な様子を目の当たりにした参加者の一人がハッとある噂を思い出す。

 曰く、「神隠し返りの葵は人ならず者、彼の主催する百物語会には必ず怪異が現れる」と。

 思い出した矢先に、室内をバタバタバタと何かが走るような音が聞こえてくる。さらに悲鳴が上がっても彼は平然としている。

 「おや?まだ五本もあるのに、もうおやめになります?」

 首を傾げながら訊ねる。瞬間、今度はろうそくの火が勝手に消えてしまう。

 「ひいぃ!」

 「ご、ご勘弁を!」

 ろうそくがフツリと、一本、二本、と消えていく。すると、暗くなった室内に、まるでろうそくの火の代わりのように青白い光の玉が現れる。よくよく見ると、それがろうそくの火をパクリパクリと飲み込んでいるではないか。

 走る音も止まない。室内は悲鳴に包まれ、人々は我先にと屋敷の外へと逃げていってしまった。



 「あらら、まだ残っているのに、ろうそく」

 葵が残念そうに言う。

 「脅かし過ぎたかな?」

 クスクスと笑う声が聞こえてきたと思うと、空間にこれも大変美しい少年が現れ、葵に語りかけてくる。

 「そうだね、もう少し手加減してよ、アオイ、シラタマ」

 肩をすくめながら言うと、アオイの肩にいたシラタマがにゃーんと鳴く。

 《手加減したらおいしくないんだよね、アオイ》

 「そうそう、手加減したら全然美味しくないんだ」

 「じゃ、今日は美味しかったのかな?」

 「うん、さっきのはなかなかだったよ」

 そう言いつつ、アオイは最後の一本のろうそくの火をつまみ上げ一口で飲み込んだ。


 こうして、ろうそくの火は全て消え、漆黒の闇が辺りを支配する。その闇の中からはクスクスと楽しそうに笑う声が、いつまでもいつまでも響いていた。


 完

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青螢怪草子 朱鳥 蒼樹 @Soju_Akamitori

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