証拠

nobuotto

第1話

 応接間に入ってきた大月に気づくと、その女性はスッと立ち上がって挨拶をした。

 背が高く、黒い髪が腰まで伸び、色白で涼し気な切れ長の目をしている。

 山口の事務所から来たのだと言っていた。

 「あの下世話な山口の事務所にこんな美人がいたのか。まさに掃き溜めに鶴だな」 

 大月は思った。


「先生、こんな時間にお邪魔して済みません」

「まあ、いいから、座って下さい」

 大月がソファーに深く越しかけたとたん、飯島と名乗るその女性は立ったまま話し始めた。

「先生。どうして、あそこまで山口を否定なさるのですか」

 予想していた通り、大月が出演した昼の生番組の対談に対するクレームである。

「まあ、いいから座りなさい」

 飯島は静かにソファーに腰を下ろした。


 UFOのプチブームがまたやってきた。

 UFOブームが来るたびに、UFOやオカルトを否定する物理学者として大月はテレビに呼ばれ、UFO研究家の山口と対談をさせられる。そこでUFO肯定派と否定派の熱い討論を行うのである。UFOブームのたびにやらされてきたので、激論を交わしつつも最後には謎を残すという暗黙のルールが二人の間にはできていた。その方がお互いのためだった。


 しかし、本職の研究で壁にぶつかっていて腹の居所が悪かった大月は、今回の対談では一気にまくしたててしまった。激論どころか山口を黙らせてしまったのであった。番組スタッフも大月の大人げない態度に言葉を失っていた。


「今日の態度は悪かった。反省していると山口さんに伝えておいてくれますか」

「いえ、そういうことではなく、宇宙人がいることを分かって欲しくて」

 面倒臭い話になりそうだ。職業でやっている山口と違い、この女性は本当の信者に違いない。


「先生。宇宙人は人間に姿を見せる気はありません。だから、宇宙人を見たという人は間違っています。だけど完全に存在を否定されるのはとても悲しいことなのです」

 どうやら、存在を信じる段階から宇宙人と知り合いだという段階まで進んでいる信者のようだ。映画の世界をそのまま自分の世界に持ち込んでいる輩である。

 普通なら相手にしないが、なまじ飯島が美人なので、逆に不憫になってくる。

「ひょっとしたら、あなたは誰かに騙されているのかもしれませんよ」

「山口にでしょうか」

「いや、彼はそんなことはできません。そうでなくて、あなたに対して自分は宇宙人だと名乗っている人がいたらという事です。その人はあなたの理解を超える事をやって見せたかもしれません。しかし、マジシャンが超能力者だと言っても誰も信じないでしょ。もし宇宙人と名乗る人がいたら、同じように考えてみてはどうですか」

 飯島は独り言を言うように話し始めた。

「その宇宙人は三百年前に家族とともに漂流してここに来ました。百年前に両親と姉が亡くなり、それから一人でずっと暮らしています。百年間もです。その孤独で辛い気持ちだけは理解して頂けますか。そうした宇宙人が地球にはまだいるかもしれない。けれどみんな隠れ生きているので、出会うこともない。百年間誰とも出会えないけれど、それでも地球に仲間がいるかもしれないと思うだけで生きていく勇気、最後の気持ちの支えがあるのです」


 よく聞く話しだ。これ以上付き合っていられない。

「済まないが、夜も遅いのでまたの機会としましょう。今度来る時は事前に連絡して下さい」

「どうしても信じてもらえないのですね」

 飯島は寂しげに立ち上がった。

 一瞬目の前に全身緑に包まれた人間が見えた。目をこすって見直すと飯島である。寝不足で疲れているのだろう。

「まあ、とにかく、いくら宇宙人と言っても、生物が何百年も生きていられるわけないから」

 大月は追い出すように飯島を玄関まで連れて行った。

 玄関から家をでようとした飯島が急にふりかえった。

「先生、これ飲んでみて下さいませんか。私の気持ちが分かるかも知れません」

 飯島は大月に小瓶を渡した。そして飯島は帰っていった。

 

 何が入っているか分からない液体を飲めるわけがない。

 大月は部屋に戻ると、キャットフードをプレートに盛り、小瓶の中の液体を全部ふりかけた。子猫が食べ物の臭いに引き寄せられプレートにやってきた。そして、一心にキャットフードを食べ始めた。その横で大月はビデオを回した。子猫が死にでもすれば、飯島、そして山口を訴えてやろうと思っていたのだった。

 何事も起こらなかった。食事を終えたは子猫は満足そうに「ニャー」と小さい声で鳴いて部屋を出ていった。


 それから、大月は山口とも飯島とも会うことはなかった。UFOブームも直ぐに飽きられ、UFOブームも二度と来ることはなかった。

 その山口も数年前に亡くなった。

 山口の訃報を聞いた時、二十年前の出来事について確認しておけばよかったと大月は後悔した。

 飯島という女性が本当にいたのか。

 もうすぐ自分にも死が訪れることを大月は分かっていた。自分なりに満足のいく人生だったと思うが、ただ一つの心残りは飯島だった。


「いたんだよね。それは私も分かっていたんだけど」

 ベットに横たわっている大月がつぶやくと、それに答えるように「ニャー」と鳴き声がした。

「ああ、お前はそこにいるのか」

 もう何も見えなくなっていた大月は鳴き声に向かって手を伸ばした。

「彼女を信じれば、もっと生きていられたのかなあ」

 そう言って、あの日から二十年経ってほんの少しだけ大きくなった子猫の頭を撫でるのであった。


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