たしかにノーミュージック、ノーライフなんやけれどもね


 こないだ夫と酒を飲みつつしゃべっていて明確にわかったことなのだけれども、自分の好きな音楽のことを話しているとき、ひとは(ていうかわたしは)どうやら馬鹿になっているようなので、出来るならば酒席その他でそういう話題は避けた方がいい。

 音楽というのは人間の魂にじかに触れる、なにか原始的・根源的な力を持ったものらしく、感情のヒダに直接作用してくるため、好きだとか嫌いだとか、一方的に批評するようなことを言ってはいけないようだ。相手が好いと思っているのをくさすのもよくないし、自分が好きなアーティストのことをとめどなく語るのもよしたほうがいい。前者はこと音楽に限らずエチケットとして、全てのことがらに関してそうだし、後者はとにかく馬鹿に見えるのでよくない。たとえば自分の好きな男のあるいは女のことを恍惚の表情で語りまくる知人の姿を想像してみられよ。せいぜい二分が我慢の限界ではないか。それと同じだ。そら、愛かもしれない。しかし愛について語るときに我々の語る顔は多分おおかた馬鹿面なのである。

 お互いが好きだとわかっている、共通の対象について語り合う時ですら注意が必要である。どちらの愛の方がまさっているかを、競うようなことにもなりかねない。行き着く先は威嚇と罵詈雑言の荒野かもしれないのだ。くわばらくわばら!


 前に、わたしは自分の好きでもない音楽を耳に入れるのが耐えられない、ということを書いたけれども(https://kakuyomu.jp/works/1177354054887731454/episodes/1177354054887744730)、自分の厭なことはひとにもしない、という観点から、今では音楽を聴くのは独りのときに限ることにしている(ただし我が子は例外で、親の趣味をほぼ押し付ける形でみちづれに)。同乗者のいる自家用車の中などではステレオの電源を切るか、うんと音量を絞るか、ひとこと断る。オーディオ消す? 消そか? 消さんでいい? あそう、おーきに。


 平日の朝はわたしが一番に起きる。わたしの双肩に家族の出勤・登校がかかっているため、寝坊や二度寝は許されない(でも年にいっぺんくらいやる)。起きぬけは無音状態だが、家族を全員送り出してわたしだけになったら、自分の出勤時間まで一曲でも二曲でも、何か音楽をかける。

 高校生の頃は、自分の好きなCDをタイマーでセットしておいて目覚まし時計がわりにしていたけれども、これをやるとテンションが上がるどころか、好きだったはずの曲も「朝、わたしを無理やり起こす忌々しい曲」になってしまい、やがて嫌いになってしまうということに気付いて止めた。いまだに、ビョークの『ポスト』のリードトラックを聴くと、実際の時刻に関係なく否応なしに「朝や……」という気分になる。それも、お天道様が輝き、暖かく心地よい風が今日はなんだかいいことがありそうだ、という期待を運んで来る、生命の躍動を感じるような清々しい朝ではなく、曇天。垂れこめる分厚い灰色の雲の下、傘が要るかどうか、荷物を一つ増やすかどうかの決断を迫られ、微妙に腹が痛く、ちゃんとアイロンのあたったハンカチは見当たらず、今から履くべき靴にはすでに乾いた泥がこびりついている朝だ。もっと言うと、学校に着いても数Bも化学も世界史わからへんのである(でも先生が厳しいので出席せざるを得ない)(化学で覚えているのは「チンダル現象」だけだ)(しかもその「チンダル現象」が正味どういう現象なのかは一切知らない)。


 そういう残念な条件反射を身につけないためにも、最近は、朝ごはんも食べ着替えもし何もかも済ませたところで「今日の一曲目」ということにしている。かしこくなった。

 そしてさらに、この一曲を選ぶにあたり、避けるべきジャンルがあるということも、この年になってやっとわかってきた。ていうか、朝聴いていいジャンルのほうがよっぽど狭い、ということが。あくまで、個人的に、わたしにとっての話なのだけれども。

 とにかく一番ダメなのはレゲエだ。先週の月曜も出来心でボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を選んで、まだ始まってもいくらもない一日を終わらせてしまったのは遺憾だった。ことによると一週間丸ごと終わったような気分にすらなったね。ならレゲトンならよいかというとやっぱダメだ。理由はわからん。あと、ファンクの太いヤツもしんどい。朝から天婦羅は食えない。同じ理由で、ゴージャスなディーバたちの楽曲もあとにしてほしい。アレサ・フランクリンは11時以降、ドナ・サマーは15時以降だ。

 そこまではずれがないのがジャズのスタンダードとか昔の映画音楽なので、朝はこの辺りに落ち着くことも多い。でもだからってうっかりチェット・ベイカーなんかをかけてしまうと、こんなに優しい声で歌っていた可愛い顔の兄ちゃんがどうしてクスリ狂いになって最期はホテルの窓から放り出されるようなことになるのかと、朝っぱらからものすごく重い人間の暗部に思いをはせてしまいいけない。


 起きたてのいがらっぽい喉のときは、ただ喋るだけでジャニス・ジョプリンになるのが嬉しい。あと、ひどい風邪引きのとき、ガラガラした声で歌うと、わたしの場合はすべてがトム・ウェイツになる。寝床で「かもめの水兵さん」「おうまのおやこ」などを無理に歌う。しんどい。けれども、多少楽しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る