障子の桟がゆがんで

 先日の6ネイションズ(ラグビー欧州六カ国対抗戦)の第三節、アイルランド代表のロック、ヘンダーソンがいなかった。あれ? なんで? 前の試合で怪我でもしたのかと思ったら、奥さんの出産でお休み、という解説が入った。そういえばオーストラリア代表のコロインベテも、前に子どもが生まれるから、つってテストマッチに出なかったことがあったけど、もしもわたしがヨメだったら、あんたはラグビーしてき、と言うと思う。いや、批判したいとかそういうのではなくて、個人的な考え方というか、好みの問題として。


 だってな、立会がどうとかいろいろ言うても、産むのはわたしなのであって痛いのはわたし、それに耐えるのもこればっかりはわたしだけの仕事で、隣に夫が居てくれたとて痛くなくなるわけではなく、むしろ痛がってるわたしに付き合せるのは気の毒だし、それならわたしがわたしの仕事をしている間、夫は夫の仕事をしてきてくれた方が、わたしの価値観からすると、よろしいことに思われた。余談ながら、妊娠中はさすがにわたしも酒を飲まずにいたけれども、夫にはわたしに遠慮せず普段通り飲みたいときに飲むように言っていた。これも個々の考え方によるが、夫が飲みたい酒を我慢したからってわたしが飲めるようになるわけではないのだ。俺様が我慢しているのだから御前も我慢しろ、というのは蓋し一種のへんねしである。


 まあそんなわけで、三回分娩したけれども、立会は一度もない。二人目のときはずいぶん熱心に立会をすすめる助産師さんがいたが、こっちはそれ相応に冷たく「イヤです」と断った。その方にはその方なりの信条があったのだろうと察する。しかしそれはわたしも同じことだ。その助産師さんは、奥さんがどれだけ大変な思いで出産するかを実際にご主人に見せなかったら、そのあとの育児にも協力してもらえなかったりする、と殆ど脅しのようなことまでおっしゃった。

 でも、それなら見たら分かるか? と聞きたい。見ただけで? 俗に、他人の痛みは三年でも我慢できる、と言う。出産の実際を見せたところで、やってないひとにはどんだけ痛いかまで、わからせることはできない。『男はつらいよ』の第一作で、渥美清(寅さん)が前田吟(義弟となる裕)から、

「もしも貴方が僕の立場だったらどうです」

 と訊かれて、

「おまえと俺は別の人間なんだぞ、そんなら俺が芋を食ったらお前が屁をこくのか?」

 と答える(注:文言はこの通りではなく要旨)、人間の想像力の限界を示唆するすごいシーンがあるけれど、反対に、少しでも思いやりの発揮できる人物であれば、現場を見ようが見まいが、お産を済ませた奥さんのことをそれなりの温かさで労わるであろう。想像力と思いやりというのは、似ているようでちょっと違う。だいいち、ヨメに痛い思いをさせたから、ムコさんは育児に協力するんではない。代償ではないのだ。ワガの子だから、一緒に育てるんだろうが。大切なのはそこだと思う。

 そういう意味で、『リンゴかもしれない』のヨシタケシンスケさんが描いた育児エッセイ『ヨチヨチ父』の第一話は、今まで見聞きした立会出産にまつわる父親サイドの感想の中で、最も正直かつ率直なものと胸を打たれた。ぜひ本編を読んでいただきたいが、かいつまんで言うと、「男性が、父になってするはじめての『仕事』は、立会出産(のすさまじさ)についての本当の感想を封印することかもしれない」ということである。本当の感想を押し殺し、生まれてきた子のことは「かわいいね」と言うヨシタケさんの態度に、わたしは思いやりを感じた。


 子どものいる人に尋ねてみればたいていは、出産にまつわる何らかのドラマが一つや二つは出てくるものだ。うちにもお産周辺にはコントのような逸話が多数あり、とくに第二子についてはわたしの鉄板ネタなのだが、ここに書くには余りにも内容がパーソナルすぎる(といっても毎回100%自分の話しかしていないので今さらどの口がと思われるかもしれないが、なんかもうこれをしゃべると個人が特定されかねないとすら危ぶまれるレベルで)。


 初産のときは、ウイってくらいだから全部がはじめてなわけで、びっくりすることばかりだった。生前の閣下からは「障子の桟がゆがんで見える」などとその痛さを聞かされていたが、桟がゆがむどころの騒ぎではなく、本気で下半身ごとなくなるんではないか、これはもう『デビルマン』のラストシーンみたいになる、と覚悟したし、自分の父には平安貴族(イメージでは道長様)ばりに加持の僧侶を招請してほしかった。女と生まれて噂には聞いていたけど、自分にもこんな機能がほんとに搭載されていたとはな、と内心呻くような気持だった。ほんとに、夫がいなくてかえってよかった。全ての理性を失って、なんでわたしだけがこんな苦行を強いられるのかとブチ切れて当たり散らしたかもしれない。世間の先輩方が、かくも痛い目に遭いながら、今は平気でお勤めに出たり、自転車に乗って買い物に行ったりしてるのか、と腹の底から尊敬した。

 それでも「だんだん良くなる法華の太鼓」と言うように、わたしの場合も三回目でやっとコツのようなものが分かった(ような気がした)。しかし、そうした肉体的なことよりも経済的に、もうこれ以上の繁殖は断念せざるを得ず、生まれた子どもは皆夫に激似という、「DNA戦、三タテで惨敗」という結果を永遠に受け入れなければいけないのは少々残念なことである。


 それにしても、最初の話に戻って、自分がヨメの立場だったら夫にはテストマッチに行ってもらいたいけれども、自分がもしも娘だったら、パパはわたしが生まれた日も6ネイションズで戦ってた! というのも誇らしいし、逆に、パパは大事なテストマッチを休んでわたしが生まれるところに来てくれた、というのも素敵で、どちらであっても嬉しいことだと思う。まあ、産む方と産まれる方は違うからな。身も蓋もないけどな。

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