大人も我慢できない


 この前、パート先での話なんだけれども、一緒に働く久恵さんが、業務開始早々点火用ライターを手に取るや、

「♪チャッカマ~ン」

 と漏らし、漏らした途端にうぇぇ、言うてしもた、と両手で顔を覆った。でもな言いたくなるねん、もうエエ年すぎるエエ年やのに。

 そらそうだ、わたしは慰めではなく本気で、そんなん誰かて言うでしょう! と久恵さんの肩を叩き、

「同じクラスのアレでいくと、わたしは『消臭力』がヤバいです」

 と告白した。スーパーとか薬局とかの陳列台で見かけただけでもう。

 わたしがフライパンの柄を掴み、しょーぉしゅーーぅりぃーきぃー、とゴスペル歌手ばりに歌ってみたところ、皆まで歌い果せぬうちに久恵さんはふゃー、と珍奇な野鳥のような声を上げて身を二つに折り、やめてー、仕事がでけへんなるー、と爆笑した。あまりに笑ったので厨房の外にいた人までが「何があったん!?」と様子を見に入ってきた。


 以前に「大人は我慢している」https://kakuyomu.jp/works/1177354054888078667/episodes/1177354054888650999と題した駄文で書いたことだが(そういえばあれに出てきていただいたのも久恵さんだった)、ひとは誰しも、「つい言いたくなるけど精一杯こらえているスカタンなひとこと」を心の裡に抱えていると思う。わたしはあのとき、主にクソくだらない駄洒落に焦点を絞って話を進めたが、こと駄洒落だけに限らず、ひとは実にいろんな文言の暴発を阻止せんと必死になっているのだ。

 それでも、それでもほとばしることば、そして歌。駄洒落がその性格上、多くの場合、発話者が単独で開陳するものではなく、聞き手のあることを前提として発せられるものだとすれば、基本的に特段聞き手も無用、みずからの舌先三寸胸三寸ではじめられ、ややもすれば気付かぬうちについ口ずさんでしまう歌は、駄洒落の十倍タチが悪いと言えるのではないだろうか。(したがって、「よっこいしょういち」などの独り言系駄洒落はどちらかというと歌に近いものだと考えられる。)

 しかも歌というのは、ときに本当に恐ろしい「耳残り」をみせるものである。ひとたび聞いてしまったが最後、脳内を縦横無尽に駆け巡り、当人が意識していようがいまいがその片隅に巣をなして、あるとき突然口から飛び出す。それは真の意味ですぐれた歌なのかもしれない。


 一番上の子どもが小さかった頃、見るもの聞くものといえば大体がNHKの幼児番組で、自分も口を開けば『おかあさんといっしょ』でかかる類の歌が何の脈絡もなく流れ出たものだったのだけれども、それはいっときのハシカのようなものだったらしく、今ではほとんど覚えていない。

 それに対してやはりCMソングというのは、潜在的消費者の記憶に強く残るよう緻密に計算して作り込まれているのか、もうほんとに困るんですよね。現物を前に絶対歌う。いや現物がなくても歌う。その商品の話になっただけで歌う。なんなら、何もなくても歌う。夕方、原付に乗ってビールを買いに行くときにも、無意識のうちに、

「ひンの菜がお嫁に行っくとっきはーー」

 などと、昔KBSとかで見た「ごんべさんの赤ちゃんが風邪引いた」の曲(正式曲名知らず)を替え歌した漬物屋さんのコマーシャルソングを放歌していたりする。別にその晩のアテが日野菜というわけでなくてもこの体たらく。同じじゃじゃ漏れにじゃじゃ漏らすならば、もっとこうハイドンとかバッハとかいうあたりのをついうっかり漏らしたいと思うのだけども、ついうっかりは普段の生活という堅固なバックボーンがあってこそ炸裂するものであるからして、そんな瞬間わたしには死ぬまで訪れない。


 とにかく、街に出たらヤバいものだらけだ。ここ数年で一番駄目なのはいすゞのトラック。歌うと下手に楽しくなるところがものすごい罠で、まっこと勘弁してほしい。すごい台数、走ってるんですよね。儲かっているのだと思う。歩道などから見かけて、という場合だと人目もあるし何とか踏ん張ることもできるのだが、自分が車を運転中、前を走っているのが、という状況だったりすると、自家用車という密室内で恥も外聞も止める者もなく「いーつまでも、いつーまでもー」とエンドレスでリピート地獄。しかもラグビーのウェールズ代表ジャージにもいすゞはスポンサーとして名前を入れてたりしてて、トラックではなくジョージ・ノースが走りまくった6ネイションズの間もずっと、「はーしれはしれ」ってわたしテレビの前で歌いました。一緒に見ていた夫にはうるさがられて怒られました。聞いたことない人はぜひ、youtubeで検索してください。会社公式のものから素人さんが勝手に歌ってるものまで、バージョンも豊富です。そして集えよ、耳残り回廊へ。

 

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