厄の行方
私は厄である。昨日まで宿を借りていた者から払い落とされた。そこら辺に落ちて、蹴飛ばされ、踏んづけられたりしながら街を彷徨う。時々人にへばりついて家に上げてもらう。
悪い出来事は私にくっついて来る。私が何かしているわけではないのだが、私の元に苦難が集まる。だから私は厄なのだろう。
埃と一緒に払われて、またトボトボと夜道を歩く。
立派な厄になるために精進しているが、今のところ晴れ間に雨を降らせるだとか、黒猫に連続三回横切ってもらうだとか、百足竜の脚を絡ませるとか、それくらいだ。すごいのかな?
初めはみんなそういうものだと励ましてくれたのは、見上げるほど大きな厄であった。あまりにも大きいので人家の戸をくぐれなくなって、路端で過ごしているらしい。時々人の家の中が恋しくなると言う。我々はだいたい萎んで消えてしまうのだけれど、時々大きくなる個体もいるらしい。彼は成長期なのだろうか。私はこのように大きな同類を見たのは初めてだった。居場所探しにも困るようで、そろそろ新しい土地を探しに行くと言う。
「きみのように大きくなれるかな」
「もちろんだよ。けれどこれはこれで不便なものだよ」
ある日、狭い場所に引っ掛かってもがく大きな厄を見つける。なるほど不便そうである。背中を押して脱出を手伝った。隙間からすっぽり抜けたとき、体や尻尾の一部が擦れて引き千切れたらしく、欠片が飛び散って消えていった。本体は勢い余って転がり、街路樹にぶつかって止まった。ひっくり返ったままジタバタとしている。起き上がらないので助け起こす。
「災難だったね。痛くないかい」
「大丈夫だよ、驚いたねえ。少し縮んだかね」
見た目はあまり変わらない。それを聞いた大きい厄は再び倒れて天を仰ぐ。雲が千切れて流れていった。千切れた雲は薄れて消えた。追いついた小さな雲が大きい雲に合流する。あの大きな雲はどこまでも飛んで行くに違いない。
雲が水蒸気の塊ならば、厄もそのようなもので、密度が上がれば形を得て、散らせば消えていくのかもしれない。
「そこら辺でゴロゴロすればもっと小さくなれるのでは」
思い立って言ってみたが後悔することになる。転がって辺りの厄を巻き込んだのか一周り大きくなってしまった。雪だるまでもないのに。
転がる大厄を分断するように横切って行った風の子が、次の瞬間ビル街の乱気流に揉まれて舵を失い、派手で悪趣味で古い看板にぶつかった。
悲鳴が上がるのを我々はただ見ていた。大きな厄は腹に大穴を空け、真っ二つになるかと思われたが、しばらくすると元の形に戻っていった。
大きくなりすぎるのも厄介なものだ。大きな厄は街のあちこちで不便に遭遇し、その度に通りかかった私が手助けをする。私が蹴飛ばされたりしていると大厄が助け起こしてくれる。私たちは行動を共にすることが多くなっていった。その横で災いも起こる。水飲み蛇が腹を壊して辺りの草木を枯らしたり、おしろいイタチと火栗運びがぶつかって火花を散らしたり、霧吐き蜘蛛の巣には幼い小鳥たちが次々絡み、袋入道は袋詰めリストを取り違えて罪無きてるてる坊主を量産した。
日増しに大きくなっていく厄は、街に火喰い豹がやってきて文明の火をちょこまか奪っていく様子を見ながら「そろそろ他所に移ろうか」と呟いた。
逃げ惑う人々の目の前で橋が落ち、古い家屋が倒壊し、道路は陥没する。混迷の市中を悠々と歩く。我々の先には道があり、後ろには難事が雨霰と降り注ぐ。混乱に乗じて新たに生まれた厄も引きずりあるいは吸収し、道を塞ぐくらい大きくなった相棒は、ビルに挟まり、もがき、また引き千切れ、やっとのことで街を抜け出した。
遠く離れても、街から煙が上がっているのが見える。火喰い豹の勢いは衰えない。彼らは食いしん坊なのだ。街の上空に雨雲が流れ込んで暗くなる。雷の轟きが聞こえる。やがて雨が降り出した。
「私が呼んだ厄だろうか」
我々は雨に濡れるままになっている。すっかり膨らんだ大きい厄の背に乗せてもらう。一息ついて平野を見下ろす。獅子ほどの大きさになった私は、きっともう人に踏んづけられたり蹴飛ばされたりはしない。大きくなったけれど、だから何を出来るわけでもなく、相変わらず厄を呼ぶことしか出来ない。通り雨が掛けた薄い虹が消えていった。我々は消えた虹の方向に向かう。
「虹の足元には宝物が埋まっているというからね」
「そうだね」
大きな厄が一声発すると辺りはビリビリと震えた。寝ぼけた泥沼亀が高い山の中腹から滑り落ちる。一軒家ほどの大きさの泥で出来た亀は、木をへし折り薙ぎ倒し、亀の形を時々失いながら平野を滑り、海にドボンと落ちて広範囲を泥で汚した。魚が白い腹を見せて浮かび上がった。亀は自らの泥が邪魔をして陸に這い上がることも出来ずに沈んでいった。海はどんよりと濁っていった。幾重にも重なった不幸を呆然と眺める。
よそ見をしていた大厄がすっ転んだ。それはそれは見事に転んだ。背に乗っていた私は投げ出されないようにしがみつく。
「大丈夫かい。何かに引っ掛かったようだね」
降りてみるとビルを抜け出す際に抉れた体の一部が絡みついている。よく見ればあちこちボロボロと崩れ落ちていた。声を掛けてから引っ張る。切れ端の一つから「アイテテテ」と声が上がった。蜂の羽音ほどの小さな音だったので聞き間違いかと思って勢いのまま引き千切る。
「イテテ」
声の主はもう一度不満げに声を上げて睨む。私の手の中には小さな厄がいた。
「厄から厄が生まれるとはなあ」
掃き溜めから綿埃がいつ生まれるかも知らない我々は、新たな厄の誕生をしばし喜ぶ。この子はどんな災いと巡り合うだろう。別れようとしたものの、後を必死について来るので面倒を見ることにした。
「きみも私の相棒だよ」
人が多い場所には厄も溜まりやすいが、野山にも厄がいる。彼らは百戦錬磨のもののふで、もたらす災いもなにかと背筋が寒くなる出来事ばかりだ。街から追い出され、野に捨てられた厄。野垂れ死んだ怨念。はぐれ者。あるいは古くから存在するもの。そういったものが凝り固まっている。窪地だとか川だとかで睨む目が光って震え上がる。上手くやっていけそうにない。街を抜け出し野に出たところで居場所は無いのか。
草むらに入れば虫の群れが舞い上がり、黒雲となって纏わり付き、食べ物ではないとわかると川向かいの草むらに消えた。一心不乱に草を食べる音が聞こえ始め、たちどころに丸裸になり、そこを寝床にしていた者は転がり出た。静かだった草原に混乱が広がる。我々は湖水に投げ込まれる石のようなもので、どこに行っても波紋を立てる。立ち止まろうと、進もうと。
相棒よりも大きな山々が視界を奪う。どうも狭い谷に迷い込んだらしい。
「きみたちは街に戻りなさい。ぼくのこの体では街に居場所が無い。行く場所もない」
勤めて小さな声で相棒は嘆いた。この嘆きは誰がもたらした厄なのだろう。私だろうか。いいや、誰も何もしていない。ただここにいるだけだ。
「国は狭いが星は広い。良い場所を探そう。そのうちに街に戻れるほどの大きさに戻ったらみんなで帰ろう」
慰めも虚しい。行く場所などどこにもない。私にも、彼にも。それでも存在する限りはどこかに居なくてはならない。私は私であることをやめられない。そうして私は厄を振りまく。災いがこの身だけに降りかかるのであればよかっただなんて、時々うっすら考える。
小厄は元気に跳ね回っている。子犬みたいだ。大厄の背中から転がり落ちそうになる。慌てて手を伸ばして支える。たぶん私が転がり落ちても周りは手を差し伸べてくれることだろう。
「我々は厄を呼ぶけれど、悲しく生きねばならないということはない」
小厄がまた跳ね回るので、大厄がくすぐったそうに体をうねらせた。我々はうねうねと小さく笑いながら谷を行く。山側から我々を覗き込んでいた厄や獣がぱらぱらと落ちてくる。木の葉でも舞っているのかと思った。ところどころ抉れた崖には白骨や化石が覗いていた。谷底を行く我々からは、茂った木々の他は何も見えない。木々が白骨化している地帯もある。硫黄が噴き出しているようだった。
どれほど登ったのだろう。大きな厄よりも遥かに大きな山だ。星よりは狭いが山は大きい。
標高は高くなっているようだ。辺りは凍りつくほど寒くなった。
谷がぽっかりと開ける。空間になっていて、中央には崩れた社があった。こんな場所までお参りに来る人間がいたのだろう。今はいない。この山は人が入らなくなってから長いようだった。社と言っても元の形を想像するのは難しい。屋根は傾き半分は吹き飛ばされ、壁は崩れ落ち、柱も所々折れている。
抜けた床の下には穴があった。大厄の端っこを引き延ばして命綱として体に括り付ける。そろそろと降りていく。真っ直ぐに切り落とされていると思われた壁は奥に行くにつれ広くなる。次第に両腕を伸ばしても足りないくらいになり、空間はそれでもまだ広がっていた。フラスコ型だ。生物の住処だろうか。最奥は目を凝らしても見えないし、石が落ちても底に当たる音は聞こえない。だいぶ降りても住む者は見当たらなかった。引き上げてもらう。
「きみですらすっぽり入ってしまうほど深い穴だ」
大厄に伝えると興味深そうに寄って来て覗き込む。朽ちた社を壊さないようにそろそろと近付き、穴の中へと入っていく。
「どこまで続いているのかな」
大厄は吸い込まれていく。時々入口に体をつかえさせるので、押し込んでやったりしつつ消えていくのを見守る。
「深穴を塞ぐ蓋として建てられた社なのかもしれない」
今は大厄が蓋となっているが。社の周囲も見て回る。狛犬の一体は消失しており、空の台座だけが残る。逃げ出したのだろうか。空席を借りて座る。残された狛犬と向き合ってみると顔の片側を失っていて、残された目は虚空を見つめている。相棒が消えてからどれほどの時間こうしていたのだろう。小厄もよじ登って来たので少し場所を空けてやることにする。動いた拍子に台座の角がガラリと崩れた。小厄が巻き込まれて落下する。慌てて降りる。怪我は無さそうだ。落ちてもまだ登りたいようで、小厄を抱えて台座に戻った。台座の一部は辺り一面の瓦礫の中に消えた。消えた狛犬もこの瓦礫の山の中にいる気がした。
「私たちは出会わないほうがよかっただろうか?」
小厄は寄り添うように脚の間にはさまった。欠けた一部のようにぴったりと。そうだな、そんなことはないよね。これからも変わらず一緒にいよう。誰かが招いた厄事を連なって眺めていよう。
大厄の動きがないので声をかける。穴の中にすっかり入ってしまったようなのだ。
「出ておいでよ」
「抜けられなくなったよ」
「なんだって」
かくして大厄を詮として深穴は埋まった。居心地が良いらしく、無理に抜け出そうともしない。居場所が無いと言っていた彼が収まりたいと思うのならば、それはそれで良いのかもしれない。深穴も埋まって、誰かが落っこちるのを防げるかもしれない。厄である我々には善も悪も無いが。
欠けた狛犬の居場所を借りて、朽ちた社の番をする。ついては離れ、また千切れる雲を眺めている。来る者は無く、鳥の囀りも届かない、寂しいから安心な場所に居座り微睡む。
来る日も来る日もただ空を眺めて過ごした。外の世界のことなど何もわからず、あるのは空だけ。その空も蓋がされるように閉じていき、瞼が降りるように暗くなり、いつか私は眠ってしまったみたいで、今は暗くて静かな場所にいる。
見知らぬ世界のお話 ほがり 仰夜 @torinomeBinzume
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