第5話 僕の胸にあいた穴

 翌日、僕は朝ごはんを食べるとすぐに家を出た。いつもよりはやい時間に学校へ行くと、凛ちゃんが教室に入ってくるのを待った。

 今朝、目覚めてからも妖精のことがずっと気になっていた。凛ちゃんの家で変わりはなかったか、家族に見つからなかったか、それと放課後のことも確認しておきたかった。

 昨日の話では、今日の放課後、僕が凛ちゃんの家に行くことになっている。約束どおり妖精を返してもらうように、朝のうちに言いたかった。

 そうしないと落ちつかなかったし、なにより凛ちゃんがあと一日預かりたいと言いだすんじゃないかと心配だったのだ。

 しばらくして教室にはいってくる凛ちゃんを見つけた。僕はすぐに凛ちゃんのところに行くと声をかけた。

「おはよう。凛ちゃん」

「あ、蒼井くん、おはよう。昨日はありがとう。凛、すごく楽しかったよ」

 ほほえむ凛ちゃんに、僕は間を置かずに言った。

「こちらこそあそびに来てくれてありがとう。それよりさ、昨日預けた、その……例の生き物だけど今日返してくれるって約束だったよね?」

「あぁ、うん。放課後、凛のお家にとりにくるんでしょ? いいよ」

 意外なことに、凛ちゃんはあっさりとうなずいた。僕はちょっとおどろいて、おもわずきいてしまった。

「え、いいの? あんなに気に入ってたのに?」

「うん。だって、つまんないんだもん。つれて帰って虫かごから出しても部屋の窓のそばでじっとしたままだし。外をながめてばかりで鳴きもしないの。蒼井くんの家にいたときは、あんなに飛んでたのに。凛のお家が気に入らなかったのかな。とにかく、すぐにあきて虫かごにもどしちゃった」

「そうなんだ」

「今ごろ外でもながめてるんじゃないかな。朝、外が見えるように虫かごを窓ぎわに置いたの。風が入るように窓もあけてあげたのよ。凛、優しいでしょ? そういうわけだから、放課後とりにきてね」

 そう言って凛ちゃんはクルリと背をむけると離れていった。僕はホッと肩をなでおろすと授業にのぞんだ。その日はずっとうかれていた。妖精に会えると思うと楽しみでしかたがなかった。


 待ちに待った放課後、ウキウキ気分で凛ちゃんと家にむかった。 凛ちゃんの家は、僕の家からそんなに離れていないようで、途中までいつもの帰り道とおなじ方向だった。家に到着するまでのあいだ、僕たちは楽しく話しながら歩いた。なごやかな雰囲気の中、凛ちゃんは今度僕に手紙を書いてあげると言ってくれた。とても嬉しかった。

 いちごを栽培している畑をとおりすぎて、しばらく歩いたあと凛ちゃんが建ち並ぶ家のうち、一軒を指さした。

「あれが、凛の家よ」

 凛ちゃんの家は二階建てで立派な家だった。家に近づくにつれ、僕の気持ちはさらにたかぶった。もうすぐ妖精と会える。再会できる喜びに、想いをはせながら凛ちゃんの家の門をくぐった。

 ふいに頭上から猫の鳴き声がした。見上げると、一階と二階のあいだにある屋根の上から見覚えのある茶色い猫が、すました顔をこちらにむけていた。ぐうぜんにも一昨日、見かけた不愛想な猫だった。

 凛ちゃんが猫のほうを見て顔をしかめた。

「野沢さんところの猫だ。あの猫、ぜんぜんなつかないし、可愛くないのよね。勝手に人の庭にはいってくるし。それにしてもなんで凛の部屋の前に……」

 すると、つづけて凛ちゃんがなにかにきづいて叫んだ。

「あ! あみどが破られてるっ」

 凛ちゃんは玄関のドアをあけはなつと大慌てで家の中にかけていった。数分後、すすり泣くようにしてふたたび出てきた。抱きかかえるようにして持っているのは僕が昨日貸した虫かごだった。ひしゃげて隙間ができているのが、すこし離れているところからでも確認できた。

 不安な予感が、さざ波のように押しよせてくる。得体のしれないなにかに心臓をぎゅうっとつかまれたような心地がした。門の前にたっていた僕はゆっくり足をふみだした。そして、凛ちゃんの前まで行くと、おそるおそるのぞきこんだ。

 虫かごの中には、弱りはてた妖精がいた。かろうじて息はしていたけれど、傷だらけでひっかかれたような痕がいくつもあった。いたるところからみどり色の汁が出ていて、片方の羽はちぎれて虫かごのすみに落ちていた。

 昨日まであんなに元気だった妖精はぐったりとして、金色の瞳に生気も感じられなかった。

 僕は、視線を妖精から虫かごに移動させた。いびつな形をした虫かごの隙間には、痕跡をのこすように茶色い毛がからみついていた。その毛の色は先ほど見かけた猫のものとおなじだった。

 だれも悪くない。ただ少しだけ運が悪かった。

 僕の妖精は、猫の襲撃により無残なすがたになった。

 凛ちゃんが、ごめんね、と泣きながら言った。僕は、いいよ、と言った。それから虫かごを受けとると、家につれて帰った。

 部屋に行き、すぐさま虫かごから出してやると妖精が僕の顔を見てピチチと嬉しそうに鳴いた。久しぶりにきいたその声は、かすれていてひどく弱々しかった。

 もし僕が妖精のことをだれにも言わなかったら、こんなことにはならなかった。おしよせてきたのは後悔だった。

 僕は、ごめんね、と言った。なんどもなんども妖精にあやまった。妖精はそんな僕を優しいまなざしで見つめていた。あざやかな黄金色の瞳は、やっぱりきれいだった。

 翌日、目覚めると妖精は冷たくなっていた。黒くかすんだモヤが目の前をおおいつくし、喪失感だけがはっきりとわかった。どんなにねがっても大切なものは、もうもどってこない。僕はうごかぬ妖精を抱きしめ静かに泣いた。

 ひとしきり涙をながしたあと、こっそり玄関から出ると、妖精のなきがらを裏庭に埋めた。忘れないよ、と心の中でつぶやいて、僕は妖精に別れをつげた。

 それから、学校で凛ちゃんに妖精が死んだことを報告した。凛ちゃんはいっしょになって、妖精の死を悲しんでくれた。


 あれから春が去って、夏が訪れた。畑には、元気にみのった真っ赤なトマトや青々としたキュウリが収穫の時期を今か今かと待っている。

 凛ちゃんとは仲良しで、今でも時々あそんだりしている。妖精のことがあって以来、凛ちゃんは僕に手紙をくれるようになった。僕のことが好きだとも言ってくれた。嬉しいことには変わりない。

 けれど、胸にはポッカリ穴があいたままだ。妖精が死んでからずっと僕の心は渇いたようなむなしさを感じている。どんなに嬉しいことがあっても、あの時の悲しみを埋められるものはきっとないだろう。

 僕は毎日のように妖精のことを思い出す。春の木漏れ日の下でみつけた可愛い生き物。僕の妖精。あの澄みわたるような声と金色の瞳が今もなお、僕の心を惹きつけてやまない。

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僕の妖精 無自由 @nasi_0817

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