第4話 僕の決めたこと

 頬をなでるようなおだやかな春風がふく気持ちのいい朝だった。学校に行くと、凛ちゃんはまだ来ていなかった。僕は日直の仕事である花瓶の水かえをしたり、窓をあけたりした。家に残してきた妖精のことは気になったけれど、凛ちゃんと日直がいっしょだと思うと気持ちが弾んだ。

 チョークの補充をおわらせたところで凛ちゃんが教室に入ってきた。淡いピンク色のセーターをきている凛ちゃんは珍しくポニーテールだ。水玉模様のシュシュがにあっていて、今日は一段と可愛かった。僕は顔が熱くなるのを感じつつ、凛ちゃんに笑いかけた。

「凛ちゃん、おはよう」

「おはよう。蒼井くん、日直の朝の仕事もうすませたんだ。遅くなってごめんね」

「ううん。ぜんぜんへいきだよ」

「ありがとう。蒼井くんって優しいね」

 そう言って凛ちゃんは、はにかんだ笑顔を見せてくれた。心臓がバクバク鳴って苦しかった。それから凛ちゃんは離れていくと、真希ちゃんという友だちと放課後なにをしてあそぶか話していた。凛ちゃんの楽しそうな横顔に、僕は魅入ってしまった。

 その日は、日直の仕事でなんども凛ちゃんと話す機会があった。いっしょに先生のプリントをくばったり、理科室の鍵を借りにいったりもした。

 僕は凛ちゃんとの距離が近くなった気がした。けれど日直がおわれば、またいっしょの時間がへると思うと悲しくなった。もっと凛ちゃんと仲良くなりたかったし、ほかの男子みたいに手紙をもらいたかった。

 僕は凛ちゃんの気をひくために秘密を言うことにした。昼休みがおわって五時限目の授業がはじまる前、先生のところへ二人でプリントをとりにいくとき、凛ちゃんに妖精のことを教えてあげた。

 凛ちゃんは、大きな目をさらに見開かせると興奮まじりに言った。

「蒼井くん、それ本当なの?」

「うん。たまたま見つけたんだけど、すごく可愛いんだ」

「すごーい。おねがいっ! 妖精に会わせて。凛も見たい」

「いいよ」

「やった! ありがとう」

 そう言って凛ちゃんは、ポニーテールをゆらしながらぴょんぴょん飛んだ。無邪気に笑う凛ちゃんを見て、僕の表情は自然とほころんだ。


 放課後、凛ちゃんが僕の家に来ることになった。僕は凛ちゃんが友だちとあそぶ約束をしていることをしっていたから、べつの日でもいいよ、と言った。けれど、凛ちゃんはぜったい今日がいいと言って真希ちゃんとの約束を断った。真希ちゃんのさみしそうな背中に、僕は少し申し訳なく思いながらも、凛ちゃんといっしょに学校を出た。

 家までの帰り道は楽しかった。いつもは一人だけど、今日はとなりに凛ちゃんがいる。それだけで幸せだったし、みなれた景色も新鮮に感じた。

 帰っているあいだ、凛ちゃんは妖精のことをいろいろきいてきた。それにたいして僕はていねいに答えた。凛ちゃんに気に入ってもらうために必死だった。

 家につくとお母さんとミノルがいた。僕はお母さんに凛ちゃんを紹介したあと、すぐに二人で二階に行った。部屋の前でたちどまり、ポケットから鍵をとりだすと一度深呼吸した。凛ちゃんがどんな反応をするか楽しみだったけど不安でもあった。

「蒼井くん、まだ? はやくしてよっ」

 うしろからいらだったような声がとんできた。

「ご、ごめん。すぐにあけるから」

 僕はいそいで鍵穴に鍵をさしこむとクルリと回した。そして、ドアノブに手をかけてゆっくりと押しあけた。瞬間、目の前に黒い影が飛びだした。

「わっ」

 僕はびっくりして声をあげてしまった。黒い影の正体は妖精だった。僕の帰りをずっと待っていたのだろう。妖精は僕の胸に飛びこんでくるとぎゅっと体をすりよせてきた。つづけて甘えるように甲高い声で鳴いた。妖精のあまりの愛らしさに、僕はたまらない気持ちになった。

 すると、凛ちゃんが僕の胸もとをのぞきこんできた。

「わぁっ! ほんとうに妖精だ! すごーいっ」

 興味津々な凛ちゃんに、僕はあわてて口の前で人差し指を立てた。

「しぃっ、凛ちゃん大きな声で言っちゃだめだよ」

「あっ、ごめんね。つい」

「とりあえず部屋に入ろう」

「うん」

 それから、僕たちは部屋の中で妖精とたわむれた。凛ちゃんは終始興奮しっぱなしで、妖精を手にのせてみたり、話しかけたりしていた。妖精はというと、はじめ顔をこわばらせていたけれど、僕が凛ちゃんと楽しく話しているのを見て安心したらしい。後半は、部屋の中を飛んだり美しい声で鳴いたりと凛ちゃんを喜ばせてくれた。

 僕は凛ちゃんに妖精のことを言ってよかったと思った。おかげでこんなに仲良くなれた。僕自身、大満足だった。

 けれど、帰りぎわになって困ったことになった。凛ちゃんが妖精をつれて帰りたいと言いだしたのだ。

「一日だけでいいの」

「ええ?」

「ぜったいママとパパには見つからないようにするから。いいでしょ?」

「でも」

 僕はこころよくオッケーできなかった。なぜなら、妖精のことを、僕もとても気に入っていたからだ。凛ちゃんが帰ったら、昨日のように妖精と至福の時間をすごすつもりだった。

「おねがいっ、蒼井くん」

 凛ちゃんは、両手をあわせると僕になんども頭をさげておねがいをした。僕は悩んだ。妖精と離ればなれになるなんて嫌だった。

 それでも結局、凛ちゃんに預けることにした。そうすることで、僕を好きになってもらえると思ったからだ。

 凛ちゃんは、大喜びで僕が貸してあげた虫かごにいやがる妖精をおしこむと帰っていった。

 その日の夜は、ちっとも元気が出なかった。楽しみにしていたアニメもみる気になれなかったし、ほかになにかしようという気持ちもわかなかった。心の中は、妖精に会いたいという思いでいっぱいだった。

 寝る時間になって、さみしさはさらに増した。布団に入ってもなかなか寝つけず、暗い部屋で僕は妖精のすがたを思い描いた。凛ちゃんはきっと妖精とたくさんあそんで、いまごろ妖精と仲良く眠りについているに違いない。

 ほほえましい光景を思いうかべながらも、すなおに喜べなかった。はやく明日にならないだろうかとそればかり思いながら眠った。

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