傅亮1  能文家の出自  

傅亮ふりょう 全8編

 世説新語:文学99、識鑒25

 既出:劉裕55、劉裕67、劉裕68

    劉裕81、劉義符1、劉義符3

    劉義符5、劉義符7、劉義隆2

    劉義隆3、劉義隆4、王弘4

    徐羨之4、徐羨之5、徐羨之6

    徐羨之7、徐羨之8、徐羨之9

    徐羨之11



傅亮は字を季友きゆうという。

北地ほくち郡は靈州れいしゅう県の人だ。

そんな地名があるんですね……


ひいひい爺さんは、傅咸ふかん

西晋の時代、司隸校尉しれいこうい

つまり首都の守備隊長にまでなった人だ。


父は傅瑗ふえん。学業で名を馳せた。

安成あんせい太守にまで昇進した。


彼は郗超ちちょうと交友関係を持っていた。


傅亮が四、五歳の頃のこと。

郗超が傅瑗の家に訪問した。

ここで傅瑗、息子の傅迪ふてきと傅亮を紹介。


すると郗超、いきなり人に命じて

傅亮の服をかっぱがせた!

しかもどこぞへと持ち去らせてしまう!

なんで!


しかし傅亮、まるで怒らなかった。



ほほう、これはこれは。

郗超、傅瑗に言う。


「そなたの子のうち、弟の立身は

 兄を遥かに上回りそうだな。


 もっとも、家門を保ち、

 先祖の霊については

 兄が守っていきそうだが」


そんな兄貴、傅迪。字は長猷ちょうけん

彼もまた良く儒学を修め、

五兵尚書ごへいしょうしょにまで昇進した。

永初えいしょ二年に死亡。太常たいじょうを追贈されている。




傅亮,字季友,北地靈州人也。高祖咸,司隸校尉。父瑗,以學業知名,位至安成太守。瑗與郗超善,超嘗造瑗,瑗見其二子迪及亮。亮年四五歲,超令人解亮衣,使左右持去,初無吝色。超謂瑗曰:「卿小兒才名位宦,當遠逾於兄。然保家傳祚,終在大者。」迪字長猷,亦儒學,官至五兵尚書。永初二年卒,追贈太常。


傅亮は字を季友、北地の靈州の人なり。高祖は咸、司隸校尉なり。父は瑗、學業を以て名を知られ、位は安成太守に至る。瑗と郗超は善く、超は嘗て瑗に造で、瑗は其の二子の迪、及び亮に見えさす。亮は年にして四、五歲、超は人に令し亮が衣を解かしめ、、左右をして持ち去らしむも、初にも吝色無し。超は瑗に謂いて曰く:「卿が小兒の才名位宦、當に兄を遠く逾えん。然るに家を保ち祚を伝うるは、終には大者に在らん」と。迪は字を長猷、亦た儒學をなし、官は五兵尚書に至る。永初二年に卒し、太常を追贈さる。

(宋書43-12_為人)



傅亮

その秀でた文筆力をもって信任を受けていた。詔命の起草などに携わる。少帝廃立に参与、その咎で文帝に誅される。


なお世説新語、文学の方はまだ未紹介。

殷仲文天才宏瞻,而讀書不甚廣,博亮歎曰:「若使殷仲文讀書半袁豹,才不減班固。」

という内容で、殷仲文が勉強して文章書けばもっとすごかったろうになあ、と語っている。これも傅亮が当代で最も名の通った文筆家であることを踏まえて初めて深みの出る話である。


識鑒は、郗超のところで。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054888354308

まさにこのエピソードとリンクしている内容ですね。しかし傅亮の服を突然かっぱいだとか面白すぎんのになんで採用しなかったんでしょうねえ。

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