徐羨之11 係累     

徐羨之じょせんしの甥(兄の子)、徐佩之じょはいし

軽薄にしてがめつい性分だったが、

劉裕りゅうゆうは姻戚だから、と徐佩之を引き立て、

丹陽尹たんよういん吳郡ごぐん太守、つまり、

トップ行政官につけた。


劉裕の死後間もなく、徐佩之は

叔父の権力をかさに来て、政治に口出し。

王韶之おうしょうし程道惠ていどうけい邢安泰けいあんたい潘盛はんせいとともに

徒党を組むのだった。


この頃、謝晦しゃかいが病を得て、しばらく

自宅休養をしていた。

聞くところによると、客の応対も

ろくろくできない、と言う。


何あいつ、反乱でも企んでんじゃね?


そう疑った徐佩之、

王韶之、程道惠らと一緒に

傅亮のもとを訪問する。

そして詔勅を書いてもらおうとした。

内容は、謝晦討伐。


えっちょ、詔勅偽造とか

めっちゃアカンやつ……。


さすがの傅亮ふりょうも、この申し出には

血相を変えたようである。


「我々は高祖より直々に

 顧命を受けたのだぞ!

 互いに殺し合いなど、

 するはずがあるまい!


 仮にそなたらがそんな大それたことを

 実行しようというのであれば、

 わしとてもはや宮中にはおれまい!」


この言葉を受け、徐佩之らは

引き下がるのだった。



徐羨之が自殺した後、

劉義隆りゅうぎりゅう、徐佩之については

免官のみでことを済ませた。


が、まもなく徐佩之は

茅亨ぼうりょうという人をそそのかし、

反乱を起こそうとした。


そのことを應襲おうしゅうという人に伝える。

この乱がなった暁には、

茅亨を兗州刺史に任じるし、

應襲については豫州にするぞ、というのだ。


が、両名。無理だろそんなん、と判断した。

ふたりとも、このたくらみを王弘おうこうに密告。


徐佩之は百人ばかりを集めて、

牛を生贄にささげ、

その肉を参加者に振る舞い、

年明け間もなくに決起。

が、数日と経たず鎮圧。

徐佩之は斬り殺された。



徐佩之の弟、徐逵之じょきし

劉裕の長女、劉興弟りゅうこうていを娶った。


劉裕は四十代も後半になって、

初めて息子を得た。

なので、息子たちはまだ幼い。


そこで白羽の矢が立ったのが、徐逵之。


かれに大軍を率いさせ、

大いに武功を立てさせる。

そう、目論んでいた。


そこで司馬休之しばきゅうし討伐に際し、

徐逵之に先発隊を務めさせた。

これを成し遂げたら、徐逵之に

荊州を任せよう、とまで考えていた。


が、戦没した。


その息子に、徐湛之じょたんしがいる。




兄子佩之,輕薄好利,高祖以其姻戚,累加寵任,為丹陽尹,吳郡太守。景平初,以羨之秉權,頗豫政事。與王韶之、程道惠、中書舍人邢安泰、潘盛相結黨與。時謝晦久病,連灸,不堪見客。佩之等疑其託疾有異圖,與韶之、道惠同載詣傅亮,稱羨之意,欲令亮作詔誅之。亮答以為:「己等三人,同受顧命,豈可相殘戮!若諸君果行此事,便當角巾步出掖門耳。」佩之等乃止。羨之既誅,太祖特宥佩之,免官而已。其年冬,佩之又結殿中監茅亨謀反,並告前寧州刺史應襲,以亨為兗州,襲為豫州。亨密以聞,襲亦告司徒王弘。佩之聚黨百餘人,殺牛犒賜,條牒時人,竝相署置,期明年正會,於殿中作亂。未及數日,收斬之。佩之弟逵之尚武帝長女會稽宣公主,為彭城、沛二郡太守。武帝諸子並幼,以逵之姻戚,將大任之,欲先令立功。及討司馬休之,使統軍為前鋒,待克當即授荊州,於陣見害。追贈中書侍郎。子湛之。


兄の子の佩之は輕薄にして利を好めど、高祖は其の姻戚なるを以て累しば寵任を加え、丹陽尹、吳郡太守と為す。景平の初、羨之の秉權を以て、頗る政事に豫る。王韶之、程道惠、中書舍人の邢安泰、潘盛と與に相い黨與を結ぶ。時にして謝晦は久しく病し、灸を連ぬらば、客に見ゆるに堪えず。佩之らは其の疾に託ち異圖有したるを疑い、韶之、道惠らと與に同載し傅亮を詣で、羨之が意を稱し、亮をして詔を作さしめ之を誅せんと欲す。亮は答えて以為えらく:「己ら三人は同じく顧命を受く。豈に相い殘戮すべかるや! 若し諸君の果して此の事を行いたるに、便ち當に角巾にて掖門を步き出でたるのみ」と。佩之らは乃ち止む。羨之の既にして誅さるに、太祖は特に佩之を宥し、免官さるのみ。其の年の冬、佩之は又た殿中監の茅亨と結び反を謀り、並び前の寧州刺史の應襲に告げ、亨を以て兗州と為し、襲を豫州と為す。亨は密かに聞きたるを以て、襲は亦た司徒の王弘に告ぐ。佩之は黨百餘人を聚め、牛を殺して犒賜とし、時の人に條牒し、竝べて相い署置し、明くる年の正會を期し、殿中にて亂を作す。未だ數日に及ばずして、收め之を斬る。佩之の弟の逵之は武帝の長女の會稽宣公主を尚し、彭城、沛二郡太守と為る。武帝の諸子は並べて幼く、逵之の姻戚なるを以て、將に之を大いに任ぜんとせば、先に立功せしめんと欲す。司馬休之を討つに及び、軍を統じ前鋒と為さしめ、克すを待ち當に即ち荊州を授けんとせど、陣にて害さるを見る。中書侍郎を追贈さる。子は湛之なり。

(宋書43-11_衰亡)

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