郗超2  劉宋の立役者  

郗超ちちょう傅瑗ふえんって人を支援していた。


やがて傅瑗の子供ふたりが

あげまきを結うようになった。


幼稚園児になった、

くらいのの認識がいいだろう。


子らとしばらく付き合ってみたあと、

郗超は傅瑗に言う。


「弟のほうが才覚も、

 名声も上になるだろうな。

 が、君の家系を保つのは、

 兄になるだろう」


そう、傅迪ふてい傅亮ふりょうの兄弟である。




郗超與傅瑗周旋,瑗見其二子並總髮。超觀之良久,謂瑗曰:「小者才名皆勝,然保卿家,終當在兄。」即傅亮兄弟也。


郗超は傅瑗と周旋す。瑗は其の二子の並べて總髮なるに見ゆ。超は之を觀て良や久しうし、瑗に謂いて曰く:「小なる者の才と名とは皆な勝りたり、然れど卿が家を保ちたる、終には當に兄に在らん」と。即ち傅亮兄弟なり。


(識鑒25)




そう、ジャネーヨ(憤怒)


傅瑗

最終的に安城あんじょう太守にまでなった、という事だ。という事はやっぱり劉裕と家格同じくらいの人なんですよねー。


傅亮

劉裕りゅうゆうの幕臣。文学的知識、文筆才能に優れ、劉裕後期の詔勅だなんだはだいたいこの人の手によるってくらいの状態になった。そんなんだから劉裕に少帝劉義符りゅうぎふの補佐を託されたのだが、義符があんまりにもクソだったため廃立を企て、弟の劉義隆りゅうぎりゅうを皇帝に推戴(文帝)。この時劉義隆は「兄上を殺してはくれるなよ」と懇願したのだが、結局劉義符は殺された。「その罪によって」殺された。まぁ世説新語の時代って傅亮処刑後二十年と経ってない時代ですし、彼らの存在は常識みてーなもんだったわけですけど。


傅迪

弟ほどの才能はない、と言われたが、お陰で中央の真っ黒な政争に関わる必要もなかった。だいたい弟が「皇帝を殺した」咎で殺されてんのになんで族滅喰らわねーで済んでんだよって話である。

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