政治家編 東晋後期

郗超1  嘉賓と釈道安  

郗超ちちょう 全13編

既出:諸葛亮3、廃帝1、簡文18、

   簡文23、苻堅4、苻堅5、

   桓温18、桓温31、桓温35、

   桓温45、謝安7、謝安21、

   謝安36、謝安40、郗鑒4



郗超は僧侶の釈道安しゃくどうあん

めっちゃリスペクトしていた。


なので多量の米とともに、

何枚にも及ぶラブレターをしたためた。


すると釈道安はただちにこう答えた。


「こうして米を損なわねば

 身を保つことすらままならぬのが、

 煩わしくてなりません」




郗嘉賓欽崇釋道安德問,餉米千斛,修書累紙,意寄殷勤。道安答直云:「損米,愈覺有待之為煩。」


郗嘉賓は釋道安の德問を欽崇し、米千斛を餉り、書を修せるに紙を累ね、意を寄すこと殷勤たり。道安は直ちに答えて云えらく:「米を損ぜられ、愈いよ有待の煩を為したるを覺ゆ」と。


(雅量32)




郗超(「崔浩さいこう先生」より)

郗鍳ちかんの孫。桓温かんおんの参謀としての働きを見せた。京口けいこうに赴任するもいちいち腰の重い父の郗愔ちいんに業を煮やし、その名を偽って実質的な前線引退しますよ宣言をさせた。これによって桓温は北西両府の軍権を掌握するに到る。桓温にとっての比類なき功労者であり、また晋書観点では「元凶」とも呼ぶべき存在ともなる。桓温の簒奪謀議の立ち上げにも絡んでおり、また「枋頭ほうとう」前夜には諫止の奏上をなし、後日桓温に「あの時超の言を容れておれば」とも言わしめた。桓温の諸葛亮しょかつりょうとでもいうべき存在である。


釈道安

中国における仏教信仰の原型を確立した、ぐらいにまで書かれてる凄い人。襄陽じょうようにいたため、のちに苻堅ふけんが襄陽を攻め落とした時に文人の習鑿歯しゅうさくしとともに拉致られている。そこで苻堅が「晋は陸機りくき陸雲りくうんの二人を手に入れたが、わしは一人半を手に入れたな!」と大喜びしたという。ちなみに習鑿歯の足が悪かったため半分扱い。どうなのそれ……。


習鑿歯はのちに晋に帰ったが、釈道安は苻堅のもとに残り、「いや晋に攻めるのマジアウトですからやめた方がいいですよ」と諫言し、無事突っぱねられている。結果淝水ひすいでン万の死者を出すわけだから、そりゃ釈道安も止めるわな、と言う感じである。

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