姫と宦官

ここは、臾路(ユジ)の国。海に面し山に囲まれた小さな国。この国には、国民から愛される姫がいた。名前はイヨリ。夜空のような黒髪に、宝石のようなキラキラした瞳を持つ、いつも笑顔の可愛らしい姫だ。

 その笑顔が今日はなかった。ずっと、困ったような怒っているようなそんな顔をしていた。これに周りの者たちはなんとかイヨリの笑顔を取り戻そうと奮闘した。

 ある者は、イヨリの大好きな菓子を持ってきた。しかしイヨリは「今は食べる気にならないの」と言った。またある者は、美しい服を持ってきたが…同じ結果だった。何をしたらいいのか…。多くの者が只々困惑した。

 この困惑を見て、只々呆れていた者がいた。不思議なオーラを纏った、あの男。いや女と言うべきか…。女の着物を身に付け、女言葉を使っている、一言では言い表せない存在だった。

「ねぇ、今日はイヨリと寝るから、邪魔しないでね」

 侍女達は『彼』の不思議なオーラに圧倒され、引き下がるしかなかった。というか、イヨリ姫の笑顔を取り戻せるのは、『彼』しかいないと皆わかっているのだ。

 『彼』はイヨリの寝室に入った。花の柄の入った簾があり、その向こうに寝台がある。

「イヨリ~、アタシよ~♪」

 声をかけても返事はない。でも簾の向こう側にイヨリがいるのを『彼』はわかっていた。特に根拠はないが、イヨリが小さい時から仕えてきたのだから彼女の行動は何となくわかるのだ。

「イヨリ~、入るわよ~」

 『彼』は優しく声をかけ、簾をめくって寝台の方を見た。寝室には月明かりが差し込んでちょうど寝台を照らしていた。寝台の上には、胎児のようにうずくまって寝ている、黒髪の少女がいた。その姿に『彼』は母性本能のようなものをくすぐられた。

 『彼』は薄暗闇の中で優しく笑い、寝間着をスルリと脱ぐ。イヨリと一緒に寝る時に裸でいるのは、昔から。

「イヨリ、こっち向いて。」

 少しだけ、イヨリは顔を向ける。『彼』の美しく、''不気味''な裸体が月明かりに照らされていた。

「ふふっ。アタシ、綺麗?」

 コクリとイヨリは頷いた。このやり取りも、昔からしている。

 『彼』には、男性器がない。生まれつきなかったわけではなく、今の国王に仕える際に国王の命令で切除した。つまり、宦官だ。

本人はどう思っているのかは謎だが、女のように振る舞うことを楽しんでいるようにも見える。

「綺麗な髪ねぇ…」

イヨリの隣に寝そべる『彼』は、イヨリの髪を指で弄んでいた。

「ありがと。」

 イヨリは相変わらず浮かない顔をしている。

「…大人数に寄って集ってご機嫌とられると困るわよね…。ねぇ、イヨリ。この部屋にはアタシとイヨリしかいない。二人っきりよ。だから、貴女に何があったか、アタシだけに教えてほしい。」

 イヨリは少しの間だけポカンとしていたが

「カリン…」

と『彼』の名前を呼んだ途端に、大きな声で泣いた。

「よしよし…アタシの可愛い可愛い、イヨリ。」

 カリンはイヨリを抱き締め、頭を撫でる。

泣き喚く少女は最も信頼する彼に、自分の心を締め付ける原因を話し出した。

「今日、お父様に呼ばれたからウキウキしてたら、私結婚しなきゃいけないんだって。…嫌なの」

「あんなに小さかったイヨリが、もう結婚ね…おめでとう。どうして嫌なの?」

 イヨリはキッとカリンを睨む。

「だって、知らない相手と結婚して子ども作らないといけないんだよ。…それが、嫌なの!」

「でも、結婚しないとこの国が無くなっちゃうかもしれないのよ。姫として生まれたなら、この国のために生きなきゃ。」

「わかってるよ!でも、好きでもない人と夫婦になるなんて、耐えられないの!」

 カリンの体をバチバチ叩く。

「イヨリ…やめて」

 カリンはポツリと呟く。

「バカ…!」

 イヨリはそう言ってカリンに背を向け、眠った。カリンはそっと後ろから抱き締め、手を握った。窓からは、満月でもなければ綺麗な三日月でもない月が見えた。

「今のイヨリとそっくりね…可愛い。」

 誰にも、しいて言うならイヨリにしか聞こえないような声で呟き、目を閉じた。


カリンの目が覚めた時、愛しくて堪らない姫はまだ眠っていた。脱いだ寝間着を身に付け寝室から出ようとしたとき

「カリン、待って。」

 とイヨリが駆け寄ってきた。

「ん?おはよう。どうしたの?」

 カリンは何時ものように聞く。

「…あの後考えてたんだけどね、私頑張ってこの国の為に生きるね。」

「起きてたの?…ふふっ…イヨリにはそうするしかないのよ。頑張れ。困ったら、アタシに頼ってね。」

 カリンはイヨリの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「あ、あと寝るとき、バカとか言ったり叩いたりして、ごめんね。痛かったよね…」

 イヨリは涙目になりながら言う。

「あんなの、痛くも痒くもないわ。大好きなイヨリ姫がやったことなら尚更ね。じゃあ、もうそろそろ行くね。」

 そう言って、カリンは寝室を出た。心配そうに侍女たちが見つめている。カリンは自信満々に言った。

「イヨリ姫の事なら大丈夫。まぁ、これからこんな風になることがあるかもしれないけど。その時はその時ってことで。」

「ああ。ありがとうございます。カリン様。」

 カリンは困ったように笑った。カリン様と呼ばれるのは、どうも恥ずかしいらしい。



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愛している。 倉園みつこ @yunagi78

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