この世の終わり。デボラを形容するにあたっては、この一言に尽きる。
デボラを終末の体言者たらしめているのは、そのスケール違いなスペックと、それを裏付ける科学的考証の賜物であろう。
しかしそれ以上に、本作が様々な立場の人物からデボラを描写した、群像劇の形を取っているのが大きいと考える。
現地でデボラと接触し、犠牲となる兵士や民間人。彼らからはその脅威を体感的に伝えられる。
また、離れた位置からデボラと向き合う科学者や政治家達からは、数値や理論をもって、動かしがたい絶望が伝えられる。
そうして多角的に肉付けされたデボラと言う存在は、決して他人事とは思えない存在感を帯びている。
この最恐の怪獣が生み出されたのは、小説と言う媒体ならではと考える。
本当に、我々の世界にデボラがいなくて良かった。
明日からは、一日一日の平穏を大切にしようと思った。
……。
……。
……、……。
しかし待ってほしい。
デボラは本当に、実在しないのだろうか?
自然を保護すると人は言う。厳密にいえばそれはしかし、人類と現在の生物に適した環境に保つ、という意味だ。
自然とは、地球とは、もっと、お大いなる怖ろしきものだ。
それが動けば、生物の大半は絶滅する。それは地球開闢から何度も繰り返されてきた。
そして生命も。
最初に光合成をする生物が生まれた時、他の生物は増える酸素に適応できずに次々と死んでいった。
そんな地球の歴史を思わせる、大いなる怖ろしきものと人類の年代記。
巨大で、ハードで、科学的。宇宙の深淵や遥かな未来の果てしない荒漠とした遠さを思わせるぞわっとした感覚を味あわせてくれる魅力的な怪獣SFです。