嘘を笑う

 こちらの世界に来てすぐの頃に勇人はやとくんと英明ひであきくんが用意してくれた私の通信用魔方陣を教えると週に1、2度のペースで藤堂とうどうさん改め月盛つきもり孝時たかときから連絡が入るようになった。


 魔力は発信者持ちなので魔方陣さえ用意しておけば障害者のレッテルを貼られた私でも離れた場所にいる相手と話すことができる。

 ……スマートフォンはおろかショルダータイプの元祖携帯電話すら夢のまた夢。

 インターネットも普及していないご時世だと、これがとてもありがたい。


 ただ、毎週のように料理を作り過ぎる月盛孝時は分量をしっかり測ってから作るということをまず学ぶべきだと思う。


 週に1、2度ペースで入る連絡の大半が料理の受け渡しのためって……。

 いや別にいいんだけど。


「僕が好きに作ったものばかりをお渡しするのも忍びないですし、何かリクエストはありませんか?」


 身分証のそれとは別のブレスレットから発された『声』に思わず暇なんですか、と返しかけた。

 口を一度閉じてからそれらしい言葉に変えて誤魔化しておく。


 ——2つで1つのブレスレットは正しく組み合わせることで魔方陣が浮かび上がる。

 英明くんデザインの通信具だ。


 時計の針が深夜を示す午前0時過ぎ。


 廿浦つづうら専務の秘書として参加したパーティから帰宅してすぐのこと。

 魔方陣が機能しないよう2つに分けていたブレスレットを手癖で1つに戻してしまったせいで、脱いだばかりのパンプスを履き直すハメなってしまった……。


 寝ている子供たちの安眠を妨害する訳にはいかないし、そうするとワンルームという仕切りのない空間からは出る他に選択肢がない。


 非常識な時間帯であることは相手も承知の上。

 謝罪の言葉から話は始まったけれど、エレベーター前のラウンジに備え付けられた椅子に腰掛けたところでそっとため息を吐き出すくらいは許されるだろう。


「実を言うと料理は作っている時間が好きで……だから、いつも作り過ぎてしまうんですけど……」


 食べる段階になると途端にどうでもよくなるらしい。

 通信先の『声』の主。月盛孝時……。

 本人を前に口を滑らせたらマズいので呼び方を藤堂さんに戻すけれど、彼はおにぎりやサンドイッチの方が食べやすくていいですよね、なんて割とガチなトーンで言い始めた。

 サラダから始まってスープに煮物、バリエーションに富みながらも外れのない料理を届けてくれる相手の言葉とは思えない。

 ……作るのに疲れてません? 大丈夫です?


「あの、まさかとは思いますが、これまでにいただいた料理は我が家のためにわざわざご用意してくださったものだったとか……?」


 もしそうだとするなら、それこそ忍びないので今後はお断りを申し上げさせていただきたい。

 ……ただの善意と言うには強引が過ぎるし、世話を焼いてくれる彼に裏がないなんて思うほど能天気な頭をしているつもりはない。

 何が目的か。

 分からないことだらけの私に言えることがあるとすれば他人の食事を作るだけの暇があるなら体を休めた方がいいってこと。


 何せ、彼は主人公。

 ただそこに立っているだけでも次から次に神という名の作者から無理難題を課せられる運命を背負っている。

 ぶっちゃけ休む暇あるの? ってくらい、漫画でも忙しなく、時間に追われていたのだ。


 裏社会のスパイが欲しがりそうな情報なんて私は持っていない。

 人脈にしたってそう。

 価値のないもの・・・・・・・にわざわざ時間を割くよりも休んだ方がいい。


「いえ。もし作っても構わないのであれば届ける料理を2、3品増やさせていただきますが」


 何故増える。


「さすがにご迷惑になるかと」

「どちらかと言えばこちらがご迷惑をおかけする形になるかと思うのですが……」

「先程も述べた通り作るのは好きなんです」


 魔道具の充電が切れそうなので今日のところは、と通信を切った藤堂さんは最後に「リクエスト、考えておいてくださいね」と付け足した。


 ……料理を作ることでストレスを発散しているタイプなのかもしれない。

 作ることに疲れているというよりも疲れているので作りたい?

 …………うーん。よく分からん。


 考えたって仕方のないことに頭を回すだけ無意味なので寝て忘れることにした。



 私も私なりに忙しいのだ。

 覚えなければならないことはたくさんあって、常識も価値観もこれまでとは異なる世界で、教養を身につけ直さなければならない。

 田舎から出てきた小娘なので多少ものを知らないのも仕方のないことだと、そう思ってもらえている内に。


 ワルツ、タンゴ、フォックストロット、社交ダンスと呼ばれるものを習った。

 英語、中国語、フランス語、スペイン語、扱えて損はないからと渡された様々な語学の教材を必死になって読み込んでいる。

 廿浦専務が呼ばれるパーティにはお金と権力を持ったお偉いさんが顔を揃えているから。

 踊れない、喋れない、つまらない女を連れてきたと専務の顔に泥を塗る訳にはいかない。


 廿浦専務に見限られたら私の未来は終わるのだ。


 魔法障害者だから……。

 一般に社会的地位の低い魔法障害者が就ける職と言えば娼婦くらいのもので、つまり、失業すると体を売り物にしなければいけなくなる。


 唯一と言ってもいい。

 私に残された唯一、自由にできるこの体さえもを他者に明け渡さなければ生きていけなくなるのだ。

 それだけは避けたかった。


 だって、そうまでして生きる意味がどこにある?

 名誉、尊厳、矜持、守るものを失くしてなお、それらを踏み躙る相手に媚びへつらって……。

 飼われるように生きることを認めた瞬間、私は人ではなくなる。

 生きながらに死ぬのだ。

 多分、きっとそう。




          ▼  ▽  ▼




 突然だが藤堂さんを泊めることになった。


 はじめは10分。

 料理の受け渡しついでにお茶を飲んでいく程度だったのが、日を追うごとに20分、30分……。

 そうやって少しずつ滞在時間が伸びていった結果である。


 勇人くん的に疲れた顔をしているように見えたらしい藤堂さんに休んでいってはどうかと声を掛けたのがキッカケだった。

 ……らしい、なんて言い方をしているのは私にはいつも通りの藤堂さんにしか見えなかったから。


 気付けば食卓に席が増えていて、リクエストを尋ねられた料理は運ばれてくるのではなく、我が家のキッチンで作られるようになっていた。

 一緒に食べるのに別の場所で作るよりもその方が効率的だからって。


 ……藤堂さんがうちに泊まるようになるのは時間の問題だったとは思う。

 情報も持たない人脈もない私自身に価値はないけれど子供たちは別だ。

 何より、亡くなった知り合いを彷彿とさせる彼らを無視することができるか。

 できなかったに違いない。



「いくつか不躾な質問をさせていただいてもよろしいですか」


 ——子供たちが揃ってお風呂に向かった直後のこと。

 ひと通りの家事を片付けてからローテブルに教材を広げた私の隣に来た彼は言う。


「……なんでしょう」

「あなたが口に出さないできた悩みは子育てのことですね?」


 当たりで外れ。

 勇人くんとよく似たヘーゼルグリーンの瞳に見詰められながら私は心の内で答える。


「そしてそれを相談できる相手もいない」

「…………」

「2人の父親は?」


 本当に不躾だ。

 私は藤堂さんから逸らした視線を手元に落とす。

 汐雫さん。

 名前を呼ばれた。


 きっと初めて会ったあの日から……。

 ぶつけたくて仕方のなかった質問なのだろう。

 答えを聞くまで引き下がる気もない。

 そんな意思を感じさせる。


 けれど、残念。

 私は彼が予想しているだろうどの言葉も答えとしては持ち得ない。


「分かりません」

「……分からない?」

「覚えていないんです。妊娠した時のこと。相手のことも含めて何も」


 気付いた日には居間にいた。

 彼らは私にとって、幻想の鳥コウノトリが運んできたも同然の存在だ。

 父親なんているはずもない。

 誰の腹から産まれたかも分からない。


「それは……」

「おかしいですよね」


 それでも彼らは『子供』で。

 私は『親』なのだ。


「……父親を探そうとは?」

「探せると思います? 手掛かり1つないのに」

「本当に何1つ?」

「ええ。まったく」

「相手のことだけではなく、あなた自身が立ち寄った場所や心当たりなども?」

「ありません」


 沈黙が落ちた。

 藤堂さんが何を考えているかは分からない。


 嘘だと思われた?

 誤魔化そうとしているって?

 そうかもしれない。

 だけど、どれだけ問い詰められたって私の答えは変わらない。


「気にはならないんですか?」


 ようやく絞り出された言葉に私は彼へと視線を戻す。


「こう言ってはなんですが僕と勇人くんの容姿はとても似ている……」

「そうですね」

「記憶がないのであれば僕を父親と疑ってもおかしくはない……けれど、そんな素振りをあなたが見せたことはない……どうしてですか?」

「…………さあ?」


 そう答えるしかなかった。

 可能性としては確かにあり得る話だが、他の誰が彼らとよく似た顔で私の前に立とうと、父親かもしれないなんてことは考えなかったろう。

 考えたこともないことをすぐには答えられない。


「私、藤堂さんと関係を持ったことありましたっけ」

「……いえ」

「じゃあ、いいじゃないですか」


 藤堂さんには関わりのない話だ。


「だいたい魔法障害者losterを相手に責任を取ろうなんて考える人いないでしょう」


 魔力を持たず寄生虫のように誰かしらの手を借りてしか生きられない魔法障害者losterが相手なら何をしたって咎められない。

 それがこの世界における共通認識。

 だから娼婦くらいにしかなれなくて、世間的にも夜のオモチャ程度にしか思われていない。

 子供ができたから責任を取って、なんて言ったらこちらが白い目で見られるのである。


「それでも普通、記憶までは奪いません」

「そうですか」

「あなたほど孤独な魔法障害者losterも他にはいない」

「……そうですか」


 奪われたのは記憶じゃない。

 孤独なのは魔法障害者losterだからじゃない。

 だけどそれは説明のしようがないことだし、わざわざ説明する必要があることとも思えない。


「汐雫さん」


 手を取られる。


「僕でよければ力になります。相談してください」


 心の底から心配なのだという顔をする。

 スパイなんてやってるだけあって善人の皮の被り方をよく心得ているらしい。

 私は目を伏せる。


「……ありがとうございます」


 知らなければ騙されてやれたのだろうか。

 この男の嘘に。


 ……再三繰り返しているように人脈もない私だが企業という組織形態に所属している以上、仕事上で知り合った相手というのは少なからずいる。

 偶然を装って近付き私を踏み台に繋がりを持とうと思えば、それは不可能ではない。


 そうやって知り合った相手の内の1人。

 先輩秘書の仲川なかがわ遥香はるかと彼はよろしくやってるらしい。

 聞いてもないのにペラペラとよく喋ってくれる彼女のおかげで夜は激しいとかどんな性癖を持ってるかとか、赤裸々も赤裸々な情報が私の耳には入っている。

 本気かどうかは知らないが相手はもっとちゃんと選んだ方がいいと忠告してやりたい気分だ。


 ……そんな男をどうして家に泊めるのか?


 子供たちと仲が良いからだ。

 子供たちにとっては大切な相手だからだ。


 裏社会に身を置いてるのも国のため。

 国家のためなら悪に染まることも厭わない。

 その本質は善人の皮なんて被る必要もないくらい善意に満ち満ちている人だから——。


 まあ、その善意が私に向けられることはないのだけれど。


 重ねられた手の温もりに母を思い出す。

 けして良い意味ではない。

 男の温もりに走った母のどうしようもない弱さを思い出す……。


 私の母は明るい人だった。

 愛嬌のある人でムードメーカーとも言えたろう。

 嫌ってはいない。

 だけど、少しだけ憎く思ってる。

 素直で、子供のように、自由で、迷惑な人。


 私が祖母と2人暮らしなんてしていたのも元を辿れば母のせいだった。


 母子家庭となって実家に戻った母が再婚し子供を残したままに家を出たから。

 離婚したのは私が赤子の頃。

 再婚は中学も3年の頃の話。


 そして、程なくして進学や就職を理由に兄たちも家を出た。

 取り残されるようにして私は祖母と2人。

 無駄な広さに思い出だけを詰め込んだ家で暮らしていた……。


 母の再婚相手と折が合わなかったのが実家に残されることになった最大の理由となる。

 しかし、そもそもとして、母が再婚することを決意したのは独り身の寂しさに堪えかねたからだった。

 子は巣立つ。

 1人きりとなる老後を想像し恐れたのだ。


 これは母の口から語られた事実である。


 気持ちは分からないでもない。

 どうしようもない虚しさも寂しさも。

 それに負けてしまう弱さも。

 

 理解ができてしまえるから仕方ないねとその背を見送って私は最後、1人になる。


 相談してどうなるの?

 私の問題は私にしか解決できない。

 善人の皮を被った男の嘘に縋って何になる?

 バカを見るだけだ。

 …………吐き気がする。



 世界は、どうしようもないくらいに理不尽だ。


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彼女の魔法レベルはZ 探求快露店。 @yrhy

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