ピアノの音

ことのは もも

ピアノの音

 職場の人間関係で悩みに悩んで仕事を辞めて二ヶ月、心機一転しようと引っ越してきたこの街に、残念ながら私はまだ慣れてはいない。

 

 でも窓を開ければお隣さんからピアノの練習の音が毎日のように聴こえてくるので、それにはとても癒されている。

 

 バイエルをやっているので弾いているのはまだ小学生だと思うけど、最初に聴いたときにはあんなにつまづいていたのに、ここ一ヶ月でめきめきと上手くなってきていて、あまりミスをしなくなってる。

 

 本当にピアノが大好きなんだろうなぁと考えると、保育士だった私はやはり嬉しくなる。

 

 お隣さんには引っ越してきた当初ご挨拶に伺ったんだけど、その時はまだ学校から帰ってきていなかったのか顔を見たことはない。

 男の子かな?女の子かな?

 そんなことを毎日想像している。

 

 ある日、職探しから帰宅したタイミングで、家の前でお隣の奥さんに久しぶりにお会いした。

 

「こんにちは! 今日も暑いですねぇ。でもお宅のお子さんは毎日ピアノの練習を欠かさないなんて本当に偉いですよね。凄くピアノが好きなんですね!」

 

 私がそう言うと奥さんの表情が途端に曇った……。

「うちの子は一人だけなんですが、一ヶ月前に交通事故で亡くなってもういないんです……。ピアノは頂き物で古かったし、弾いている姿を思い出すのが辛くて処分してしまって家にはもう無いのですが、練習している音がそちらに聴こえてるなんてそんな……」

 

 私は驚愕した。

「えっあの、私の聴き間違いかもしれません。というか、近所のどこか他のお宅のお子さんの弾いてる音が聴こえてるんだと思います。間違えてすみません。失礼します……」

 

 そう取り繕うと直ぐに家に入った。まさかこんなことって……。

 どう考えても隣の方角から聴こえてきているのに、その子がもういないなんてどういうことなの?

 

 少し怖くなってしまったが、私は疲れていたのもあって、暫く昼寝をすることにした。

 

「ねぇねぇおねえちゃん! わたしのピアノをもっとひいてよ。おねえちゃんのほうがうまいんだもん」

 小学校低学年くらいの女の子が私に話しかけてきたところで、ハッと目が覚めた。

 

 今の夢って……。

 

 気がつくと私は普段は使ってない物置にしている部屋で、小さめのピアノを弾いていた。

 

 そうだ、このピアノはゴミ置き場にあったのだけど、まだ使えそうだと思って持って帰って来てしまったんだった。

 これがあの子の……。

 

 私が楽譜を色々と持っているから、このバイエルを弾いてとせがんできていたのかな。

 そう理解するとお隣さんに線香をあげに訪ね、お母様に全てを話し、これからもこのピアノを使い続けて良いか伺った。

 

 お母様は涙を流しながら、快諾して下さった。

 

 私は帰宅して夕涼みをしながら、

『これからも毎日一緒にこのピアノを弾こうね!』

 一番星の輝く空に向かって、そう呟いた。

 

(了)

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ピアノの音 ことのは もも @kotonoha_momo

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