初期録

紺魚

デンキウサギ・前編

 その日は国民の祝日だった。べつに暇というわけではなかったが、大学生の休日なんて虚無みたいなものだ。読書とインターネット、それとレポートの仕上げくらいしかすることがない。

 その頃の僕は自称マンションの三階に住んでいた。マンションとは名ばかりで、三階建てだから一番上の階だ。都心からはちょっと離れすぎた郊外で、窓からはこんもりと森が見えた。

 起きている時間の半分以上を無駄に消費したころ、突然玄関のインターホンが鳴った。

「電気屋です」

 電気屋?

 家電の出張修理か、それとも点検かなにかだろうか。いずれにせよ頼んだ記憶がない。

「ちょっとお待ちください」

 インターホンを切って玄関へ向かう途中、洗面所の電灯が点滅しているのが見えた。どうせなら直してもらえたらと思ったが、よく考えれば電気屋は常に電球を持ち歩いているというわけではない。

「どうぞ」

 ドアを開けると白い作業服のお兄さんが立っていた。

「今日はどういったご用件で」

「あっ、電気の配達です」

 なるほど、お兄さんの服の胸元には稲妻をモチーフにしたらしいマークが記されている。確かにそれっぽい雰囲気だ。

 夏の日差しのもと、全身輝くような真っ白の中でマークだけが黄色く目立って見えた。

 しかしなぜ電気を配達するのだろう。電気なら電線からたっぷりもらっている。ひょっとして妙なセールスとか、詐欺とかだったりしないだろうか。

「どうして電気を配達するんですか」

 お兄さんは一瞬考えるように空を見上げて、すぐに僕のほうを見つめた。

「すみません、私にもわかりません」

 その顔があんまり困ったふうだったので、思わず同情しそうになってしまう。いけない。詐欺には立ち向かわなければ。

「お値段はいくらでしたっけ」

「あっ、既にお支払い頂いているはずですが」

 すぐに返事が来たのでびっくりした。代引きだったら受け取り拒否しようと思っていたぶん、拍子抜けだ。

「一応、お値段はいくらでしたっけ」

「すみません、私にはわかりません」

「そうですか」

 困った。もうお金は払ってあって、あとは受け取るだけらしい。

「あとで料金を請求されたりしませんか?」

「あっ、そのようなことは絶対にございません」

 どうやら本当に詐欺ではないらしい。

「あっ、ご不安でしたらこちらの番号までおかけくださればスタッフが対応いたしますのでそちらもご利用ください」

 カードまで渡してくれた。

「それはありがとうございます」

「あっ、いえ」

 にしても、いつ頼んだのだろうか?

 もしかすると昨晩、酔った勢いでポチってしまっていたのかもしれない。昨日は実験データがおかしくて自棄酒を飲みすぎたから、あまり自分を信用しきれない。データの方は結局、自分のミスだったのだが。

「電気の扱いとかってどうすればいいですか」

「あっ、中に説明書があるのでそちらをお読みくださればお分かりになるかと」

「ありがとうございます」

「あっ、いえ」

 仕方がないので受け取ることにした。



 二十分後。

「キューッ」

「おーよしよし、いい子いい子」

 お兄さんに電気と言われて渡された包みの中から出てきたのは白い箱。その中からさらに飛び出してきたのは白いうさぎだった。

 とてももふもふしているのだが、毛は全部ハリネズミみたいにピンと跳ねている。触れると静電気がバチバチするが、不快というほどでもない。かわいい。

「キューッ」

「よしよし、落ち着きなさい」

 ずっと箱に仕舞われていて退屈だったのか、部屋中を走り回るうさぎを十分かかってどうにか膝の上に落ち着けさせた。もふもふ。

 とにかく説明書を読まねば始まらない。箱の中をまさぐっていると、同封の小さな紙切れを見つけた。


[Electric Rabbit:電気的美兎 取扱説明書]

「①本製品は高圧電気製品です。むやみに触れないでください」

「えっ」

 慌てて膝から降ろす。

「②本製品を使う際は、付属のアダプタでお尻を各電気製品に接続してください」

 確かにそれらしきコードが付いていた。

「③本製品は使用後、野生に返してください」

 どうやら地球に優しいらしい。

 試しに古いラップトップに繋いでみると、数十秒で満タンまで充電された。わあ便利。これ本当に大丈夫なんだろうか。

 よく見ると、特に決まった形をもたない端子が相手に合わせて自由に変形している。仕組みはわからないが、とてもハイテクな製品なのだろう。

 とりあえず特に使い道もないので、箱に仕舞って玄関に置いておくことにした。慣れてきたのか、うさぎも比較的素直になってくれた。やっぱりかわいい。

 得な買い物をしたものだ。念のため財布の中からクレジットカードの残額まで確認したが、まったく減っていない。

 玄関に向かう途中で洗面所の電灯を見ると、なぜか治っていた。

 その日はご飯を食べて、風呂に入ってすぐ寝た。夢は見なかった。


(前編おわり)

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