デンキウサギ・後編
翌朝は頭に本が降ってきて目が覚めた。
題名は「センター試験過去問題集 地理B」だった。あまり硬くない本でよかった。
かなり大きい地震らしい。
ドン、ときつい横揺れが建物全体を揺らした。ベッドがひどく軋んだが、小刻みな振動が自分の身体の震えなのか、地震動なのかはよくわからなかった。怖い。
咄嗟にベッドの下の隙間に潜った。飛び退いた直後にさっきまで寝ていたところに「広辞苑」が落ちて、スプリングがバキッといったが、どうでもよかった。
見れば、そばの本棚から次々と本が雪崩れ落ちていく。どうも目覚めた段階で脛にも本が降ってきていたらしく、いまさら打撲したような痛みがした。
揺れは永遠に続くかとも思われたが、体感で五分くらい続いてようやく街に静寂が戻った。あとで聞いたところ、震度七だったらしい。
振動が止むと枕元のスマートフォンを懐中電灯代わりに、足元を照らしながら部屋を出た。暗くて全体はわからなかったが、他の部屋もかなりやられているらしかった。家電は倒れて物も砕け、当たり前だが電気は繋がらない。
避難するしかなかった。
災害バッグの準備をしていると、ドアを激しくノックする音がした。
「倒壊の危険があるので避難お願いします」
ドア越しでも部屋の端まで響くような大声だったから、聞き間違えようがなかった。反射的に部屋の壁を見渡すと、いくつかヒビが入りかけているのが見えた。僕は急いだ。
玄関まで走ってきて飛び出そうとした瞬間に白い箱が目に入り、ようやくうさぎのことを思い出した。迷ったが、役に立ちそうなので箱ごと連れて行くことにした。
ドアは歪んでいたが、全力で蹴飛ばすと開いた。急いで階段を駆け下りて建物から離れると、住人たちが集まっていた。どうやら自分が最後だったらしい。
合流して振り返ったとき、ちょうど自分のいた部屋が潰れるのが見えた。マンション自体もほぼ倒壊寸前であった。
空はもう白みかけていた。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
地震から三日が経ち、避難所の一角には行列ができていた。老若男女問わず、一列に並んだ人々は各自の端末をうさぎに接続しては去っていく。
不思議なのは、かなりの人が代金として現金か、配給の乾パンを置いていくことであった。無料で充電してくれと言ったし貼り紙にも書いたのだが、対価を払わないと死んでしまう病気にかかっている人もいるらしい。そもそも僕のものでもないのに。
あれから、うさぎは想像以上に役に立ってくれていた。スマホはもとより災害車両のバッテリー充電まで幅広い用途に活躍し、連日連夜電気を放出し続けている。ほとんど無尽蔵とも思えるほどの電力量であった。
いま思えば、電気屋のお兄さんには感謝しかない。この地域の住民は、うさぎなしでは死んでいたかもしれないからだ。
そう思うたびに、無料で貰い受けてしまったことに対する罪悪感が少しずつ積もってゆくのだが。
「あっ」
ちょうど充電していた人が叫んだ。
「どうしました」
「電気が……」
見るとうさぎの目は緑から赤に戻り、すでに通電はストップしていた。ハリネズミのようだった毛は覇気を失い、動かないただの毛の塊に成り下がっている。
ついに尽きたらしい。
僕は列を解散させて、ひとり森へ向かった。
倒壊したうちのマンションの前までくると、うさぎは身じろぎし始めた。とはいえ最初のように暴れるということもなく、ただ手の上で心地よく揺れるだけだ。
マンションの前の森はかなり広い。辿って行けば山地とも接続しているし、近くに大通りもないから、すぐに車に轢かれることもなさそうだった。
適当な場所を見繕って、両手を地面に近づけてやる。
「地球に還れよ」
森に向かって放してやると、うさぎは一瞬だけこっちを見て
「キューッ」と鳴いた。少しだけ毛が震えているのが見えた。
そうしてすぐに飛ぶように走ってゆき、消えて見えなくなった。
それ以来、電気うさぎには会っていない。
(デンキウサギ・終わり)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます