芸術によせて

第1話 

いよいよ年末。寒くなると、部屋から出なくなる典型的な引きこもりの私です。

そんな私が今月、普段使うことを最大限躊躇するタクシーで料金も気にせずかっ飛ばし、高校以来の友人の同人誌即売会に向かいました。

彼女は漫画家です。

彼女は、高校に入り、部活が忙しすぎたがゆえ(その他いろいろあったりして)クラスで浮いていた私と仲良くしてくれ、今までも縁が続く友人です。

彼女はとても変わった人です。人のことが大好きなのに、人と関わるとすぐ疲れます。私が調子に乗るとすぐにツンケンするけれどいつも人のことを考えて居て、私が落ち込んだり悲しい時、いつも不器用に傍にいてくれた人です。

彼女はとてもとても純粋な人です。私の友人の中では一番です。真っすぐすぎるが故、たまに空回っていることもあります。多分人の顔色を伺う才能はないと思います。私はそんな彼女が大好きです。

彼女の絵を最初に見たのはいつだったかもう忘れてしまったけれど、一目でその繊細さに心を奪われました。いつもは照れ隠しに殴ってくる小さな手で、こんなにも美しい絵を描ける人がいることを私は初めて知りました。

彼女の絵は繊細で、優しくて、柔らかで、はっきりした意識があります。時に天邪鬼で卑屈、でもやっぱり物事の本質を捉えた真っすぐな絵です。

その彼女から夢を聞いたとき、私はそれを打ち明けてもらえたことが本当に嬉しかった。夢を語ることができる人間は少なくとも私の周りでは稀有な存在でした。

そして、彼女の夢を応援できる職業につきたい。その思いは私の夢になりました。

「いつか漫画家と編集者として一緒に仕事をしよう。」

どちらがいったかその言葉は今も私の原動力です。

ま、私の夢の片棒担がせて期待で彼女を潰すつもりは毛頭ないので私の片思いです。

こんな調子で、彼女は専門学校に進学、今年も籍を置き、出版社に持ち込みをしたり、同人誌の販売に挑戦しました。


私の周りにはなぜか芸術家と言われる奇人達が多くいます。親戚の中にも三人くらい画家がいます。私が多大にお世話になっている作家さんは渦を書いています。月に一度一緒に飲み会に誘っていただける仲でもう1年半くらいのお付き合いになるかと思いますが何故渦を書いているのか知りませんし何なら本名も経歴も職業も知りません。でも、私は知らないことを不満に思ったことはないし語弊を招くやもしれませんが、知る必要はないと思っています。自然に知れたことで構成した人間性が好きだし、何より私はその人の描く渦が本当に好きです。これからもこの縁だけは大事にしたいと、そうしてもっともっとたくさんのことを知り合っていきたいと思える、そんな大好きな作家さんです。

職場にも作家活動を精力的にしている同期がいます。未だ全てを解剖できていないので未知数ですが、彼女の情熱やポテンシャルの高さを知ると、生み出すという事は常に喜びであるのだろうなと感じることが出来ます。


全てを語りつくそうとすると連載になってしまいそうですが、このほかにも音楽関連やら彫刻、伝統芸能やら建築、人体に至るまで私が芸術家だなあと思うひとはたくさん周りにいます。


たまに、怖くなります。

彼らは純粋無垢に芸術に全てをかけてしまっていて。

もちろんそうでない人も中にはいますが、私の周りには幸運なことに才能マンがたくさんいて、でもその人たちはその芸術でしか生きていく気がなくて、それを利用して生きていくことよりも、芸術を追求することで死んでいこうとしていて、本当に純粋無垢で、もし折れたら死んでしまうだろう人が多すぎて私は畏怖を感じる時があります。

私なんぞの心配は何にもなりませんが、その時思いました。


彼らを、彼らの魂を削り生き死にまで左右する芸術っていったい何なのでしょうか。


私の思う、私の芸術はこうして文字を書くことではなくて、料理にあります。

私はその系統の短期大学に通っていました。高校を卒業してもやることがみつからない放蕩娘は、親が薦めてくれた短大にただ進学したのです。料理なんて、親がいない日は家庭料理を作るくらいのもので、できるなら出来合いもので済ませたいずぼらが、学校に通い始めてからは和洋中料理を作らない日はなかった。

大きな包丁も、精密な分量計算も、重たい鍋も、暑くて仕方がなくて、髪も染められないダサい帽子をかぶる厨房も、法律で決められた衛生基準も、ネイルも出来ない短い短い爪も、決められた盛り付け配膳、食べる人に押し付けるような食事作法、全てが苦痛で仕方がありませんでした。

学びを終えて、2年生で実習に入りました。

そこで私は思い知ります。

付属の幼稚園に出す給食に、万が一でも菌や異物を食べさせるわけにはいかない。

「おいしい」と笑ってくれる子供においしくて安全な、それが当たり前である食事を届ける責任があると。

老養施設で綺麗に盛り付けられた正月膳に、涙を流すほど喜んでくれるおばあちゃんおじいちゃんが最も食べやすく、かつ、見た目が美しく喜んでもらえるものを作りたい。

国を、私達を命がけで守ってくれる自衛隊員の若者たちの体を作る食事の栄養は完璧でなければいけない。

特別な日に、特別な思いをもってフレンチレストランに来店するお客様の料理は、常に最高傑作でなければならない。


人に対する食への思いはそれぞれだけれど、料理とは常に人に向き合うことでした。


私は料理に夢中になりました。

卒業研究は、再現料理を選びました。

北欧諸国で広く作られる家庭料理をもとに、料理の起源を探り、使う香草までこだわって再現料理を作りあげました。

ただ一皿の料理には、何百年も続く母親が子を思う気持ちを作品として載せることが出来たと思っています。


私にはやんごとなき事情と高校生の時に火が付いた夢が常に頭にあり、結局料理の道に進むことはありませんでしたが、この短大2年の経験は、私の芸術は今でも存在していて、サービス業に就いた今でも、生き続けています。


私の主観の話をします。

芸術って、誰かの命そのもの、ですね。

魂を削って、とかそういうレベルではなくて、もうその人から切り離すことはできない命そのもの。

命あるからこそ私の芸術は道を逸れても生きて居られる。

命そのものであり、命ではない芸術である。


私はこれからも、命を追求する人々を応援します。過去の芸術をみに出かけ、その命の軌跡を憶えています。命を追求する人々の美しさを守る仕事に就きます。


この文章を目撃した人におねがいです。

あなたの芸術は何ですか。

あなたにとっての芸術って何ですか。



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