♢笑顔の魔法



 旦那さまの性格が変わってしまった理由にはいろいろな事情がありそうだ。



「傷付いた心の回復は難しいものだけど。なにかきっかけさえあれば戻ることもあるのに。本当に必要なものや大切なものにあの子が気付いてくれたらいいんだけど……。今はどんどん自分から遠ざけてるんじゃないのかねぇ」



 必要なもの……。


 そして大切なもの。



「遠ざけているもの……?」



 考え込む私を見てレベッカさんは笑った。



 それは暖かく包み込むような微笑みだった。



 レベッカさんは立ち上がり「そろそろいい頃だ」と言ってまた奥の部屋へ向かった。





「はいよ、薬が出来たよ」




 奥の部屋から戻ったレベッカさんは薬の入った包みを私に差し出した。




「ありがとうございました。このお茶、とても美味しかったです」




「あらほんと?飲み易かった?」



「はい、私は好きです。なんだかスッキリする味ですね」




 私は返事をしながら薬の代金を渡した。




「そうかい。それはよかった。じゃあ次までにお茶の葉をたくさん用意しておくから分けてあげようか」



「わぁ。嬉しいです」



「あらあら。あんたの笑った顔すごくいいわね」



「え、ああ……」



 私の顔を見つめながらレベッカさんは驚いていた。



 どうやら私は笑顔になっていたらしい。



「笑えるじゃないの。噂と違うのね」



「え、噂って。もしか して、レベッカさんも私がサイルーン様に魔法をかけられたとか、笑顔を取られたと思っていたんですか?」



 私の質問に、レベッカさんは首を竦めてフフッと笑った。



「まあね。でも……そうか、アリスは魔法をかけられてはいないのか」



「はい、いません」



「そうかい、なるほど。サイルーンがあんたに無愛想でいろと言うのもわかる気がする」



「え?何が判るんです?」



「あんたの笑顔にはかなり強烈な魔法の力があるってことさ」



「え!私の笑顔がですか?そ、それは魔力とか悪いものですか?」



「笑顔が悪いものなわけないさ。今度あの偏屈魔法使いの前で笑ってみたらどう?」



「そんなことしたら契約違反で解雇です」



 それに。


 無意識に微笑んでしまうのとは違って、意識して笑ってみるという行為には抵抗がある。



「アリスもあの子もなんだか似てるわね」



「私と旦那さまがですか?」



「笑えないところがそっくりじゃないか。素直になれなくて笑顔を遠ざけているところとか」



「それは………」



 だけど私、旦那さまほど偏屈じゃありません。


 言い返せない分、心の中で呟いた。



「あんたに魔法はかかってないが、サイルーンは自分に魔法をかけてるように私には見えるよ。魔法使いのくせに自分にかけてしまった魔法も解けないなんて困ったものだね。

 亡くなった奥様が今のあの子を見たらどう思うだろうね。誰だって我が子には笑顔で毎日を過ごしてほしいと思うだろうしね。我が子だけじゃない、大切な人にはみんなそうでしょ?」



「……はい。そうですね」



 レベッカさんの話を聞いて私は母を思い出した。



 笑えない今の私を見たらきっと母は悲しむだろう。



「無理して笑うことはないけど、我慢してもいけないということだよ。さあ、そろそろお戻り。帰りもその鍵を使いな。───またね、アリス」



「はい。失礼します」



 私はレベッカさんにお礼を言って扉の鍵穴に紫の鍵を差し込んだ。



 カチャリと回して扉を開けると眩しい光が差し込んで辺りを包む。



 外へ出た瞬間、青い屋根の家も手入れの行き届いた花壇も消えていた。



 その場所は森の中ではなく街裏の路地だった。



 すぐそばで低木に繋がれたカーリィが鼻をスンと鳴らして立っていた。


 私は手綱を引きながらゆっくりと表の通りへ向かって歩き出す。



「なんだか夢を見ていたみたい……」



 つぶやくと不意にカーリィが歩みを止めた。



「カーリィ、どうしたの?」



 馬に視線を向けると同時に、ふわりと風が舞い上がる。


 近くに何かが降りてきた気配がして顔を上げると、目の前に旦那さまの姿があった。



「旦那さま⁉ どうして………。いったいなぜここに?」



「どうしたもこうしたも。君はここで何をしてるんだ」



「私はレベッカさんに目薬を頂いて帰るところですが。ヘンリーさんに聞いてませんでしたか?」



「聞いてはいたが。昼食になるのに用意もせずまだ帰らないとヘンリーの奴が言うから。………レベッカには会えたのか?」



「はい。たった今までレベッカさんの家でお話しをしていて」



「何かされなかったか?」



「は?」



「あいつは気難しい魔女だからな。嫌がらせでもされているんじゃないかと思ったんだが」



 ───旦那さま、まさか心配して?



「そんなことはないです。レベッカさんは優しい方でした。お茶もご馳走になりましたし」



「まさかあの不味い薬草茶を飲まされたのか?」



「旦那さまが飲んだものと同じものかはわかりませんが。私がご馳走になったお茶は美味しかったですよ」



 カーリィを引いて歩き出した私の後を、旦那さまは慌てたように追いながら言った。



「それこそ嫌がらせだ」



「は? そんなことないと思いますけど。───私、またレベッカさんとゆっくりお話がしてみたいです」



「どんな話をするんだ?」



 それは……。



 偏屈で素直じゃない魔法使いの話とか。



 口には出さなかったが、目の前の旦那さまがなんだかとても困ったような顔をしていて。


 その表情が幼い子供のように見えた。



「それは言えません。女同士の秘密です」



 少しだけ笑みながら言った。



「仕事中は笑顔を封じるという雇用条件だったはずだぞ」



 私の表情に気付いたのか、旦那さまはムスッとした顔になって言った。



「私、今は休憩中です」



「休憩中?」



「午前の休み時間が取れませんでしたから。これからお屋敷へ戻る間は休憩時間としていただきますね。休み時間でしたら笑っても問題ないはずですよね? しかもここはお屋敷の外ですし」



 私の返事に旦那さまは驚いたように瞬きをした。



「なんだかいつもと感じが違うな。魔女に魔法でもかけられたのか?」



「……さぁ。どうでしょう」



 旦那さまが顔を顰める。



 どうやら私はまた笑顔になっていたらしい。



 そんな私を見つめながら、旦那さまは小さくため息をついて言った。



「……休み時間であれば仕方ない。屋敷へ戻ったら気を付けるように。ところで、遅めの昼食のメニューはなんだい?」



「短時間でできる卵料理を考え中ですが。なにかリクエストでもありますか?」



「卵か。そうだなぁ」



 横を歩く旦那さまの表情の中に、ほんの少しだけ微笑みが見えて、私はなんだか嬉しくなった。


 嬉しくなるなんて。不思議な気持ちだった。


 誰かの笑顔で素直な気持ちになるとか………。



 こういう瞬間が、レベッカさんの言っていた『大切なもの』なんだろうか。


 旦那さまが遠ざけているものなのだろうか。


 素直になれない魔法を自分にかけて。


 ………そしてそれは私も同じかもしれない。


 旦那さまと私は似ているとレベッカさんは言った。


 母親の死。悲しみや寂しさ。理不尽に対する怒り。


 考えてみれば、そういったものが共通している。


 そのせいかほんの少しだけ、親近感が芽生えた。




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笑わないアリスと銀眼鏡の魔法使い ことは りこ @hanahotaru515

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