♢薬師の魔女



 街では相変わらず好奇な眼差しを受けた。



 このまえ林檎を買いに来たときと違うのは、荒野で悪戯好きな霧の妖精に出会わなかったことくらいだ。



 それにしても。


〈街外れ〉ってどっちだろう。


 一応、出かける前に屋敷にあった街の地図を見てきたが、街の中央通りを真っ直ぐ進むべきなのか、西の方角へ進んで農道へ出た方がいいのか。


 それとも街裏の路地を進むと外れに出る道もあることが地図でわかった。


 一番近い街外れは街裏の路地から行く道だ。


 鍵が道案内をしてくれるとヘンリーさんは言ったけれど。


 胸に下げた紫色の鍵は何も示さない。


 とりあえず近道へ言ってみよう。


 路地へ馬を進めた途端、



「わ! ───ちょ、ちょっと⁉ 」



 馬が勢いよく駆け出した。



「カーリィ! 」



 私は慌てて馬の名を呼んだ。



「止まって! カーリィっ、危ないから!」



 裏路地は細く入り組んでいる。



 表通りから突然現れ、荒々しく駆けていく馬に皆驚き慌てていた。



 どうか誰も飛び出してきませんように!



 速度を緩めることのないカーリィの背で私は祈った。



 裏路地を過ぎれば街外れに出る道があるはず。



 流れ過ぎる家並みがだんだんに途切れ、目に映る景色が変わっていく。



 狭いと感じていた路地が開けて、真っ直ぐに遠くまで見通せる道になった。



 外れに出たのだと感じた瞬間、胸に違和感を覚えた。



 見ると紫の鍵が輝いている。



 その眩しさにおもわず目を背け視線を正面に向けると、進む先にも紫色の光が見えた。



 その光は扉のような輪郭になり、真ん中には鍵穴が現れた。



 まるでそこへ引き寄せられているようにカーリィが速度を上げる。



 鍵が放つ輝きに導かれるように、私は紫の光を潜り抜けた。



 途端に辺りが薄暗くなり、カーリィが走ることをやめた。



 一瞬にして遠くまで見通せる道は消え、鬱蒼とした森の中に変わっていた。


 胸元の鍵の輝きは消えている。


 きっと街外れの森に入ったのだ。


 魔女の住む森に。


 鍵が持つ魔法の力が働いたのだと思いながら馬を進めると、青い屋根の家が見えてきた。


 魔女の家と聞いて、薄暗く不気味な館を想像していたのだが、その家は森の中だというのに日当たりの良い場所にあり、手入れの行き届いた花壇があった。


 そしてその外観は丸みがあり、ふっくらとした果実を思わせるような可愛らしい家だった。



 私はカーリィを木に繋ぎ、玄関へ向かった。



 扉に付いたノッカーに触れようとしたとき、



「───ノックは不要だよ。鍵をお使い」



 女性の声が聞こえたかと思うと、木製のノッカーが紫色の鍵穴に変わった。



 私は胸元の鍵を恐る恐る差し込んで回した。



 ───カチャリ。




 小さな音と共に扉がゆっくりと開いた。


「おやまあ。その鍵はヘンリーっていうウサギの獣人けものびとに渡したものだけど。おまえは誰だい?」



 目の前に立っていたのは小柄な老婦人だった



 このひとが魔女?



 小花柄のエプロン姿がなんだか可愛らしく、優しい雰囲気を感じる。



「あの、はじめまして。私、サイルーン様のお屋敷で働いていますアリス・マーリェントと申します。ヘンリーさんに代わって目薬を受け取りに来ました」



「あら、そうなの。そうか、魔法使いが銀眼鏡を付けたんだね。私はレベッカ。よろしくね。そういうことならわかったわ。あの薬はね、いつも出来たてを作って渡してるの。今から作るから少し待っててちょうだいね」



 魔女レベッカは私に椅子に座るよう促すと奥の部屋へ向かった。


 それから少しして、レベッカさんはティーセットの乗ったトレイを持って現れた。



「目薬になる薬草の粉はね、ゆっくり溶かさないといけないの。それまであなたもゆっくりするといいわ。あのウサギより楽しい話ができそうだし。それにヘンリーが来たときにはいつも私が作ってる薬草茶の試飲に付き合ってもらってるの。あなたにもお願いするわね」



 ティーポットから、酸っぱくて香ばしいような、なにやらとても不思議が匂いが漂っていた。



「うふふ。ヘンリーは私が作ってる薬草茶をいつも嫌がるの。だからきっと目薬を受け取りに来る役目があなたになって喜んでいるんじゃないかしら」



(それは……。───うん。きっとそうにちがいない)



「それにしても。あの魔法使いがウサギ以外に使用人をとるなんて。あなたよくあんな偏屈に仕えてるわね。働きにくくないの?」



 レベッカさんに問われ私は首を振った。



「労働条件が私に合っているので。居心地は悪くないです」


「へぇ。条件があるんだ」


 レベッカさんは椅子に腰かけ、ティーカップに薬草茶を注ぐと私の前に置いた。


 酸っぱくて香ばしい香りのお茶は翡翠色をしていた。


 いただきます、と言って一口含むと、酸っぱさの次に薄荷ミントにも似た風味を感じ、後味はほんのりと塩気を感じる不思議なお茶だった。



「どんな条件か聞いてもいい?」


 レベッカさんは興味津々という顔で私を見つめた。


「笑わずに無愛想でいいという条件です」


「………あらあら。あの子、そんなことを言ったの。やっぱり笑顔嫌いな魔法使いに変わってしまったという噂は本当なのね」


「変わってしまったって……。旦那さまがですか?」


「ええ、そうよ。昔はね、お屋敷にも笑い声が満ちていた時があったのよ。でもあるとき………そうね、もう二十年も前になるかな。あれはサイルーンが七歳の頃だね。屋敷で働いていた使用人の裏切りにあって、危うく支柱樹の秘密が暴かれそうになったんですって」



「秘密?」



「支柱樹が存在する場所や魔法使いが護る秘密とか。北の銀樹には不老不死の力があるなんて噂もあったから。秘密を得ようとする者たちにサイルーンが誘拐されそうになったり。騒動は未遂で済んだけど、そんなことがあってから奥様は………サイルーンの母親は身体が弱くてね。事件があってからは尚更、心労も重なって臥せることも多くなって………。それから間もなく亡くなられた」


 レベッカさんは視線を窓辺へと向けた。


 その眼差しはとても寂し気に見えた。



「奥様は私が作る薬草茶を好んで買いに来てくれたり、私が屋敷に届けたこともあるわ。歳が近かったせいもあって、よくこんなふうにお茶をしながらお喋りを楽しんだわ。いつも笑顔で、とてもお優しい方だった。奥様が亡くなられてから、先代の魔法使い───サイルーンの父親は冷酷に変わってしまった。街にも事件に関わった者たちが何人かいたらしいけど……サイルーンの父親が処刑したという話よ。その家族も皆、始末されたと私は聞いたわ。その頃からだね、銀樹の護り人である魔法使いを怒らせてはならないと言われるようになったのは。

 母親が亡くなってから、サイルーンも心を閉ざすことが多くなってね。十代の頃は学問のために大都の学院へ入っていたから、長くこの地を離れていて。五年前に父親が亡くなってからこっちに戻ってきたようだけど。益々偏屈な性格になってしまったようね。亡くなった父親の葬儀でも顔色ひとつ変えなかったと街の者たちが話してたわ」



 初めて聞かされた旦那さまの身の上話に、私は驚くばかりだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る