涙味のカルボナーラ

フカイ

掌編(読み切り)




 カルボナーラの作り方のコツは、手際とスピードだ。

 変に凝ったり、特別な材料を使わなくったって、十分に美味しく作ることができる。


 まずはスパゲッティを茹でるお鍋に、たっぷりのお水を注ぎ、火にかける。目分量だけど、2リットルぐらい。火にかけたらそのお鍋に塩を大さじ2杯ほど、これまたたっぷり注ぐ。


 お湯を沸かしながら、同時にまな板でベーコンを切り始める。

 あれば塊を買い求め、なければスライスのもので構わない。ぼくはもっぱらブロックのベーコンを買ってきて必要分だけ切り出して使うことにしているけど。それはきっと、ぼくの贅沢。ママのレシピだとそれは、スーパーで売ってるスライスの奴だ。




 ママは台湾で生まれて、一七の歳に合衆国にやってきた。

 一足先にこの国に来ていたパパが属していた西海岸の中華コミュニティーがある。そのなかで、同胞をもっと呼び寄せようというキャンペーンが行われ、ママを含めた何人かが海を渡ったとのことだ。だけどそれは、キャンペーンなんて格好のいいものじゃない。単にお嫁さん候補を連れてきただけのことなんだって、みんな知ってる。

 そうしてママは、パパのこともよく知らないまま、引き合わされ、結婚した。1960年代のことだ。

 英語ができないから、ママは英語を使わなくてもできる仕事に就いた。チャイナタウンのビルの地下にある、モヤシの養殖工場だ。高い湿度の中、水を換え、芽の出たモヤシの殻を摘み取り、ザルですくってはパッケージに入れてゆく。学がなくても、英語ができなくても、誰にでもできる仕事だ。




 切り出したベーコンを、フライパンに移す。油は敷かない。ベーコンから滲み出てくる油で十分だから。フライパンを中火のコンロにかけて、ベーコンを炒るように熱してゆく。すると、ベーコンから泡が出るように、油がにじみ出てくる。

 ベーコンをそうやって炙っている間、まな板ではニンニクを刻もう。

 皮を向いたひとかけのニンニクをスライスし、細かく刻む。それをフライパンの中に入れる。ニンニクは強火で炒めると香りが飛ぶから気をつけて。

 ベーコンの油にそっとニンニクスライスをなじませてしばらくすれば、とても香ばしい匂いが漂ってくる。ベーコンの肉のうま味と、ニンニクのえも言われぬ香りだ。




 学がなくても、英語ができなくてもできるモヤシ養殖の仕事だけど、それは根性と忍耐力がなければとても耐えられない、過酷な仕事だ。

 ママはそれを何年も、何十年も、つづけた。ビートルズが流行った時代も、ヴァン・ヘイレンが流行った時代も。

 今のように労働者の地位が向上している時代ではない。ましてや我々は移民のマイノリティだ。搾取され、使役されることに慣れていなければ、とてもこの国で生き続けて来られなかったろう。

 ママは何も言わず、来る日も来る日も不快な高湿度の地下室で、モヤシの面倒を見続けた。

 そんなママの唯一の趣味は、中華新聞を読むことだった。英語はできないけれど、新聞を隅から隅まで舐めるように読み、様々な知識を蓄えていった。

 その中でママは、子どもの教育に関しては(東アジアの人間が誰でもそうであるように)ひどく熱心だった。そして新聞で読んだ情報を元に、ぼくをチャイナタウンの学校から、地区の普通の公立高校、そしてカリフォルニア州立大UCLAにまで送った。

 ぼくはそんなママを見て育ったので、学がないことの恐ろしさを身を以て知っていた。だから必死で勉強した。クラスメイトの誰もが驚くくらいのハードワーキングをこなしていたと自分でも思う。

 だからぼくが卒業と同時に法律事務所に入った時、同窓生は納得し、ママは泣いた。




 ベーコンとニンニクは余り早く火を入れすぎないようにする。

 そうこうしているうちに湯が沸くので、一人前百グラムのスパゲッティの乾麺を鍋に入れよう。スパゲッティは両手で絞るようにして入れると、鍋の中で上手に丸まってきれいに均等に湯で上げることができる。

 タイマーで時間を図りながら、ここからは時計との競争だ。

 小さな茶碗に卵を割り入れ、スプーンを使って卵黄だけをよりわけ、ボウルに移す。

 卵白は使わないので、茶碗にラップをして冷蔵庫入れてしまおう。

 卵黄の入ったボウルにバターひとかけと、生クリームを卵黄ふたつ分ぐらい入れる。そして先程のスプーンでそれらをよく混ぜる。バターは冷蔵庫に入っていたならすぐには溶けないので、完璧に混ざらなくてもいい。そこへ、粉チーズをたっぷり。そうだな、卵黄1.5個分ぐらいは気前よく入れちゃう。




 ママとはことある毎に喧嘩した。

 アメリカに来たというのにちっとも英語を習おうとしないのにも苛立ったし、中国の古い文化に固執して、風水だの占星術だのといった因習ばかりを口にするのも気に入らなかった。

 「ここは合衆国ステイツだよ、ママ」と何度声を荒げたことだろう。

 効率と論理と科学の国なんだ。合衆国のグリーンカードをとって、合衆国の市民になったんだもの、いつまでも古いしきたりに縛られていちゃダメだ、と言い立てた。

 だからぼくが、女性しか愛せない女なんだと自分で気づいた時、それは絶対ママには言えないと思った。

 自分の見知ったことだけを信じて、それ以外を偏執的に拒絶するママに、自分の娘が同性愛者ホモセクシュアルだなんて言えるわけがなかった。

 だからぼくはずっと、ママに自分の性的志向に関しては嘘をつき続けた。

 メリールーと知り合ったのはザ・ファームでのことだった。

 それまで交際した女性は何人かいた。すべて中国人だったけど。オープンで進歩的な南カリフォルニアにあっても、同じ性的マイノリティであり、かつ同じエスニックであるひとというのは自然に近づき合うものだからだ。




 卵黄とバター、生クリーム、粉チーズの入ったボウルを、ぐらぐらと茹だっているスパゲッティ鍋の上に持っていき、そこにちょっと浮かべる。お湯が吹きこぼれないよう気をつけながら、スプーンで手際よくボウルの中をかき混ぜる。

 お湯の熱気でボウルが熱されて、それで粉チーズもバターも溶けるから。

 同時に弱火で火を通しているベーコンとニンニクにも目を配って、焦げないように注意する。

 ボウルの中身があらかた溶けたら、鍋から外し、塩と黒コショウを振って最後にひと混ぜ。

 タイマーを見れば、きっともうあと少しでスパゲッティが茹で上がる時間!




 メリールーはありのままのぼくを受け入れてくれた。

 ママの影響で、進歩的な南カリフォルニア人のふりをしながらも、どこかで風水や東洋の占いのことを気にしてしまう妙なぼくを、笑って抱きしめてくれた。

 ぼくたちは一緒に暮らし始めた。カリフォルニア州は提案8号と呼ばれる同性婚の禁止条例を破棄した。メリールーとぼくは、教会で結婚式をあげることになった。

 結婚式にママを呼ぶためにぼくは実家に帰った。

 ママにその話を切り出せず、ぼくはキッチンでお茶を飲んでいた。

「夕ごはんは食べたの?」とママが中国語で聞いてくる。

「まだだよ」とぼくは答える。

 ママは台所に立つと、大鍋に湯を沸かし始めた。

 そこから口も聞かずに集中して、スパゲッティ・カルボナーラを作り始めた。





 スパゲッティ鍋の中身をシンクに置いたザルにあけて。盛大にあがる湯気を避けながら、お湯を切らずにザルを一旦鍋に戻す。そしてその鍋に溜まったお湯ごと、フライパンに茹で上がった麺をぶちまける。コンロの火力を最大にすれば、ジュワっと音がして、香ばしい匂いがキッチンじゅうに広がる。水気のあるスパゲッティをベーコンとニンニクから出た油で絡める。フライパンを軽く煽りながら、麺の表にも裏にもまんべんなく水分と油分を行き渡らせたら、そのまま卵のボウルにフライパンの中身を開ける。

 スプーンでボウルの底のソースを麺にからめる。二度、三度。上下をひっくり返しながら全体にソースを行き渡らせたら、テーブルのお皿に中身を開ける。




「お食べなさい」とママは言う。中国語で。

「すごいじゃない!」とぼくは驚いて言う。

 フフン、と得意げにママは笑う。

 ぼくは添えられたフォークに麺を巻き付け、頬張る。チーズと卵黄のコク、ベーコンとニンニクのうま味。すべてが渾然一体となって、口の中で溶け合う。見事なスパゲッティ・カルボナーラだ。

「ママ…」と言ったっきり、言葉が出ない。

 美味しい。

 あの、中国語しかできないママが。風水と占星術しか知らないママが。

「いまはチャイニーズタイムスにも、こういう外国のレシピが出てるのよ。ママは英語は話せずじまいだったけど、いろんなことを知っているのよ」

 うん、とぼくは頷いて、もう一口のカルボナーラを食べる。

 涙があふれてくる。

「倖せに、なりなさい。そのひとと」

 ママは言った。メリールーのことは、弟に聞いたのだと。

 うん、としかぼくは言えない。


 ママの子で良かった。


 すこし涙の味がする、カルボナーラのレシピを覚えなくては、とぼくは思った。




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