怠けたい明日へ

「いつまでも悪魔総長が人間如きの術で止められると思うな!」

「がはっ」


 祭加の体から見る見るうちに鬼気が抜けていき、だらんとした手から出刃包丁が滑り落ちました。餓魅塵は牙を剥くと、祭加を地面に叩き付けます。


「ごふっ」


 コンクリートが蜘蛛の巣のような模様を描いて割れ、祭加が横たわります。

 口から血を吐き、風前の灯火のような顔の祭加。そこには天使サリエルを威圧していた神鬼なまはげの面影はありません。


「サリエルさん……。すみません……油断しました……」

「嘘……だろ……」

「天使のお相手をできて、光栄でした……」

「目を開けろ!」

「サリエルさん……あとは、あなたの勇気次第……」


 それから祭加は何も言わなくなりました。


虐破破ギャハハ! 最高の玩具だった!」


 殺戮を終えた悪魔は不協和音のような笑い声を響かせます。

 サリエルは唇を噛み締め、焦点の定まらない目で祭加の体を見つめました。



 ウザかった。はっきり言ってウザかった。

 頼んでもいないのにウチの生活を改善させようとして、

 あの手この手でウチに絡んできたお節介人間!


 でも――いい奴だった。


 ウチの体のことも心配してくれた。

 ウチの髪を洗ってくれたときも、服をコーディネートしてくれたときも、優しくウチに微笑んでくれていた。

 こいつは、ウチ以上に――


使」のようだった。


「許さない!」


 サリエルは瞋恚の炎を瞳に宿し、餓魅塵を睨み付けました。


「俺と黙示録ケンカしようって! できねえよなあ、臆病チキン天使!」


 木刀を握り締め、餓魅塵は万全の臨戦態勢。

 しかし、サリエルは退きません。


「ここで逃げたら悪い子だ! あいつに怒られてしまう!」


 サリエルは眼光を煌めかせます。すると突然、余裕だった餓魅塵が木刀を落とし腹を抑え込みました。


っ? なんだ、腹がイテェ! 頭も啖啗クラクラする!」


「邪視でお前を胃腸炎にした!」


何胃痛痛痛痛なにイイイイイーッ!」


 サリエルは自分に、そして自分を変えようとした人に語りかけるように呟きます。


「なまはげ……いや、祭加。ウチは使命を思い出したよ。人の善意を無駄にする奴、悪い奴は一人残らず光にしてやる。自分もそうならないよう心掛ける。そして、人間界から悪魔を消し去ったあとで……思いっきり遊んでやる!」

「人間なんて弱っちいモンを守ってどうする。それこそ無駄だ!」


「ド阿呆! 人間がいなくなったらスマホゲームの利用者も減ってサービス終了してしまうやんけ!」


覇昂ハアッ!?」


 唖然とする餓魅塵。

 そこへサリエルは光輝く三日月鎌を構え、素早く一閃!


「ウチには怠けたい世界が欲しいんだー!」


唖斃死あべし!」


 眩い光が刷毛のように餓魅塵の体を断末魔ごと塗り潰し、やがて塵一つ残さず悪魔は消え去りました。

 名状しがたい達成感が体の裡から生まれ、嗚咽を漏らしながらサリエルは天に祈ります。


「見たろ、祭加。ウチ、勝ったんだよ……。もう安心して眠れるだろ……」


「いや、死んでいませんから」


 すっと鼓膜に滑り込む優しい声音。振り返ればそこにはさっきまで倒れていたはずの祭加が立っていました。


「うわ、お化け!」

「いえ、なまはげです」

「無事だったのか……」

「ええ、あれくらい薬師如来の真言で治せます。それで、サリエルさんがどうするか見守らせてもらいました。結果、貴重な天使の悪魔討伐シーンを拝むことができて感激です」


 鬼畜的な笑みを浮かべる祭加。しかし、サリエルは怒ることもなく、


「そうか、よかった……。祭加……」


 ただただ彼女の無事に安堵し、その場で泣き崩れたのです。

 祭加は穏やかな口調で告げました。


「これで【外に出て歩こう】も【悪魔を退治しよう】も達成。そして【全てのミッションを達成しよう】も達成ですね。なまはげチケットを三枚差し上げます」


 祭加からチケットを三枚受け取り、サリエルはきょとんとします。


「え、?」

「集めたなまはげチケットは秋田のNHKなまはげ派遣組合宛に送ってください。後日ギフトカードを返送します」

「やった! じゃなくて、もうお前は……」

「動機はどうあれ、勇敢に戦ったサリエルさんの姿とその決意を見せてもらいました。それはもうではありません。ですから……お別れです」


 祭加が見せた笑顔は、明るくもどこか寂しそうでした。

 サリエルの鼻の奥が沁み、胸が疼きだします。

 それでも、確かに温かい光が心の中で生まれたのです。


「そうか、ありがとう萩祭加なまはげ。世話になった」

「その服はサービスで差し上げますね。私だと思って大事にしてください」

「ああ!」


 祭加は礼儀正しく腰を折り曲げると、くるりと振り返り歩き出しました。

 おそらく、秋田に帰るのでしょう。


「また会おう祭加。次はなまはげじゃなくて、普通の人間としてのお前に!」


 そのためにも天使としての活動を精一杯がんばろう。

 サリエルはそう決意し、マンションに戻るのでした。

 





 数日後――


(祭加、お前が帰ってから部屋が汚れてしまったよ。服も洗うのが面倒だからクローゼットの奥に封印して今はパジャマ姿だ。でも……すぐに慣れると思う。だから――)


 ボサボサの髪のまま、コタツに潜り込んだサリエルが寝転んでいるときでした。


 ドンドコドーン


 耳を劈くノック音が響きます。


「なんだ……このリズミカルな叩き方は……。ウチのドアは和太鼓じゃねえっつーの」


 不審に思ったサリエルがドアを開けると、



「悪い子はいねがー!」



 そこにいたのは彼女なまはげでした。

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大天使サリエルちゃんは怠けたい アルキメイトツカサ @misakishizuno

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