4-2 手紙(最終話)
「――しゃきっとして!」
どん!
と、憂の背中に気合いを入れた。
探偵部の存続がかかっているのだ。校長の新しい依頼を断るわけにはいかない。
「ボクシング部に殴り込みに行くキチガイぶりはどうしたのよ。学校と町の治安を守るんでしょ? それって大切なことでしょ? みんなをその気にさせたのに、このまま一人で逃げるつもり?」
あの、燃える瞳の憂が桃子は好きだ。自分を助けるために頑張ってくれたから、休みたいなら、休ませてあげたい気もするが。
「よし、やるくぁ……」
憂が大あくびと共に言った。
「やる気があるんだかないんだか……」
「もともと、探偵部みたいなものが学校にあればいいなって、思ってはいたんだよ。ずっと前からさ」
「そうなの?」
「校長も言ってたけど、やっぱり校内の事件は警察なんかに頼めないだろ? 生徒の問題は生徒で解決する。それがいいんじゃないかってさ。自分でやるとは思わなかったけど」
「あ、憂くん! あの指一本っていくらなの?」
秘密でもいいが、副部長として探偵部の財政を把握しておかなければならない。
「一万円」
「そうなの!」
もっと多かったらどうしようと思った。安心したような、ちょっとがっかりしたような。
桃子は、憂がもっとお金を持っていると誤解していた。なぜなら、大きな理科室を部室にして、学校の所有物のソファやベッドを貰うことが出来て、ボクシング部からもお古のサンドバッグを貰って、理科室の冷蔵庫はいつも食材でいっぱい。
「十万なんてあるわけないよ」
憂が頬を上げて「あはっ」とひとつ息を吹き出した。
「金の出所は校長だったけど、全部校長のポケットマネーだから、そんなに取れるわけがない。せいぜい、学校の備品を優先的に分けて貰えるくらいさ」
「そうなのね……」
一日五十円とはいえ「校内治安維持活動費」という名目で部員にお金が出る。それが探偵部の魅力だ。現部員の心を繋ぎ止め、新入部員を迎え入れるためにも、事件をばしばし解決しなければならない。
「憂くん、ばりばり事件を解決しましょう」
「はっきり言って、自信はない」
憂が情けない顔をして大きな溜息を落とす。
彼が探偵っぽく見えたのは誤解だった。
三十二回も同じ四週間をやり直していたから起こることがわかっていただけで、推理ができたわけではない。考えたら、二年一組の窃盗事件の犯人を言い当てたのは、憂がいつかのやり直しの回で、隠れて犯行を見ていたからかもしれない。今から思えば、あの犯行現場を撮影した映像は本物の気がしてきた。本物なら、犯人の顔が青ざめたはずだ。
急に気弱になった憂に、桃子も心細くなってきた。それを打ち消すために、
「泣き言を言わない」
と、明るくハッパをかけた。
「箱とかボールの弾む方向とか、偉そうに言ってたじゃない。ボールの弾む方向は、必死に考えれば見えてくるわよ」
なにごとも、やる気を失えば前へは進めない。
「台本なしで、俺にできるのか……」
「ボールの跳ね方を想像するのよ。ボールをよく見る。ひたすらに見る」
「ボールそのものが見えない……」
「とにかく頑張りましょう!」
憂の背中を押して校長の待つ部屋に行く。
ソファに一年生の三人が座り、校長の話し相手をしてくれていた。依頼主を逃がさないように、みんなも頑張っている。
「福くん! 福くん!」
校長は感極まった様子で両手を広げた。
ほとんどもう拝むような仕種で憂にすがりつく。
憂を見て、金剛力士か毘沙門天か、そんな神様が降臨したかのような騒ぎだ。
(どんなに頼りにされてるのかしら)
桃子は呆れた。
校長には憂しか頼る人が居ない。だが、その憂が頼りない。今度は自分が憂を支えてあげなければならない。そう、気持ちを引き締めた。
校長に依頼了解の返事をして、その日はクッキーを下駄箱の前に置き、校内の見回りを軽くしただけで帰宅することになった。
これから、桃子は父親の病院にお見舞いに行く。
下駄箱に行くと憂も付いて来た。いや、憂も帰宅するのだろう。同じクラスだから、下駄箱の位置も近くにある。ついさっきクッキーを置いたばかりなのに、五枚入りの子袋が、もうひとつも残っていなかった。
「あれ? 憂くんの下駄箱って、前から鍵が付いてた?」
前は付いてなかったような気がした。
下駄箱荒らしは、被害は激減したが、まだたまに被害の報告があって完全には解決していない。その下駄箱荒らしの犯人も探偵部のクッキーを持ち帰って食べているかもしれず、もやもやしたものを桃子は抱えていた。
憂は自信なさげに眉を下げ、
「これからはもう、テストなしの本番が続くからな」
と言った。
「本番って?」
「やり直しがきかないってこと。泥の中のホッキ貝みたいに、用心深く生きていくしかないんだよ」
「でも、鍵があると夢があるのよ」
扉の隙間から下駄箱には手紙を入れられる。鍵さえ掛けてあれば、不届き者に手紙を持ち去られたり、読まれることは決してない。
はっ!
として、桃子は下駄箱を閉めた。
(手紙が入っていた……?)
鼓動がまだ鎮まらない。白い手紙らしき物がたしかにあった。扉の隙間から入れたものか。
憂の様子をうかがうと、そっぽを向いている。手紙を見られてはいない。憂は、手紙を見たら嫉妬するだろうか。バスで言われたあの言葉は、本心だったのだろうか……。
「ねえ、私が誰かに手紙を貰ったらどうする?」
思い切って聞いてみた。声が震えているのは自分でもわかる。
「下駄箱に入れられたら? それって、男子生徒からってこと?」
「うん……。実は、入ってた」
「とりあえず、差出人を見てみれば? 女子からかもしれないし、間違えて入れたかもしれないから」
なるほど……。
手紙を見ると、差出人は憂だった。
――副憂
と、角ばった彼の文字で署名がしてある。
下校の道は家が近いから、自然と一緒に歩くことになってしまう。憂は下駄箱から無言で、ちょっと怒ったように下を向いている。
(もしかして、怒ってるわけではなくて照れてる?)
憂の表情を観察したが、よくわからない。手紙は、一年生の悪戯かとも思ったが、憂の態度を見て、彼が書いたものだとわかった。
「何を書いたの?」
文章にしてまで言いたいことは何なのか……。手紙を読むのが怖かった。
「手紙で書くことなんて決まってるだろ」
と、憂は不機嫌そうに言った。
ということは、告白……だろうか。
「憂くんって、付き合ってる人がいるんじゃない?」
「えっ?」
憂は冷水を浴びせられたような顔で桃子を見た。
「どういうことよ?」
と言ったのは憂だ。
「中学のとき、付き合ってた女の子がいたでしょ? 同じ美術部だった子で」
「なんのことかわかんない」
本当にわからなくて困惑しているようで、目をきょろつかせ、梅干しを口に入れられたみたいな酸っぱい顔をしている。どうやら、前に香椎に聞いた話は事実と違うようだ。
「男だったら、シャキッと言葉で言えばいいのに」
桃子は怒ったように言った。へんなことを聞いた恥ずかしさを隠すためでもある。
「男だからシャキッと手紙を書いたんだろ」
「いつも部室で会ってるんだから、そのとき渡せばいいのに」
「じゃあもういい! 返せ!」
キレるタイミングが謎な人で、顔を真っ赤にして向こうを向いて手を出した。
憂が下駄箱に鍵を設置したのは、桃子からの返事を待つという意味なのか。このくらいのボールの弾む先は桃子にも想像できた。それに、下駄箱に手紙が入れられるのは夢があっていいとずっと思っていた。売り言葉に買い言葉的に、つい挑発するように言ってしまっただけで、入れられて嬉しくないはずがない。幼稚園の昔、こんなふうに憂と喧嘩をしたのかなぁ……と思い、本当の自分が帰ってきたようで嬉しかった。
「今、読んでもいい?」
「しらん!」
ますます顔を赤くして、からかうのはこの辺にしよう。
「ごめんね。帰って読むから。そして、ちゃんと返事を書くね」
ただ、思いの丈を書いた割には薄っぺらい手紙で、ちょっと不安になった。手紙で書くことは決まってるとは、まさか、何かの抗議でもしたためたのか……。
別に封もされていない。
鞄に手紙を入れて、その中で中身を調べると、便せん一枚だけの手紙だった。あとで読むはずだったが、ほんの一行しか文字が書かれていない。その一行が、目に入ってしまった。
――映画に一緒に行ってください。
たったこれだけ……。
勇気のない告白だと思った。だが、憂らしい。この場合、映画に行くことがお付き合いの最初になるということだろう。断りたかったら断りやすく、断られた人も傷付かない。じれったい優柔不断の告白。
「いいよ!」
と、桃子は憂に口頭で返事を返した。手紙で書くと重くなりそうで、返事に困る内容だった。
「……なにが?」
「手紙、もう読んじゃった。これって、告白ってことでいいよね?」
「う、うん……」
念のため憂に確認したら、憂の顔はさらに赤くなった。
「私も憂くんが好きだよ」
と、風が吹き抜けるようにさらっと言えた。
「私、映画にも行きたかったの。公開したてのさ、誰もまだ観てない映画に行こうよ。何が起こるのか、わからないから面白いんだよね?」
「よ、よし、行こう!」
「探偵部の依頼も、先がわからなくて怖いけど、みんなで頑張って解決していこうよ」
「うん。怖いけど、結末を見届けるさ。自分で良い結末に変えられるはずだしな」
「その意気よ。すすめー!」
日が暮れるのがずいぶん早い時期で、まだ午後五時前なのにかなり暗く、すでに道は街頭に照らされていた。桃子たちの登る坂の先に、いったい何が待っているだろう。〈了〉
むりやり探偵と百の愛 エイジ @ei_hito
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