第4章 来たれ、探偵部!

4-1 やる気のない人


「――福くん!」

 校長が巨体を揺らし、息を切らせて入って来た。ここは橋内高等学校旧校舎三階理科室。もちろん、十二月に入ってからもここは探偵部の部室である。不釣り合いに立派な看板も、入り口の横にちゃんとある。

「とりあえず、どうぞ」

 と、桃子は校長に座るように言った。

「校長先生、髪が乱れています」

 優奈が櫛を手に、校長のやや薄くなった髪を整える。

 桃子は、今はそんな時じゃないのに……と思った。

 だが優奈に妥協はない。校長に手鏡を持たせ、髪の裾まわり、そして耳の周辺を丹念に櫛で整える。さすがにハサミまでは使わないが、細い指で握った櫛を小気味よく動かし、小さめの手のひらでペタペタ髪を押してカタチを作る。べつに中年男性だからといって手を抜かない。

(優奈さんの良いところだけど)

 桃子は思った。

 物怖じしないし、嫌な顔も滅多にオモテには出さない。

「福くんは?」

 校長は整えられてゆく髪を手鏡で覗きつつ言った。落ち着かない様子で額の汗を指でぬぐう。

「ハンカチ、持ってないんですか……?」

 森が、ポケットティッシュを持ってきて校長の前に置いた。もう十二月だから、そんなに汗は出ていないはずだが、校長がしきりに額を拭く仕種をするので、汗が周囲に落ちないか心配のようだ。

 先日、学校の倉庫に眠っている古いソファがあるというので、それを貰ってきて探偵部の応接スペースを作った。校長もそのソファに座っている。訪問した相談者の話を聞くためだ。これまで、理科室だった部室には、前から置いてある座り心地の悪い丸椅子しかなかった。ソファを置いて、ようやく相談者も落ち着いて話ができるだろう。ただ……。


 ――困りごとの相談などありましたら探偵部へ。


 そういう案内を学校の提示版に貼り出し、毎日そわそわして待っているのに、まだお客さまの来訪が一度もない。

「西尾くん、ぼんやりしてないでお茶を出してください」

 桃子は突っ立っているだけの西尾に指示を出した。思い出したように西尾が奥の部屋に下がり、すぐにお茶を持って戻ってきた。

「福くんは居ないのかね?」

 校長がきょろきょろする。

 優奈は相変わらず髪を整えていて、森は校長の汗が引くように両手をぱたぱた振って風を送る。接待されてるのはわかったようで、校長はひとつうなずき、出されたお茶をぐびっと飲んで、

「それで、副くんは」

 と、また言った。

「とりあえず、落ち着かないと冷静に話ができませんし」

 桃子は笑顔を絶やさない。

「コーヒーの方がよかったですか? クッキーがもう少しで焼けますから、それを食べていってください。今日はチョコレートクッキーもあります」

 西尾が珍しくチョコレートを譲ってくれて、それを砕いてクッキーに散りばめた。今日は普段のクッキーよりも上等だ。

「クッキーはいいから、副くんは?」

「はあ……」

 と、桃子は首を軽くひねり、

「居るといえばいるし、居ないといえば居ませんね」

「どっちだね?」

「居るような居ないような……」

「禅問答をしに来たわけじゃないんだよ」

 校長はイライラしたように膝を指で叩いている。

「呼んできます!」

 桃子は憂を呼びに奥の部屋に行った。

 旧校舎の理科室は、元々あまり使われていなかったが、探偵部ができてからは完全に使われなくなり、桃子たちが占有している。奥の備品室に古いベッドを運び込み、今は探偵部の休憩室になっていた。

 どんな事件が起こるかわからない。

 学校に止まり込みの事態が起こるかもしれず、災害だっていつ起こるかもしれない。なにごとも準備が大切で、様々なことに対応できるように探偵部を作っている。家具類は学校からの貰い物だが、クッキーの材料なども部員の家での余り物が原料となっていて、最近は部外の生徒の家庭からも譲ってもらい、譲ってくれた生徒には恩返しでクッキーにして返している。

 その奥の部屋のベッドに丸くなって寝ている怠け者がいる。

「また寝てるの?」

 桃子は怠け者の眠るマットレスを腕で押した。その体が反動で波を打つ。

「うん……」

 と、寝ていなかったのか、やる気のない返事が返ってきた。

「起きて。校長先生が来てるのよ。どうしていつもそうなのよ。探偵部はどうするの?」

「……もう、やめてもいい」

 あの、バスの事故があって、桃子たちが無事に学校に復帰してから、ずっと憂はこんな調子だ。瞳から燃えるものが消え、まるで虫歯のオオカミのような覇気のない姿を見せている。

「やめない!」

 桃子はマットレスに両腕を乗せて、全体重を乗せてそこを揺すった。憂の体がゆさゆさ揺れる。

「さあ、起きて。一度やり出したことは最後まで責任を持ってやりとげましょう。校長先生がソファで待ってるから」

「居留守を使えばいいのに……」

 布団を被って憂がぶつぶつ文句を言う。

「起きろ!」

 桃子は何度もマットレスを揺らした。跳ねるように憂の体が揺れる。

「嫌な目覚ましだなあ」

 しぶしぶと、憂がもっさりとした動作で上体を起こした。大あくびをして向こうの部屋に向かう。

 憂の髪が飛び跳ねていて、記録的な寝ぐせだ。怠け者の主張。レーダーのように天に向かって飛び跳ね、誰よりも先にここに来て、眠っていたのが想像できた。

 校長の前に座り、

「今日はどうしたんでしゅか……」

 と、あくびをする憂。

 シャツの襟元がだらしなく緩み、その襟元に無造作に手をいれてポリポリやる。すかさず、口を一文字に結んだ優奈が櫛を手に憂に近寄り、その記録的な寝ぐせを何とかしようと格闘をはじめる。優奈に手鏡を持たされて、憂も一応、自分の髪を鏡越しに見つめる。ものすごい寝ぐせなのに表情に変化がなく、別に気にはならないようだ。

「福くん、大変だよ」

 校長が身振りを交えて話し始めた。

「一年四組でいじめが発生している。被害生徒が学校に出て来なくなって、事情を四組の教師が調べたら、なんと被害生徒は合計十万円の金をクラスメイトに脅し取られていたそうだ」

「はあ……」

 と、憂は面倒くさそうに校長に言った。

「そこまでわかっていたら、先生たちでなんとか出来るんじゃないですかあ?」

 校長は不満そうに眉を寄せ、憂を説得するように、

「それが、加害生徒がわからない。四組の生徒らしいんだが、加害生徒の報復を恐れて誰も口を開かないんだ」

「脅されて、十万円も取られたんですよね? 僕らの手には負えませんよ。お灸をすえるためにも、警察を呼ぶのが一番じゃないですか」

「警察に介入されたくないから君に頼んでるんだろう! 加害生徒が誰か調べて、丸く収める方法を考えてくれ」

「丸く収めるねえ」

 やる気のない顔で憂があくびをする。

「もちろん、報酬ってありますよね?」

 桃子は恐る恐る訊いた。

「もちろんだ」

 校長は、桃子の顔を窺うように指を一本出した。前の二年一組の盗難事件のときと同じようで、いくらかわかないが、指一本。

「今回は被害額が多いので、これでどうですか?」

 桃子は指三本を立てて校長に見せた。「え……?」という感じで目を見開いて校長は固まる。魔物に遭遇したような顔だ。

「あ、いいですいいです。これでいきましょう」

 桃子は慌てて指を一本にした。校長は安心したように頬を緩めて何度も頷く。いったい、指一本っていくらなのだろうと思った。もしかして十万円。まさか、百万か……。

「ちょっと、向こうでミーティングをしてきます!」

 桃子は憂の手を引き、再び奥の部屋へ。そこで憂の頬を軽く叩いた。

「ちょっ……?」

「しっかりしてよ。探偵部に仕事の依頼が来てるのよ」

「と言っても、校長だよ?」

 なぜか憂は校長を軽く扱う。

「校長先生って偉いじゃない。お客さんだし、一年生たちに払う校内治安維持活動費だって払うのが遅れてるでしょ? ちゃんと仕事をしてよ」

「俺はもう探偵部を解散しようと思ってる。だからいいんだよ。今日、この場で解散してもいい。校長の許可を取ってやってるんだけど、ちょうど校長も来てるし」

「ぜったいにだめ!」

 正義感が誰よりも強いのが憂の魅力だったのに、近頃のこのだらけようはどうだろう。あのバスの炎上横転事故から、桃子たちは奇跡的に生還した。せっかく軽い擦り傷だけで済んだのに、だらけていたらもったいない。

 ――千鶴が守ってくれた。

 桃子はそうだと信じている。

 千鶴が思い直して救ってくれた。

 その証拠に、あんな大事故だったのに桃子たちはかすり傷程度で済み、すぐに学校に復帰することができた。

 あれ以来、千鶴の姿は見えない。

 きっと、向こうの世界に行ってくれたのだ。自分が居るべき場所を見つけてくれた。

 桃子たちの比木宮町に修荘寺(しゅうそうじ)というお寺がある。そこに千鶴の眠るお墓があることがわかった。憂が教えてくれたのだが、彼は小学生のときに自分でそれを調べて、その場所を知っていたのだという。

 憂の案内で、病院を退院したあとに、桃子と憂はお墓参りに出掛けた。

 千鶴のお墓の区画だけが少し荒れ、桃子と憂は二人で掃除をした。訪れる者がほとんどいなかったのか、土井が供えたらしい千羽鶴が、風雨に晒され痛んだ状態でそこに置かれていただけだった。

 土井はバスの横転事故で顔面を強打し鼻が折れ、両腕を折る重傷を負ったが、一命を取り留めて警察病院に収監されている。バスジャックと二千万円の恐喝事件――。怪我が回復すれば、厳しい取り調べが始まるだろう。

 だが、桃子は土井のことを少しも恨んではいない。あれは、絡んだ太い蔦が戻るときの反動だったのだ。蔦が切れなければ、人はやり直すことができる。土井は千鶴の死が悲しくて、悲しいあまり、取り乱していただけ――。 

「また、ここに来ようね」

 と、憂に言うと、憂は寂しそうに頷いた。

 千鶴のことを忘れたわけでがない。これからも、桃子たちの心に彼女は生き続ける。

 バスの横転事故で、桃子の父親は右足を骨折する重傷ながら、命に別状はない。まだ病院に入院中だが、病院で用意される食事が美味しいようで、「いつまでもここにいたい」などと軽口まで言っている。

 桃子に世話を焼かれることを、大怪我をした今でも嫌がっている。「そんなに一生懸命に家のことをやっていたかしら?」と、桃子はちょっと反省。もっと肩の力を抜いた方がいい。父親のために頑張り過ぎて、逆に重圧をかけていた。

 土井の心はどうなのか――。千鶴に会うことができて、彼に救いはあったのか。

 それは桃子には推し量かることができなかった。

 ただ、時間が過ぎて、いつか土井と路上で偶然会うことがあれば、桃子は土井に笑顔で挨拶をすることが出来ると思った。そのとき、土井も笑顔を返してくれる。そういうシーンを想像することができて、それを思うと、土井の心は幾ばくかは救われたのでは……という気がした。

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