第4話 ハーム帝国

 ハーム帝国領内に張り巡らされた電信網は、新帝エサルが敷かせたものだ。

 電線を敷きまくるのは経費がかさむ。

 だからリンテント王国でも、鉄路に沿ってくらいしか敷設されていないのだが、なんとハーム帝国の電信網の総延長はこの1年でリンテントのそれの5倍にまで達していた。

 リンテント王国情報部は、これをほぼ無視して上層部に報告していなかったが、どう考えてもこれが大混戦の原因の一つになったのは間違いない。

 まさか、クリスティーナ率いる大軍が国境を越えたその時には、敵軍侵攻の情報が遥か彼方のハーム帝国首都にまで届いていたなど、クリスどころか聡明なる総軍司令官の長姉マリソルですら思いも寄っていなかった。


「まあ、攻めて来るであろうことは判っていたわけで、この先は既定の路線に沿って防衛戦闘を始めるだけだ」

 帝都の中央にある、帝国議会棟の最上階にある帝王執務室で、まったく焦りの色なく新帝ダブリン・エサムは言った。

「では、長城要塞に向け主軍の戦車軍団を差し向けます」

 帝国軍総司令官のライバ上将が言った。

「うむ、ああ、それと例の先帝から取り上げた代物、活用を忘れずにな」

「了解いたしました」

 総司令官が敬礼して下がると、エサムはふっと微笑んだ。

「武闘王は、機械化に走りすぎ、この世界に元々あった力の存在を忘れておるに違いない。我々も、時代遅れでとるに足らんと思っていたくらいだからな」

 そこで新帝エサムはぎゅっとこぶしを握った。

「まったく、先帝の狂気もこんな形で役に立とうとはな。見ていたまえリンテント王国の堕兵士諸君、自分たちがいかに危うい薄氷の上を歩んできたのか思い知らせてやる」

 エサムは、一人高らかに笑った。


 ハーム帝国が対リンテント王国防衛線の事実上の最前線としてきたのは長城要塞であった。

 従って、この平原における最高司令部は常にここに置かれていた。無論、防衛のための主兵力の大半もだ。

 長城要塞は、その名が示すようになんと長さが平原東端の南北実に120トゥーラン、まあほぼ平原と山脈の間の全区間と言っていい呆れる長さの城壁で構成され、要所ごとに関門と砦を作り、いかなる兵の侵入も拒む鉄壁の要塞…とハーム帝国の教科書には書いてある。

 まあ、隣国のリンテントが今まで一度も手を出していないから、鉄壁なのかは誰にもわからないというのが真実である。

 そもそもリンテントの指揮官たち、要するに武闘王の四人の娘たちは、これを越えられない壁だなどと微塵も思っていない。

 リンテントにとって、ハーム侵攻に最も厄介なのは、とにかく人口が少ないのにやたら広い平原地帯なのだった。

 さっさとここを突破し、補給施設を作り、鉄路を敷いてハーム領内深くに攻め込む足掛かりを作りたい。それがつまり「マチルダマチルダ作戦」の全容なのだった。

 クリスティーナ軍が平原さえ突破したら、西域で余剰になっている部隊をかき集めて、一気にハーム帝国の喉元まで電撃戦を仕掛ける。

 これが武闘王と長姉マリソルの考えた次段階の作戦だった。

 しかし、それにはまず、クリスが自軍を平原の東端まで、つまり長城要塞目前までさっさと進軍させねばならない。


「遅いわ、外の兵士が走って私の司令部を追い越していったわ。なんかむかつきます」

 窓の外を見てクリスティーナ侵攻軍司令官中将、まあ要するにクリス末姫が頬を膨らませながら言った。

 彼女の乗った司令部専用車両を引っ張る魔精機関車は、のろのろと前に進んでいるが、これを道とも呼べぬ平原の均されただけの土の上を徒歩兵士たちが早足で追い抜いていく。

 おそらく、この先で鉄路の敷設と同時進行で行われている電信用の電線を繋ぐ作業をしているのだろう。

「姫様、これでも初日の進撃としましては満点に近い速度で進んでおります。機嫌を損ねず、お茶など召し上がっていてください」

 参謀長のベラネチェが髪をかきあげながら言った。

 それを見て、テーブルの上のビスキーを取り前歯でカリッと齧った十六歳の総指揮官は、ぼそっと言った。

「その髪いったいいつ切るの?」

「え?」

 ベラネチェが、思わず体の動きを止め声を漏らした。

「まあ、いいわ。鉄路の前方には装甲列車がつっかえてるから、早く走れって言っても無理よね。それに、鉄路そのものを作りながら進んでるんですものね」

「そうですよ末姫様。我ら司令部は、前線より一歩下がり全体を把握しながら進む。それがつまり、常套的な戦術ですから」

 クリスがさらに、ビスキーをカリッと齧った。彼女の性癖を考えると、これは明らかに機嫌が悪い。

「常套的って一番嫌いな言葉なのよね。軍師講義でその言葉聞くと、誰が決めたのって突っ込みたくなって我慢できなくなるから、いつも逃げ出して花を摘みに行ってたわ」

 ベラネチェが、困ったと言う顔で末姫を見た。

「奇をてらうような戦術は、それこそ危急な局面でないと効果を発揮しません。今回のような石橋を叩いて渡るような作戦では、安全を第一に進むべきですから、そこは心に留めていただきたい」

 クリスが意地悪そうにベラネチェを見上げ言った。

「あら、その割にはパパの考えた作戦には、すぐに飛びついて実行を勧めたわね。あれ、どうみても、奇をてらった作戦ですわよね」

「あ、いや、ごほん」

 急にせき込んだ振りをしてベラネチェは視線を姫から逸らし、やや小さめの声で答えた。

「その、常套的なそれは、つまり本軍の進撃に関しての事で、支援を受け持つ赤ひげ隊のそれは、例外と言いますか…」

「まあ、いいわ、どうせ三日くらいはこの退屈な状況が続くんでしょ」

 クリスはそう言って、食べきったビスキーの粉を指先からはらい、お茶のカップに手を伸ばした。

 だが、この末姫の予想は大きく外れることになるのだった。


 リンテント王国の平原侵攻部隊の主軍である第六軍が、のろのろ進んでいるその頃、ハーム帝国長城要塞の司令部では慌ただしい動きがみられた。

 現在、ここの指揮官を任されているのは、あの先帝暗殺事件においてエサムの右腕役を担っていたリゼリアン・グロンセ軍務監であった。

 彼は軍人ではない。文官だ。

 先帝が死んだ後、エサムは軍から貴族を全部追い出した。

 あの高慢ちきな連中が大嫌いだったのもあるが、何より貴族が上に居ると兵隊を扱いにくい。

 正直、貴族どもの指揮能力も、作戦を考える能力も並以下だったのだ。

「こんな連中では、軍事国家リンテントに勝てるはずがない」

 エサムの大英断で、ハーム帝国は軍隊を給料制の一般徴兵に切り替え、その兵力を一気に倍以上に増やして見せた。

 そりゃそうだ、それまで農民でも機械職人でも、強制徴兵で事実上の無給でこき使われてきたのが、かなりいい条件の給料を保証されたのだ、志願者は殺到した。

 殺到したが故の弊害もあったのだが、そこはエサムの計算内であった。

 兵隊は使い捨てて構わない。彼がそう考えていたなど、国民に判るはずがない。

 とにかく新しくなった軍隊では、もう一つの弊害が生じた。

 高級士官が足りなくなったのだ。

 そこで、各地の要衛の指揮はエサムの息がかかった頭の切れる文官が携わることになったのだ。

 長城要塞指揮官のグロンセもそんな一人であった。

 電信室から山のように届いた報告を前に、グロンセは勤めて冷静な表情で目の前の士官に言った。

「侵攻してきた敵は、ほぼ予想通りの戦力ですかねえ。さっさと例の作戦を始動しないと、リンテントの鉄路建設隊は厄介です。しかし、あの秘宝が発動してしまえば、平原に散った戦車隊など脅威ではなくなります」

 グロンセは、安物のワインをグラスに注ぎながら、これから迎撃のために出撃するハーム帝国の新鋭戦車軍団を指揮するビット下将に言った。

 部屋にはビットの他にもう一人、要塞の守備隊を直接指揮するダロー准将もいた。

 この二人に共通するのは、共に平民出身で兵学校に自力で受かった高級士官だという事。

 つまり、親のコネや財力で兵学校に入り士官になった貴族やボンボンと違って、本当にできる’’’軍人という事である。

 彼らはその出自故にエサムの粛清を免れ、この最前線において一大軍団の指揮を任されることになったわけである。

 問題があるとすれば、その出自のせいでこれまで大規模な作戦の指揮を一度もしたことがないという点であろう。

「本当に秘宝は、発動するのですか?」

 ビットがグロンセに聞いた。

「するだろう。あの吝嗇の先帝が後生大事に隠してきた代物だ。ただの飾りのはずがない」

 グロンセはそう言うと、ワインをぐびぐび飲んだ。

「では我が軍団は、予定通り進軍を開始します。おそらく主軍が到着するまでの五日間は、間違いなく時間稼ぎできるでしょう」

 ビットが言うと、グロンセは満足そうに頷いた。

「結構結構、新生帝国軍の機械化兵団のいやらしさを、リンテントの鉄頭どもに十分に味合わせてきてくれ、その間にダロー君の下の特殊部隊が、秘宝を発動させに平原に先行することになる。準備は怠りないね」

 ダロー准将が大きく頷き答えた。

「無論です。山奥からわざわざ連れてきた術者どもです、きっちり働いてもらい、秘宝を確実に発動させます」

「うむ、あんな物の使い方を約二百年以上語り伝えていたのだから、シャーマンの一族と言うのは凄いものだね。古の神の知恵を残す部族が、我が帝国内に居たことを感謝しよう」

 そう言うとグロンセは、またも安ワインをぐびっと飲む。

 この要塞には、先帝時代の司令官が集めたと思しき高級な酒がごまんと有るのだが、グロンセは自分が若い頃から飲んできた、そう虐げられた劣悪な役所仕事の気晴らしに飲んでいた安ワイン以外は、一切口にしないでいる。

 ハーム帝国で反乱を起こした者たちの心の底にあるのは、金満家や贅沢貴族への怨嗟だったのだ。

「発動と同時に、平原南部で確認された敵機甲部隊、これへの急襲攻撃を開始。この方針で間違いありませんな」

 ビットがグロンセに念を押した。

「ああ、その通りだ。我が軍の戦車に、あの秘宝の効果はまったく影響ない。そもそも、あんなものを戦車に載せるのは邪魔だ」

「まあ、便利なのですがねえ」

 ビットは言うが、グロンセは首を振る。

「いやいやいや、戦車部隊と言うのは固まって行動してこその兵力だ。いらんだろ、あんなもの」

「そう、なのですかねえ?」

「とにかくだ、新鋭戦車の厭らしさ、きっちりリンテントの黒熊使いどもに味あわせて来い」

 この時、グロンセが強さと一言も言っていないのをビットは承知していた。

 そうなのだ、新たに作られたハーム帝国軍の信条は、強さよりも相手を困らせる厭らしさに置かれていたのだ。

 これがどんな意味なのかを、身をもって体感することになるのは、長城要塞から出撃する反撃第一陣と真正面からぶつかることになる、シヴェール候指揮下の第四軍の兵士たちなのであった。


 そのシヴェール老侯爵の軍では、早くも小さなトラブルが発生していた。

「事前に渡されていた地図と道が一致していない?」

 ちょっと声高に、埃まみれの伝令兵に問いただしたのは、自走貨車を改造した機甲軍団専用の指揮車両ハマルダに乗ったシヴェール第四軍司令官であった。

「はい、どうも情報部の寄越した資料は、不正確なものが多く、この先の草丈の長い草原部で、道が二股になっているのですが、渡された資料では第一目標地点までは一本道になっています。最前線のラウンダル大佐から、どうしたらいいべ、じゃなかった、どうしたらいいのだと司令官に聞いて来いと」

 シヴェールは腕組みをして考え込んだ。

「まあ、あのかっぺに自分で判断しろと言っても無理か。鉄建部隊の敷設からかなり先行してきているしのう。偵察させてから決めるのが正解なのだろうが…」

 そこでシヴェールが考えたのは、クリスの事であった。

「末姫は、手間取るのを嫌がるじゃろう。初陣じゃからのう、手柄が欲しいであろうし、儂も手を貸したい。となれば、電撃戦の申し子のこのシヴェールとしては後ろ向きな判断は出来ぬな」

 シヴェールは、情報部が用意した不正確だという地図を睨んだ。

「まあ第一目標は、鉄建連隊のための一時集積地点として確保するだけじゃ。なら、たとえ部隊を分けてハズレを引いたとしても、主攻部隊への影響は少ない。よっしゃ、戦車は右、装甲車は左に進むよう、いなかっぺ大佐に伝えろ」

「あ、それは、ラウンダル大佐の事でありましょうか…」

 シヴェールが思わず白い髭の口元を押さえた。

「しまった、命令でまで口にしてしまったわい」

 この判断も、実は大きな意味を持つことになる。

 どうも、この先の展開を後で振り返ると、原因の大半はリンテント軍情報部にあると思わざるを得ない。

 まあ、それがどうしてそうなったのかは、後に判明するのだが、とにかく第四軍の最前列を進む部隊は、進撃一日目にしてその戦力を二分することになったのであった。


 ちょうどこの頃、ハーム帝国の長城要塞中央部の通称第一関門砦のゲートが開き、二台の自走貨車が猛然と平原に飛び出していった。

 護衛もなし、装甲もないただの貨車なのだが、これがハーム帝国が用意した対リンテント軍への反則級の切り札であろうとは、攻め込んでいる側の人間は誰一人気付かなかった。

 後で偶然これに気付く人間は居るのだが、それはこの話の続きで明らかになる。

 貨車を見送ったダロー准将は、腕組みをした姿勢で呟いた。

「まあ、ここ二世紀ほど、あれの現物を拝んだ人間は居ない訳で、いったい何が起きるのか伝承以外には我々も正確には判らぬのだが、一つだけ確かな事はあるな」

 ダローは何処までも続く石壁を見上げ、更に呟いた。

「この戦い、別に最新の機械を持っているから強いわけじゃないというのが、はっきり証明される戦争になるであろうという事だ」

 貨車は、あっという間に平原に彼方に消えていった。

 静かに、そして確実に、ハーム帝国の反撃が始まったのであった。

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東方戦線異状ありすぎ OmoteYui @nagatoyukilove

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