第3話 開戦!
漆黒の闇が、黎明の
数え切れぬ兵器が並び、その横には整然と兵士が居並んでいた。
吹き抜ける風が、クリスティーナ・ルルド・クロム第四皇女の長い金髪をなびかせていた。
昨日までの軽装軍服ではない。
彼女の体は、プロテクトを兼ねた装甲礼装軍服、通称鎧ドレスに包まれていた。
剣を携え立つその姿は、まだ若干十六歳と思えぬ凛々しさであった。
まあ、黙っていればやはりクロム家の皇女なのだと、その威厳の溢れる顔立ちが物語る。
だが、彼女の中身にはいまだ危惧の色を隠せぬ家臣も少なくないのも事実だった。
「思うのですが、姫様が最前列というのは、いくら目前に敵がいないとはいえ、少々目立ちすぎではないでしょうかね」
居並ぶ機械化兵団の下級士官たちが囁きあう。
そう、クリスはまさにこれから進軍を始めようという大軍団の一番前に立ちはだかり、国境に手の届くばかりの距離にいるのだった。
そのクリスに、参謀長ベラネチェ少将が声をかけた。
「姫様、予定通り全軍の配置終了いたしました。進撃準備整完了でございます」
クリスは、小さく頷いた。
この儀式に込められた意味はたぶん、パフォーマンス…だけなのだろう。
クリスは、これから戦場に赴くというのに一時間以上も化粧に時間をかけてから、ここに立っていたのだ。
まあ、こういった前時代的なやり方も士気の鼓舞には役に立ちそうだと、ベラネチェは賛成したのだが、クリスの態度はいつにもまして毅然と、言い換えれば役者まがいに猫を被り素を見せていなかった。
「判りました。全軍将兵につつがなく準備を終えたことの感謝を」
絶対に何度も練習したセリフだ。
普段のいつものクリスの口調ではない。
ベラネチェも、長い髪をかき上げもせず、風になびくままの姿で直立し、全軍総司令官に向け言った。
「姫様、では進撃開始の命令をお願いします」
クリスは、腰に吊るしていた細身の長剣を引き抜き、それを高々と掲げた。
とことん儀式的にやるつもりのようだ。
無論、今時こんな剣を戦闘に使うものはいない。単なる飾り物以上の何物でもない。
クリスは、周囲に聞こえる大きな声で告げた。
「我が将旗に集いし王軍精鋭に告ぐ、派遣軍総司令官として命じる。国境を越え、ハーム帝国領内への進軍を開始せよ!」
内心でベラネチェが、よく噛まずに言えましたと拍手したのは、クリスには伝わっていない。
当番士官の耳打ちでは、クリスはこの命令を昨夜二時間近く練習していたらしい。
司令部に随行する連絡士官の一人が、この命令に合わせ発光魔煙弾を発射した。
赤い光の玉が煙の帯を引き、まだ明けきらぬ早朝の空に伸びていった。
とにかく総勢七万五千の大軍団である。その隊列は長く広く、肉声の命令なんて絶対届くはずないし、進撃開始の合図は最初から、この信号弾一発と決まっていた。
ひっくり返せば、クリスがパフォーマンスをやっている事実を、主軍の両翼に陣取った第四軍と第八軍には全く見えもしないし、そもそもこんな大げさなことやっているとは夢にも思っていなかった。
本来の総司令部となる魔精機関車に引かれた列車は、国境手前の位置で鉄路の封鎖が解かれるのを待っている。
十年ほど前に、平原の中ほどにある交易の町ダストンまでは、鉄路が建設されていて主軍の補給部隊はまずここまでの要路を確保するのが最優先任務となっていた。
ここより先の各所には、同行の鉄建連隊が鉄路を施設し補給路を形成していくわけだ。
国境は、数年前に彼の国の先帝、先年暗殺されたその皇帝が一方的に封鎖してしまい、東国への交易輸送は完全に途絶えていた。
まあ、こういった背景も戦争の遠因にはあったわけである。工業製品輸出は、大事な外貨獲得源。それが遮断されたままなのは、武闘王には腹立たしかったわけだ。
この司令部列車には、指揮官車の他に全軍への空中波動連絡を行うための通信車も連結されている。
通信車の表で発光信号弾を確認した兵士が、内部に向けて合図を送った。
これを確認した通信士たちは、広大な野に広がる各軍団に向け、送話管に向かって一斉に叫んだ。
「進軍開始! 全区画越境に関し無制限にこれを許可する!」
「進軍開始! 序列を再確認、輸送車輌群各個に順序確認の旗を掲揚せよ」
「進軍開始! 鉄建隊による鉄路安全確認を最優先に、偵察各部隊先行せよ」
かくて、七万五千の大軍が、まさに一斉に動き始めた。
真っ先に行われたのは、展開する各軍団の正面。国境を示す。おそらく防御には何の役にも立っていない木柵を、工兵隊が打ち壊す事であった。
もちろん、この国境を示す策は一瞬して取り払われ、目の前にはあっという間に、平原への道だけが拓けた。
国境が押し開かれると、まず各部隊の偵察隊を乗せた装甲車が連絡役の単車隊を引き連れ続々と越境して行った。
まあ、この瞬間に戦争は開始されたわけである。
まだどこでも戦闘は起きてはいないが。
今回の侵攻作戦の主隊であるクリスが直率する第六軍の各部隊の隊列だけで、横に五ハイリーゲ、縦に十二ハイリーゲと言う町が一個丸々埋まる程の広がりを持っていた。
これとほとんど変わらぬ規模の部隊が、国境の南北にそれぞれ陣取り、一斉に動き出したわけであるから、空からこの情景を見たらさぞ圧巻であったろう。
残念ながら、魔導砲の発達ですっかり活躍の場がなくなった飛竜部隊は、この派遣軍に組み込まれていない。
ただし、飛竜軍司令官の第三皇女ミネルバは、必要に応じ彼女の判断でどの戦域へも出撃していいという独自の判断権と指揮権を父武闘王に与えられていた。
実のところ、長姉マリソルと次姉アンニフリードの賭けを目撃したミネルバは、自分に一番歳の近いクリスが窮地に陥ったら、ためらいなく全軍で救援に向かうつもりでいた。
姉たちの賭けは、クリス自身からの助けの求めがなければ、誰が助力しても成立するのだから、別に自分がしゃしゃり出る分には、姉二人の賭けを妨害していることにはならないと判断したわけだ。
ただ、遮蔽物のない起伏も乏しい平原地帯で、飛竜にどんな活躍ができるかは、ミネルバにも推し量れてはいないのだったが。
主軍の偵察隊に遅れることなく、遥か南方ではシヴェール候率いる機械化第四軍の偵察隊が、北方では湿地帯を行く赤ひげ公率いる第八軍の重火器部隊の偵察隊が越境を開始した。
どの部隊も先頭付近を進むのは、兵隊を満載した装輪式の装甲車両であった。
武闘王の編み出した機甲戦は、まず前方の安全を確認したら自動化した歩兵が前進し拠点を確保、万一的に遭遇したらすかさず戦車部隊が突出しこれを撃破、進撃を続行し輸送隊がこれに追従するという方式であった。
シヴェール候の軍は、特にこの戦術に長けており、西域では破竹の進撃を繰り返し、敵軍に恐れられたものだった。
そのシヴェール候の部隊司令部ではこの時、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「なにい、赤ひげ軍に行ったヴァルドールめが文句を言ってきただと?」
今日は単車には乗って居ないが、トレードマークのゴーグルを額に乗せたままのシヴェールが自分の参謀であるコリンズ大佐に、大げさに眉を吊り上げながら訊いた。
「は、はい、補給物資の輸送が不安で前に進めないと」
シヴェールは腕組みすると、渋い顔をした。
「しまったわい、送り込んだオシュコシュ少佐は、例の黒熊の弱点に熟知しておらんかったか。あやつが西域で使っておったのは、赤鯱戦車部隊であった」
ヴァルドールとは、第四軍から分離し、第八軍に臨時に組み込まれた独立重戦車大隊の指揮官、ウォルト・ハーデン・ヴァンドール大佐の事であった。
「すまんがコリンズ、大急ぎで伝令を仕立て、赤ひげにあのデカ物の扱い方の簡単な説明を送り付けてくれんか」
コリンズはすぐに頷いた。
「了解しました」
シヴェールは、フンと荒く鼻息を吐き呟いた。
「あれさえなければ、まあ本当に最強の戦車なのだがなあ」
中央を行く、第六軍の主力となる第六機械化歩兵団の各歩兵連隊とこれを輸送する自動車大隊の車列。
これが動き始めた。
偵察隊による安全が確認されたのだ。
「主軍の戦車はさほど多くないので、隊列に中隊単位で挟み込むようにして配置しております。まあ、とにかく鉄路の方の安全も確認されたら、我が司令部も前進開始です」
国境前での一芝居を終えたクリスとヴェラネチェは、司令部車の奥にある休憩室の豪華な椅子に座りお茶を飲み始めていた。
「まあ、何もない平原に敵がいるとも思えないから、町に近づくまで戦闘は起きないかな」
緊張の糸が切れたかのように、だらしなく背を持たれながらクリスが言った。
「左様ですな。まあ、実際に敵が動くのは今日の昼過ぎでしょう。国境に少数ですが配置されていた監視部隊は、何もせず遁走したので、この報告を受けてから急ぎ防衛の為の出動を始めると思われます」
参謀長はお茶のカップを片手にしながら、もう片方の手で髪をかき上げそう言った。
だが、のちにこの予想は見事に覆されることになる。
どうも、今回の遠征にあたり、クロム軍は大きなミスを、かなり前の段階で犯していたのだが、その事実にまだ誰一人気付いていなかった。
「それにしても、もう芝居じみたのやめにしない?」
唐突にクリスが言った。
ヴェラネチェが「えっ」と言って末姫を見返した。
「練習するの疲れたわ、もういいわ、ああいうの」
「いえいえ、最初あれをやると言い出したのは姫様の方でしょうが」
クリスが小首を傾げた。
「あら、そうだったかしら?」
ヴェラネチェが、盛大にため息を吐き答えた。
「総司令官は姫様です。ご自由にお決めくださいです、はい」
主軍の右翼となる南方を進むのが、シヴェール指揮する第四軍の中核となる戦車第一梯団の第一から第三の主力戦車連隊である。
これに補給部隊の貨物車が随伴している。移動にあわせ鉄建連隊が輸送路を作る手筈になっていた。
そして、この隊列の後尾に居るのが、独立重戦車第五〇一大隊の黒熊重戦車部隊である。
「鉄建連隊が、信じがたい速度で鉄路を敷設し始めました。我が部隊もこれで安心して前進できるます」
独立重戦車大隊の参謀であるヤラール大尉が、部隊の指揮官であるかなり若い大佐に言った。
「なんでもいいが、この大飯喰らいを自力で長距離動かせとか、正気の沙汰じゃねえ。いつになったら、上の方はこのデカ物の欠点に気付くんだよまったく」
巨大な戦車の回転砲塔の上に胡坐をかき、腕組みした大隊指揮官ランドルフ・マルーカ子爵大佐は、毒づくように言った。
「親父殿だって、この辺の事情は分かってるんだろ、武闘王と朝飯一緒に食う仲なら、とっとと進言して改良なりなんなりさせろっての」
彼の言う親父殿とは、シヴェール候のことである。老侯爵への厚い信頼を持つ部下たちの、愛情を込めたあだ名であった。
「まあまあ大隊長、進撃は始まったばかりです。というか、自分たちまだ一歩も動いてませんが」
「順番来るまで動けねえのは当たり前だろ。まあ、前が開いたら、各車に魔精機関に火を入れさせろ。今から盛大に吹かしてたら、どえらいことになる」
世界一のはずの戦車黒熊。
そう、この戦車の最大の欠点。それは、とにかく燃費が悪いのであった。
一方、主軍左翼を担当する北側の第八軍は、主戦部隊である軽装騎兵団の小型装甲自動車群と突撃兵団の重装歩兵を乗せた貨物車が連進撃を始めていた。
この軍団では後方に、重武装かつ重装備の部隊の列が続いている。目立つのは、おびただしい数の魔導砲。赤ひげ軍は、魔導砲の集中配備に特化した軍団なのだ。
だから前進する部隊も相対的に軽装備が多く、その主任務は近接戦闘の苦手な魔導砲部隊の護衛なわけである。
主力第六軍の場合だと、装甲騎兵団の重装甲車群を持っており歩兵の数が突出しているが、第八軍は主力が第三魔導砲兵団で、歩兵はおまけなわけである。
そのおまけに、さらにくっついたおまけが、第四軍から派遣された第五〇二独立重戦車大隊なわけである。
シヴェールが向かわせた伝令は、まだ第八軍に到着していなかった。
とにかく、今回の作戦正面はどえらく広い。
「奇策は良いのだが、この量では二日で立ち往生だ。当面の目標である湿地帯西部の村まで、軽く見積もっても四日の距離だ。司令部は、我々の申請をまったく無視した感じだな」
重戦車大隊に付随する事になった輸送貨車部隊の陣容を見ながら、大隊長ヴァルドールはいらいらした顔を隠せない。
「とにかく急いで手配をするようコリンズ参謀少佐には打診したのですが、まだ返事は来てませんわ」
大隊付きの女性参謀パウリニャ大尉が肩をすくめながら言った。
「誰が考えたか知らんが、この作戦、うまくいくように思えん」
ヴァルドールが呟いた瞬間、遥かに離れた王都の城の中で武闘王がくしゃみをしたが、まあたぶん偶然であろう。
シヴェールの出させた黒熊に関する取扱いを記した書簡を、コリンズが受け取るのはまだ三〇分ほど後になる。
そして、実際にヴァルドールの部隊が動き出すまでには、まだかなりの時間が必要と思われるのだった。
この時点で。クリスの司令部専用車は、全部隊の中央付近をゆっくり前進し始めていた。
司令部列車に先行し、クロム王国が誇る強武装装甲列車ババリャンが行く。まあ露払い役と言う訳だ。
ヴェラネチェは、司令部列車の通信室に移動し各隊の状況を聞いて回っていた。
「電位安定しております。各部隊との連絡に支障なし」
司令部車のこの通信車両には、王国でも最高水準の大型空中波動電話機が据えられており、これとは別にすぐ隣を空波電装置を満載した車両が連結されている。この車両の屋根には、波動を放出するための鉄棒が何本も突き出していた。
王軍の指揮系統は、この波動電話によって連携維持されているのだ。
空電士官の報告を受けたベラネチェが、懐から書付を取り出し視線を落とす。
「日の出から三時間で、全軍が国境突破予定。前衛偵察隊の報告では、平原に敵影なし。無血で第一目標まで侵攻できる見込み。本国のマリソル総軍司令にそう報告してくれ」
ただちに、この文も空中を飛び、王都の司令部へともたらされた。
この時、王都の総軍司令部の司令官室には第一皇女マリソルだけでなく、妹のアンニフリードもいた。現在西域での戦闘は事実上の休戦状態にあるから、彼女が現地に居る必要はないのだ。
「無事に進撃は始まったようね」
報告を受けたマリソルが言った。
「最初の一歩で躓くほど馬鹿だったら、あたしが飛んで行って指揮官の椅子から引きずり落ろすっての」
アンニフリードが言った。
「まあ、問題は敵が動いてからですものね。そう言えば、このところ我が軍の情報部、やけに静かだわね。ちゃんと活動しているのかしら?」
マリソルが小首を傾げた。
実は、この彼女の疑問に、この先のクリスが直面することになる大問題の萌芽が含まれていたのだが、悲しいかな総軍司令官をしても、これをみのがしていたのであった。
通信車から戻ったヴェラネチェがクリスに報告した。
「両翼の各軍、問題なく越境できています。本国からは、作戦の成功を祈るとだけマリソル姫からご伝言が」
これを聞いたクリスは、こくりと頷いた。
「できるだけ早く深く進軍したいわ。平原中央に入ったら、各軍が散開するから進撃速度が落ちるでしょ、中央部隊はナダ川の右岸を一気に湿原の南端近くまで進んで本国からの輸送資材中継基地構築に入りたいの。要塞攻略用の資材はここに集めるのが最良と思うのよね」
珍しく、まじめに指揮官をしているクリスにヴェラネチェは満足そうに頷き、ついでに垂れた前髪をかきあげた。
「鉄建隊の試算では、問題の個所には、第一目標陥落後三日で軌条の敷設が完了見込となっておりますな。中央部から先の進撃の速度について、何か指示すべき点はございますか?」
ヴェラネチェの問いに、クリスは指であごを押さえながらゆっくり答えた。
「そうね、あたしの部隊は適当に補給の具合見て考えるわ。移動距離が一番長くなる赤ひげさんの部隊には、先を急いでもらっていたいのよね。もうすぐ、第八軍は鉄路隊の輸送とも切り離されるし」
「左様ですな」
ヴェラネチェが頷いた。
「まあ、老侯爵の軍は特に口を挟まなくて大丈夫よね」
クリスはそう言ったが、実際はそうはならなかった。
やはり、戦争というのは実際始まってみないと何が起こるかわからない。
それをリンテント王国軍は、実体験することになるのだった。
まさか、敵がそんな準備をしているなどと、この時点で知っていた王国の人間は皆無…ではなかったのだが、肝心のその情報を握った人間が、王軍と接触できないままもう三日も平原の奥をさ迷っていたのだった。
「ああ、まずい、このまま我が軍が進撃してきてしまったら」
王国軍情報部の諜報員ユーラ軍曹は、おろおろとした顔で呟く。
彼が味方と接触できないのは、単純に彼が地図をなくしたからなのだが、そんなことより、彼が掴んでいた情報は、まさに戦局を一気にひっくり返すほどの大事なのであった。
果たして彼は、この情報を自軍にもたらせる事ができるのか?
平原はとにかく景色が単調すぎ、同じような景色なものだから、彼は自分がどこにいるのか全く推し量れないでいるのだ。
すでに、始まってしまった進軍はもう止まらない。
運命は、大混戦という未来をクリスの前に用意し待ち構えているのであった。
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