第2話 進撃準備

 この世界の名を、恵まれた太陽の大地「ボン・スパーナ」と呼び始めたのは、今から二千年ほど前に神族から知の恩恵を受け、開拓と言う手段で各所の大陸に散って行った「旧教徒」の民たちであった。


 この後、数多の集権国家が乱立し、いつしか大地には戦いの日々が普遍化していった。


 神は争う人間に愛想をつかし、多くの眷属や龍族の首魁と共に極北の地に閉じこもった。


その後、人に取り入ったのが、魔導を司る精霊たちであった。


ここに、更に地の底からやって来た土鬼族の機械技術が加わった時、ボン・スパーナの歴史は大転換期を迎えた。


 魔精気を利用した自動機械の誕生が、産業形態を大きく変革させ、旧神たちを信奉していた人々は、あっという間にその信仰を奪われ、巨大国家が次々に誕生したのだ。

 このきっかけとなった聖都ムーランの破壊と元祖機械国家ボラン皇国の誕生を以て、新暦となる機暁歴は生まれた。


 それから、もうもう二世紀余りが過ぎているが、この地はまだまだ多くの戦乱に満ちており、世界を統べるべき力を持つ者は、未生出のままなのであった。


 四つの大陸と無数の島で出来たこの世界、その最も巨大な大陸アウストラルの中央に位置しているのが、現在武闘王クロムが統治するリンテント王国。わずか建国八〇年で、大陸の過半をその領土に組み入れた武装機械国家である。

 しかも、その領土拡大に実際に要した時間は二〇年弱。その戦闘の指揮の殆どを、武闘王ヴィンセント・ハリアー・クロムが行った。父、リンテント・ハム・クロムの跡を継いだ武闘王は、機甲戦術を生み出した元祖でもある。

 若き日に西国ベリードで見た戦車、これを大々的に機動戦術に取り込み、一気に大面積の戦場制圧を行う機甲戦の誕生は、世界に衝撃を与えた。武闘王は、頑強な戦車と軽快で戦場の機動が容易な機械化歩兵を組み合わせ、今までの馬や小竜による面圧戦の倍以上の速度で戦線の掌握を行って見せた。

 しかも武闘王は、戦略にも長けており、機械工作に必要な資源地帯を、優先的にその領地に組み入れていったのだ。この結果、リンテントの国土は二〇倍の規模に膨らみ、五十万の国軍兵力を抱えるアウストラル屈指の大国に成長したのであった。


 大陸の覇権をめぐりリンテント王国と激しく争っているのは主に二か国。東の峻険なポメー山脈から先を主領土とするハーム帝国と西の広大な平野カランサンの南西部にある旧教徒時代から続く古国タングルランドである。


 ハーム帝国では、つい先年に先帝の独裁者龍帝ドマンが暗殺され、新帝が立ったばかりであった。武闘王は、これを好機と捉え、総軍司令官である四皇女の長女マリソル大将に戦争準備の指示を年末に出していた。


 春になり、軍備が整ったと判断した武闘王は、自らの誕生日に全軍進撃の指示を出した。

 その指揮官に任じられたのが、これが初陣となる第四皇女クリスティーナなのである。


 そのクリスの姿は、王都の少し外縁にあった。

 彼女は一人の参謀スカーフをまいた男性と向き合っていた。

「つまり、ハームの新帝エサルは帝国精鋭であった龍軍をあえて解体し、新たに一般民衆の徴兵で賄った青軍で主戦力の再構築を行っているわけです。ここまでご理解いただけましたか、姫君」

 片手に書類を持ったまま、うっとおしいほどの黒い長髪をもう一方の手でかき上げ、派遣軍参謀長のベラネチェが言った。

「練度とか低そうじゃない、民衆兵って。脅威じゃないわよね?」

 クリスが、オレンジ茶の入ったカップをすすりながら訊いた。

 二人は、王都の東にある巨大な軍事集積基地ボッドタウ三号に置かれた移動司令部列車の司令官室に居た。

「おそらく個々の兵の能力は取るに足りますまい。ただし、問題はその数! エサルめは、この半年で百万の軍勢を作り上げました。雑魚でも、この数は正直厄介です」

「ふーん。うちの国軍の二倍かあ、それは確かに嫌な数字ね」

 クリスは、思わずカップの縁をカリッと噛んだ、何か気に入らない時、彼女は手近なものに前歯を立てる癖がある。

「ただ、帝国も東北辺境の戦線を抱えています故、その全軍をこの地域に集中させることはできません」

「そっか、実際のところ正面の敵ってどんなものかしら?」

 ベラネチェ参謀長が顎を撫でながら天井を仰ぎ答えた。

「先月の偵察では、長城要塞守備に五万ほど。ここに危急で駆けつけられる兵力、最大で十万と踏んでおる次第です」

 クリスの表情が、やや曇る。

「単純計算で正面の敵も倍はいるのね。やだなあ、質で劣っても数多いのは時間がかかるって事よね。攻め切るのに手間取るとお父様に見え切った手前いろいろあれだわ」

 クリスがしかめた顔のまま言った。

 ベラネチェは、そのクリスの言葉に、いかにもと頷き続けた。

「それとですな、密偵の報告では、帝国の工場群が大規模に拡張され、新しい戦闘機械がもの凄い大量に造られているとのことです。残念ながらその兵器類の性能は未知数です。ですが、新しい技術があの国に流れたという話も聞いておりませんし、従来のハームの兵器水準で推測したら、我が国の主力戦車隊の前に立ち向かえるほどの存在とはとてもとても…」

 ベラネチェは、そう言って片手を鼻の前でひらひらと振った、

「まあそうよね、黒熊に勝てる戦車がこの大陸にあるわけないわよね、強いから、いえ強すぎるから」

 クリスが、そう言ってこくこく頷いた。


 黒熊は、リンテント王国兵器廠が作り上げた傑作戦車、いや究極戦車と王軍兵たちは呼ぶ存在だ。

 いまだその装甲を破られたと無く、主砲の100ガウス魔導砲で撃破できない装甲兵器は、少なくとも現在までアウストラル大陸には現れていない。

 ガウス1につき概ね魔精石一個が砲弾に詰め込めるから、同時に100個の連鎖魔法爆発を引き起こせるわけである。

 この攻撃の前には、どんな属性装甲も太刀打ちできない。

 しかもクロム王国軍は、伍属性すべての砲弾を完成させ、戦車に搭載していた。

 しかも装甲も全属性に耐える五重鋼板を使っている、それ故に巨大で重くなったのだ。

 なるほど、これほど強力な攻撃力と装甲を持っていれば強いのは当たり前だ。


 ただし、黒熊は無敵ではない。

 その理由について、当の戦車に乗っている者たちはよく理解していたが、残念ながら王家の人間を筆頭に軍首脳部の大半が、この重大なる事実に気付いていなかった。

 すでに何度か報告は上層部に行っているが、常に挙がる大戦果によって無視されてきたのだった。


 その時、司令部の扉をノックする音が響いた。

「誰か?」

 ベラネチェが問いかけた。

「当番士官のベテルギウスであります。司令官姫にお客様であります」

「お客さん? 誰かしら?」

 クリスに心当たりは無いようであった。

「魔導砲兵団王都防衛隊のマルガリタ・ククル大佐であります」

 皇女の顔が、ぱっと輝いた。

「あら、ククルお姉さま! 入ってもらって」

 ベラネチェ参謀長が訝しそうに姫に訊ねた。

「どなたでしょう?」

「高等魔科校の同級生よ、でも歳はあたしより二っつ上、苦労人だったから。今はね、列車砲コリガンの砲術長よ」

 ベラネチェが、なるほどと頷いた。

「あのデカ物の責任者。ある意味大物でございますな」


 コリガンとは、王都防衛軍の誇る巨大列車魔砲である。

 とにかくでかく、邪魔なので普段は王都の周りにある環状待避線の上をあちこち移動している。

 しょっちゅう動くから、でかいけど目立っておらず、実はまだかなりの秘密兵器なのであった。

 もっとも、王都が直接攻撃に晒される危険など微塵もないので、部隊は半ば閑職扱いされている模様であった。

「クリス! 初陣おめでとう!」

 勢いよく扉が開き、大きなつばの砲兵帽をかぶった長身の目鼻立ちのくっきりした女性士官が入って来た。手には大きなバケツを抱えていた。

「お姉さま、ありがとう。わざわざ来てくれたの?」

 二人は軽く抱き合った。

「いやうちのどら猫が、二時間前にこの基地の隣に移動してきたのよ。そしたら、あんたの司令部があるって聞いたから」

 どら猫が、巨大列車砲の事なのは説明せずとも、クリスティーナとベラネチェ参謀長には判った。

 コリガンは、南アカ山脈に住む巨大山猫の名だ。

「全然気付かなかったわ、忙しかったし、朝からここを一歩も出てないもん」

 そう言うと、クリスティーナは列車司令部の窓のカーテンを開いた。

 いきなり目の前にどでかい砲身が現れた。

 とにかく、その巨大さは際立っていた。

 司令部の周囲に積まれている戦略資材の箱が、おもちゃの積み木以下の存在にしか見えない。

「でかい」

 ベラネチェが思わず漏らした。

 ベラネチェは第二王女アンニフリードの下で長く西域戦線にあり、数年ぶりに王都に戻り、すぐに今回の作戦の参謀長として招集された。

 だから去年建造されたばかりのコリガンを間近で拝んだことが無かったのだ。

「自慢の子ですわ。でもお仕事がなくて困ってますの。たまには一発ぶっぱなしたいわよ」

 ククルはそう言って、豪快に笑った。かなり豪放磊落な性格と見受けられた。

「うーん、あれ撃ったら村一個無くなっちゃうから、この辺じゃ訓練でも実弾撃つのは無理ね。お姉さまが欲求不満になるのもわかる気がするわ。ところでお姉さま、そのバケツは?」

 クリスに聞かれ、ククルは慌ててバケツを王女の前に差し出した。

「お祝いよ! あなたの大好物!」

 クリスが中を覗くと、そこには大量の野生のトムトムベリーの実が詰まっていた。

「あー、お姉さま覚えててくれたんだ、嬉しい!」

 二人が通っていた魔科校の裏山は、トムトムベリーの自生地で、放課後よく二人で摘んでは頬張っていたのだった。

 すぐにクリスは当番兵を呼び、ベリーを洗って皿に盛らせて持ってこさせた。


「いただきまーす」

 クリスはベリーを一個つまみ。口に放り込んだ。カリッという音が響くと、いい香りが室内に広がっていった。

「これは、いい匂い」

 ベラネチェが思わずそう口にするほど、室内は酸味のある独特の香りで満たされていた。

「少将さんもおひとつどうぞ」

 ククルが皿を差し出したので、ベラネチェもベリーを一個つまみ、口に運んだ。

 だが次の瞬間、ベラネチェは叫んだ。

「すっぱーい!」

「あー、やっぱ男の口には合わないかあ」

 ククルが皿を目の前にある机の上に置き、帽子の上から頭を掻いた。

 ちょうどその瞬間、机の上の電話が鳴りだした。

 まだ顔にしわを浮かべたベラネチェが、受信棹を耳に突っ込んだ。

「総司令官室だ」

 不安定な空中波動通話と違い、有線電話の音声は明瞭だ。

「第四軍司令部のコリンズ作戦参謀です。これから、進軍の経路の最終確認の為司令がそちらに向かいます」

「ふむ、シヴェール侯爵自らご足労願えるのか。了解したよコリンズ大佐。して交通手段は?」

 片手で長い髪をかき上げながらベラネチェが遥か彼方の相手に聞いた。

「今さっき、単車でボットタウ二号基地を出ました。二〇分ほどで到着すると思います」

「え? じっさん一人!」

 反射的にベラネチェが叫んだ。

「じっさん、て参謀長。あー、もしもし」

「あ、すまんすまんコリンズ、ついいつもの調子で出てしまった」


 コリンズ大佐は、西域でしばらくベラネチェの下に居たことがある。

 このころ、西域の最左翼で機甲戦を指揮していたのが、第四軍司令のシヴェール侯爵中将だった。

 すでに六十五を越えた高齢だが、間違いなく王軍一の機甲戦術の達人であった。

 コリンズが電信器の向こうで言った。

「付いて行くと言ったんですがねえ、早く済ませて帰りにダムダ村の定食屋で夕飯食いたいから、単車で行くと言い張りまして」

 ベラネチェが、かき上げていた髪を思わずクシャっと握って答えた。

「おいおい、もし侯爵が進軍の序列変更とか言い出した時、私一人では押さえられんぞ」

「なんとかしてください、そこはそれ寝技のベラネチェの名にかけて」

「いや、あれは援護あっての決め技だぞ、ううむ」

 やり取りを聞いていたクリスが口を挟んできた。

「シヴェール侯爵がどうかしたの? ここに来るんでしょ、何か問題が?」

 ベラネチェが受信棹を耳から離しながら説明した。

「はい、老侯爵は機甲軍の進撃速度に常に戦略の重点を置きたがります。確かに、縦深戦ではこれは重要です。しかし今回のような作戦当初の面圧戦では、むしろ機甲軍に突出されますと兵站が厄介です。ですから、事前の申し渡しで、兵站部隊の鉄路建設を直接援護する我が軍の侵攻序列を一番としたのですが、どうも侯爵はこれに文句を言いに来るようです」

 クリスが頷いた。

「あー、侯爵はとっとと先に行ってしまいたい訳ね」

「左様です姫君」

 二人のやり取りを見ていたククルが、大きく首を振った。

「年寄りは強引だもんね。砲兵団にも一人頑固なのが居てこまってんのよ」

 ベラネチェが首を傾げた。

「砲兵団で頑固者? あ、もしやエマ・レイア中将?」

「そうそう、あのばあさん!」

 ベラネチェが、えへんと咳払いして首を振った。

「上官の悪口は、ちょっといただけませんぞ」

「まあ聞かなかったことにしてよ。なんか忙しくなるみたいだから、あたしは退散するね」

「あら、もう帰るの? お茶入れようって思ってたのに」

 クリスが心底残念そうに言った。

「あんたこれから超多忙になるのよ、時間は有効に使ってね。でも、もし何かあったらさ、必ずあたしを呼びなよ、親友でしょ?」

 ククルが片目を瞑ると、クリスはニコッと微笑んだ。

「うん、わかった」

 ククルは片手を振って出ていった。


 ククルの姿が見えなくなって暫くしてからベラネチェがクリスに言った。

「なかなか豪快な女性でしたな」

「頼りになるのよ、ククル姉さん」

 クリスは、そう言うとウフッと笑った。

 後々、ベラネチェはこの言葉は骨の芯まで実感することになるのである。

 まあ、それはそれとして、開戦準備は間違いなく着々と進んでいるようだった。


 電信を使って連絡が入ってから十五分も経たぬうちに、司令部に老侯爵は現れた。

 まさに爆音を響かせ、単車で司令部の真ん前まで乗り付けてきた。

 本来単車は、偵察隊の伝令作業に使うもので、中将のような指揮官が乗る乗り物ではない。

 しかし、明らかに、シヴェール中将侯爵は、これを趣味的に乗り回していた。

 それがつまり、先ほどの爆音の正体なのだ。

 軍用単車は、隠密行動を優先させるため魔精気の爆発した後の排煙管に大きな消音機を取り付けている。これは、同時に内燃機の内部での魔法連鎖の速度を制限する作用がある。

 出口を細め音を絞っているわけだから、魔精気は本来の魔法効力の半分くらいしか力を出せないわけである。

 つまり、消音機を外せば単車は一気に速度が出せるようになる。

 これがシヴェール侯爵の単車の爆音の理由なのだ。

 速く走りたいがために、中将は単車の消音機を取り外しているわけだ。これはもう、軍用に適しているなどと逆立ちしても言える代物ではない。


「ほーっほ! 今日は魔精の吹けが最高じゃったわい。さすが王国最速の単車フェリンじゃ」

 単車のハンドルを叩きながらシヴェールが言った。

「えらい早いお着きで、シヴェール侯爵」

 ベラネチェ参謀長がゴーグルをかけたままの侯爵に、若干いびつな笑顔を向け言った。

「途中で郵便隊の速達便輸送車のゴロールと競争になってのう、軽くぶっちぎって来た。わはは」

 シヴェールはそう言うと、腹の底から愉快そうに笑った。

 とにかく頑丈そうな老人だった。背は低いのだが、がっしり体型で、白い口髭の横、右頬に大きな傷跡があった。

「まあ、とにかく中にどうぞ、姫司令様がお待ちです」

 ベラネチェは、シヴェールを司令官車に導いた。


 まだ出陣前であるから、クリスティーナは朝から軽装軍服のままだ。

 その軍服の長いスカートを優雅に翻し、クリスはシヴェールを特別製の客車に招き入れた。

「シヴェール侯爵、お疲れ様です。おかけになってね」

 クリスは、作戦図の広がった机の前に置かれた椅子を、自ら引いて老侯爵に勧めた。

「こりゃ末姫様、かたじけない」

 シヴェール侯爵は、片手をひょいと上げなら腰を下ろした。

「して侯爵、確認したい事とは?」

 ベラネチェが立ったまま老侯爵に訊いた。

「お前さん、あれだろう、儂が機甲軍を突出させろと言いに来たと思っておるだろう?」

 シヴェールが意地悪そうに微笑みながら言った。

「あれ、違うんですか?」

 シヴェール侯爵は、微笑んだまま首を横に振った。

「残念だが大外れだ」

 椅子に座ったシヴェールは、立ったままのクリスとベラネチェを交互に見上げ話し始めた。


「今朝のう、武闘王と朝食を一緒にした」

「あら、お父様と。何か今回の作戦の事、仰っておりました?」

 クリスは、そう言うと侯爵の向かい側の席に腰を下ろした。

「うむ、だからやって来たのだ」

 シヴェール侯爵は、そう言うとかけていたゴーグルを外し、それを卓上の地図の横に置いた。

 そして、すっと腕を伸ばし地図のある個所を指さした。

「平原の侵入段階で、敵の反撃は予想されない。平原の北部に広がるこの湿地帯が、どの兵科の進撃も阻むため、長城要塞から平原への防衛線は、この一帯に集中する」

 老侯爵が、地図の上の指を移動させながら言った。

「マリソル姫が総軍司令部に作らせた今回の作戦案も、この湿地帯への対応に苦労したようで、敵の打撃部隊が集中する個所にどこまで兵力を集めるかに力点が置かれた。その為の末姫殿の主軍への輸送部隊集中であり、機甲軍の出番は序盤は控えるようにという案にまとまったわけじゃ。まあ、これには儂も異存はない。だがな、今朝の食事中に武闘王があることを言い出したのだよ」

 侯爵は、そう言うと地図の一点を示した。

「もしバドラーの八軍に、一個戦車団を預け、この湿地の北限を先行させたら、面白いのではないかと、王は仰った」

 そう言うと、老侯爵はクリスに片目を瞑って見せた。

「つまりだ、そりゃ儂にこの案を末姫に託せ、ちゅうアレだったわけだな、ははは、王がタダで飯を食わせるなど珍しいとは思ったが、まあそういうからくりだった次第じゃ」


 一線を引いても、武闘王は戦略に造詣が深い。

 初陣の末娘を案じ、奇手を思いつき老侯爵に伝言を頼んだというわけだ。

 このあたり、父は娘姉妹にもそれぞれの立場やプライドがあることを理解している証拠だ。

 もし表だってクリスに王が指示を出したら、総軍司令官である長姉マリソルの面子が立たない。

 だが、第三者がこっそり助言し、クリスが作戦を変更したとなれば、娘たちの誰も傷つくものはない。

 しかし、そうは言ってもつくづく末娘に甘い父王であった。

 それはクリスも心得ているようであった。

 クリスは軽く肩をすくめこう言った。

「パパもお節介なものね。まあ、あたしじゃ逆立ちしても思いつかないだろう作戦だから。いいんですけどね。ところで、これってやはり妙案なのかしらベラネチェ参謀長?」

 クリスが、まだ立ったままのベラネチェに聞いた。


 ベラネチェは、改めてシヴェール侯爵が示した地図の一点を見て唸った。

「なるほど、ここには狭いが硬い地盤の街道が続く地域。戦車は通れる。しかし、街道部は細い回廊で湿地帯に外れれば戦車は動けない。たとえそれが軽戦車でも…」

 そこで一度言葉を切ったベラネチェは、すぐに武闘王の真意に気付いた。

「つまり、ここを戦車が進むことは敵も想定していない! 敵に気取られなければ、かなりの速度で機甲部隊を長城要塞の際まで接近させられる。姫様、この作戦は大いにありです」

 首を持ち上げたベラネチェが、さっと髪をかき上げながらクリスに言った。

 シヴェールが満足そうに頷いた。

「さすが武闘王、目の付け所が違うだろう。そもそもマリソル姫が赤ひげ軍をここに配置したのは、強力な火砲部隊が敵と遭遇せずに長城要塞攻略の支援位置に進軍させる狙いじゃったろうが、王はその上を行く電撃的な機甲部隊の移動を企図したわけじゃ。要塞の直前まで火砲を持ち込めるという意味でも、戦車をここに進めるのは奇手にして妙手。赤ひげ軍には、うちの軍から、第二独立重戦車大隊を派遣しようと思う、どうかねベラネチェ少将?」

 シヴェールに言われ、ベラネチェは頷きかけた。

 だが、そこにクリスの鋭い指摘が飛んできた。

「ここに戦車行かせたら、南の戦力足りなくならないかしら? それと、赤ひげさんの軍の補給には、鉄路隊は使えないわよね、街道自体に鉄路を敷いたら車が進めなくなりますもの。鉄路隊の支援なしで、重戦車は進撃速度を維持できる?」

 赤ひげは、第八軍司令のバドラーの愛称だが、自ら好みこの名を使うので、第八軍は通称赤ひげ軍の名で呼ばれているのだった。

 ベラネチェは、数秒思案してから髪をかき上げ答えた。

「まあ黒熊一個大隊なら問題ないでしょう。南部の作戦正面に青軍の新戦車が来たとしても、おそらく汎用戦車の赤鯱で対抗出来ると思いますし、シヴェール老侯爵の軍にも黒熊が一個大隊残ります。輸送は自動貨車団をかき集めましたら速度が大きく落ちることもないかと思われます」

 シヴェール侯爵が、ここで口を挟んだ。

「赤ひげの所には、装甲輸送車が極端に少ない。重装備輸送用の大型無蓋車ばかりじゃ。これまでは、魔導砲による制圧と短い突進の繰り返しが主戦術だったからな。高速の迂回戦はおそらくあ奴には初めてとなる。誰か知恵のある人間を遣わせた方がいいかもしれんな」

 ベラネチェが、ふむと呟く。

「大規模部隊の迅速機動に長けた人物ですな、ううむ、だったら我が軍のオスコシュ参謀少佐になるか」

「誰かね、それは?」

 シヴェールが訊ねる。

「西域での水都包囲戦のとき、カターナ半島に逃げた敵軍への追撃作戦を立案した俊英です。六軍指揮下の軽装竜騎兵連隊に赴任しております」

 シヴェールが。軽く口を開き「ほお」と漏らした。


 シヴェールが感嘆の声を上げたのも無理はなかった。

 ベラネチェが語ったのは、西域でヴェラネチェが立てた都市包囲作戦の序盤で、その包囲から抜け出てしまった敵軍が、堅牢な要塞のある半島へ逃げ込もうとするのを、自前の快速装甲部隊だけで追い越し待ち伏せし、一網打尽にしたという痛快なる勝利を挙げた作戦だったのだ。

 これは、包囲主軍に居たシヴェールも知っていたし、本国でも大いに話題になった。

「いいわね、最高の人選だと思うわ」

 クリスはそう言って頷いた。

 軍師による講義は、死ぬほど嫌いだったクリスであるが、別に作戦術が嫌いだったわけじゃない。

 クリスは、他人から押し付けられて物事を習うのが大嫌いなのだ。

 その代わり、自分が気になったことは徹底的に独自に調べ上げ吸収する。

 だから、この時の戦いにもクリスは興味を持ち、自分で調べ知っていた訳である。

 だがクリス、気になることはとことん調べるが、興味がないことは全く手を付けない。そのせいで、だれもが知っていて当然のはずの知識が抜けていたりするのだった。

 これこそが、姉たちが、そして武闘王の家臣たちがクリスの司令官就任に際し危惧した点でもある。

 アンニフリードの言った通り、クリスはある面では本当にお馬鹿なのだった。


 まあ、そんなクリスの身の上はともかく、この王から託された作戦を実施するのに、オスコシュ少佐は不可欠なのは間違いないようであった。

「ベラネチェ参謀長、呼んでみて、その人」

 クリスがすぐに指示を出した。

 ベラネチェが司令部者の表の扉を開き、当番士官のベテルギウスを呼んだ。

 若い士官学校出たての少尉は、話を聞くとすぐに外に駆けていった。軽装竜騎兵連隊の野営場所は、司令部地域のすぐとなりなのだ。

 そう、あのバカでかい列車砲をはさんだもう一本の線路の反対側が野営地なのだ。


 数分もかからずに、長身に赤いスカーフ、参謀の証であるそのスカーフをひらめかしたオシュコシュ少佐が現れた。

「お呼びでしょうか、ラジ・オスコシュであります」

「ああ、久しぶりだねオスコシュ少佐。すまないけど、別の部隊に出向して、指南役になってくれないかね」

 ベラネチェがそう言いながら、髪をかき上げ、オスコシュに椅子にかけるよう身振りで示した。

「原隊を離れろと言うことですか。いかなる理由で?」

 ベラネチェがオスコシュの顔を覗き込みながら、先ほどの話を掻い摘んで伝えた。

 まあ奇手であるから、オシュコシュの表情は明らかに驚きの色に満ちた。

 しかしすぐに、これが有効な作戦だと認識し深く頷いた。

「なるほど、赤ひげ将軍に高速移動戦術を指南しろと仰るわけですね」

「そういうこっちゃ」

 シヴェール侯爵が、にまっと笑って答えた。

「わかりました。赤ひげ中将は、かなりのへんこつと聞いておりますが、私で大丈夫ですか?」

 オスコシュは正直に不安を口にした。

「ううむ、まあ、確かに頑固で狭量でどケチだが、戦争はうまい。理にかなう話には、耳を貸すはずじゃ」

 ここで、それまで黙ってやり取りを聞いていたクリスが口を挟んできた。

「あたし、赤ひげさんの弱点知ってるの、それ使えるかも」

「は?」

 三人の軍人は、若干十六歳の総指揮官に視線を集めた。

「赤ひげさんは、掛札で大勝ちしてる時は、支離滅裂なお願いでも二つ返事で承諾するわよ」

 シヴェールが目を丸くした。

「なんと! あの財布に三重に紐巻くどケチが?」

「うん、これね、パパが赤ひげさんに大負けしてる時に、赤ひげさんにおねだりしたら、いいよって言って私にくれたのよ」

 そう言ってクリスティーナが見せたのは、軍服の上から首にかけられた大きな赤い宝石のネックレス。

「ああ! 今まで気付かなかった! どこかで見たことあると思ったんだ!」

 ベラネチェが絶叫した。

「す、すごい宝石ですね。なんですか、これ?」

 オスコシュが目を見張りながら訊いた。

「ルビアンの涙。先王がバドラー家に与えた国宝級の秘宝じゃ!」

 シヴェール侯爵が呆れたという顔で告げた。

「素敵でしょ? あたしは、欲しいと思ったものはね、とりあえずおねだりする主義なの」

 クリスはニコーッと笑う。

 まったく悪びれてない。

「ま、まさか、だから、武闘王にあの戦艦オストヴィンドもそんなのりで…」

 ベラネチェがため息を吐きながら呟いた。

「ね、だから、話がうまく進まなかったら、わざと賭けに負けてみてね」

 クリスがオスコシュに片目を瞑りながら言った。

「あ、あう、はい、姫君」


 数分後、シヴェールとベラネチェ、オスコシュの三人は司令官室から外へ出てきた。

「しかし驚いた、末姫が赤ひげ将軍の家宝を貰い受けていたとは」

 ベラネチェが首を振りながら言った。

「普通渡さんじゃろ、いくら相手が姫であっても」

 シヴェールも呆れた顔で肩をすくめる。

「しかも、あの赤ひげ吝嗇将軍からですよ! どれだけのおねだり上手なんですか?」

 ベラネチェの言葉を聞き、オスコシュが呟いた。

「これは一種の特殊能力ではないでしょうか?」

 三人が顔を見合わせた。

「特殊?」

「能力?」

 オスコシュが頷く。

「どうも末姫君は、苦もなく他人の物を手に入れてきている人生を歩んできている様に見受けられます。つまり、この能力を発揮して、それを成してきたのではと思いまして」


 クリスティーナ姫の幼少期の話は、王国家臣の間でもかなり有名なものが多い。

 姫の祖母、先王の后レニアーナが大事にしていた神馬ブロンジェを五歳の誕生日に貰い受け、その次の日には城内の馬場で乗りこなしていた、とか。そもそも神馬は人を背に乗せぬ定めの生き物なのだが。

 その他にも、先王崩御の三日前に、先王の大事にしていた白玉のゴブレットを譲り受け、幼年学校の遠足に持参したとか。

 とにかく物に執着する話は枚挙に尽きない。

「なるほど確かに。しかし、これは何かの役に立つ力なのか?」

 ベラネチェがそう言って首をかしげる。

「ううむ、ただ単に末姫君が得をしておるだけでないのかのう」

 シヴェールも首をかしげる。

「私は、いつかこの力が、王国に何かを齎すのではないか、そんな予感を覚えたのですが」

 オスコシュが二人とは違った表情で言った。

「何処からそういう発想が湧くのか、理解しがたい」

 ベラネチェが眉を寄せながらオスコシュに言った。

「まあ、あくまでも私の第六感です。お気になさらずに」

 若い少佐は、将軍たちにさっと頭を下げ引き下がった。

「明後日には出陣じゃで、儂はとっとと戻る。そんじゃ、あとはよろしくな」

 老侯爵はそう言うと、ゴーグルをきりっと嵌め、自分の愛車に跨った。

「帰り道、お気をつけて」

 ベラネチェがぺこっと頭を下げた。

 片手をひょいと上げると、シヴェールは単車の魔精気機関に火を入れ、一気に回転レバーを引き上げた。

 極限まで高出力化された軍用単車の改良型フェリンは、もの凄い勢いで飛び出していった。

「達者な老将軍さまですね」

 あっという間に遠ざかる単車を見送りオシュコシュが言った。

「うむ、あれはまだ十年は現役だろうな」

 単車の姿はそのも間に小さくなり、ブロロというあの爆音だけが風に乗っていつまでも聞こえてきていた。

 作戦開始までもうあまり時間は残っていない。オシュコシュは大急ぎで赤ひげの元に向かわねばならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る