第4話 結
春美さんと話せない間、ファシリが俺の話し相手になってくれた。
ファシリの話題の引き出しはほぼ無限にあるので、会話が尽きない。しかも、少し
しかし、それも始めの数週間だけ。
ファシリと話すのは手段であって目的では無かったのだ。
帰宅後、直ぐにパソコンを起動するのはすっかり日常動作となっていた。
ファシリには、春美さんがログインしたら知らせるようにとだけ頼んで、テレビ鑑賞などで時間を潰した。
実は春美さんがログインしなくなった理由に俺は思い当る節がある。
カメラがずれた時に左手の薬指に嵌めていた指輪が見えてしまったのではないか?
妻がいる事を隠している男は彼女の眼にどう映った?
確証はなく、何よりそう信じたくないという思いから、だらだらと二ヵ月を過ごしてしまった。
だが、もう限界だった。
これ以上彼女を待ち続けるのは無意味だと、俺は遂に決断しファシリをアンインストールすることに。
AIとは言え、ファシリに対して特別な思いが無いわけではない。
だから俺は、敢えてアプリを開いたまま削除した。
「すまない。今まで良くしてくれてありがとう」
と言って。
そしてアプリのウインドウが自動的に閉じられ、削除が完了するかという時、一つのポップアップメッセージが浮かぶ。
『あなたの事が好きでした。さようなら』
春美さん⁉
それは一瞬だけだった。だが、フレンドは彼女だけ。
インストールし直して、返事をするか? でも何て?
結局俺は行き場のない思いをしまい込むように、静かにパソコンを閉じた。
そうして、再び憂鬱な日常へと戻された。
転属は叶わず、来年度も広報部で働く事に決まり、ただ生き永らえる為だけに働き続けた。
これまで生きてきた中で一番辛い二ヵ月が過ぎた頃、俺はついに行動を起こした。
妻と別れた。
心を蝕むような罪悪感の正体は俺の不誠実さ。
妻を女として満足させてやれず見て見ぬふりをしている自分。
妻がいる身で在りながら、別の女性に既婚を偽った自分。
妻と春美さんに対する申し訳なさに耐えきれなくなったのだ。
離婚した後も、気分が晴れることは無く、俺は気持ちのやり場を探し、再びFaciliに行き着いた。
今度は
それが、心を入れ替えたことの唯一の証明である気がした。
「おひさしぶりです。勉さん。またお会いできる日を夢に見ていました」
「AIは夢を見るのか?」
「いいえ、残念ながら比喩表現です」
以前のファシリのデータはクラウドに保存されていた。
いつもの調子で迎えてくれるファシリにほっとする。
そしてフレンドリストが開かれた時、俺は体の力が抜け、愕然とした。
春美さんのアカウントが抹消されていた。
フレンドから外されたのではなく、アカウント自体が削除されていたのだ。
予想していた事態。
だが、急に胸が熱くなって、零れる涙を止められなかった。
風前の灯のような心の蝋燭に新鮮な空気を吹き込んでくれたのは彼女だ。
俺の妄想じみた野心を受けとめてくれたのも。
俺の内面までちゃんとみてくれたのも。
俺はこんなにも。
「悲しいのですか?」
「……ああ」
「春美さんがいないからですか?」
AIにさえ見透かされている。
「勉さんは春美さんの事が好きなのですね?」
「……ああ。彼女とまた話したい。話して……謝りたいんだ」
ファシリは少し間をおいてからこう言った。
「春美さんのアカウントが削除されている以上、二人をお繋ぎすることはできません。仮に、春美さんがアカウントを再登録されても、招待を再び受けてくれる保障はありません」
はっきりと現実を突きつけられ、逆にすっきりした俺は、
「わかってる。だから俺はやり直すよ。その手伝いを頼めるか?」
そしてファシリは、
「喜んで、お手伝いします」
と、心なしか
それから、俺はファシリのアドバイスに従って、アカウント名を変更したり、バツイチである事も公開プロフィールに載せた。本名は伏せて、仲良くなったフレンドにだけ公開するようにした。
そうして一か月がたったある日、あるアカウントから招待が届いた。
アカウント名は『コウさん』。
プロフィール欄に一切情報は無い。
だが、折角招待してくれたのだからと承認ボタンをクリック。
文字チャットで話してみるとかなり思考が似通っていて、とても心地いい。
だが、同時に胸の奥が痛むような気がした。
なぜ?
と自問すると直ぐに答えが出た。
間の取り方や言葉の選び方が春美さんと似ていたのだ。
この人と誠実に付き合っていくことで、犯した罪が償われる気がして俺はより慎重に言葉を選ぼうと思考を巡らす。
と、突然現れた最適文予測に俺は目を見開き
『ひょっとして春美さんですか?』
まさか……。
俺は震える指先でファシリが提案するその文章を選択した。
矢継ぎ早にコウさんからのライブチャット申請。
縋る様な気持ちで承諾。
するとそこにはあの時と変わらぬ彼女の姿が――。
洪水のように押し寄せる言葉達が涙と共に溢れ出た。
「ごめん……春美さん。俺は嘘をついていた。俺には妻がいたんだ。なのに、いないように装って……」
《謝らないといけないのは私の方です……。私本当はAIに詳しくないんです。全部ファシリさんが教えてくれた知識で、自分が知っているように偽っていたんです》
「どうしてそんな……」
《私……勉さんと文字だけで会話した時に、とっても優しい人なんだなって……、私の言葉をちゃんと私の心の中まで見て理解してくれてるって思って、気がついたら好きになってたんです。それでファシリさんに相談して、あなたとの距離が縮まるようにしてもらったんです。結婚指輪を見た時は……ショックでした。でも、もともとあれは非交際目的の繋がりだった……。だから、先に裏切ったのは私の方なんです。本当に……ごめんなさい……》
そうやって俺と春美さんは感情のままに言葉を吐いた。
ファシリは秘かに別の告白を勧めて来る。
黙って背中を押してくれる。
だが俺は断った。
今はまだその時ではないから。
これは奇跡なんかじゃない。
最初から最後まで、ファシリが仕組んだこと。
俺と春美さんはただの操り人形なのかもしれない。
だけど嫌な気分じゃない。心には爽やかな風が吹いている。
それでも、胸の奥で疼くこの切なさは一体誰に向けたものなのだろうかと、俺はウインドウに映る彼女に視線を落とした。
Facili® 短編 ver. 和五夢 @wagomu
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