第3話 転


 年が明け、Faciliの使い方にもずいぶん慣れた後も、俺はなぜかハルハルさん以外に友達を増やそうとは思わなかった。


 

 ファシリは本当に有能だ。

 相手がどんな話題を振ってきても、豊富なデータベースと言い回しで会話が成立してしまう。

 ジェネレーションギャップさえもファシリにかかれば大した障害にはならない程だ。


 しかし、だからこそ逆にこう思えてならない。


 この言葉は本当にハルハルさんのものなのか?



 そんな気持ちを見通したかのように、ハルハルさんからある提案が来た。


『つむさんがよろしければ、ライブチャットで話しませんか?』


 俺は少し戸惑った。

 今、会話が問題なく成立しているのはゆっくり時間をかけて、文章を吟味できているから。


 だが、俺は直ぐに了承の意を返した。

 まだ相手の顔も本名も知らないが、今知り合ったばかりじゃない。

 ハルハルさんとなら上手く話せるはず。


 画面の上部に備え付けのカメラが起動。

 モニターに向こう側が映し出された。


《あっ。はっ、はじめまし……て……》

 

 透明感のある声。

 さっと顔を背けながら、消え入りそうな言葉を零すのは、カメラ越しでも艶やかと思えるほどの長い黒髪。一瞬だけ見えた相貌は美人と呼んでも差し支えない、恥じらって顔を伏せているのが勿体ないほど。


「はじめまして……って、合ってるのかな? 語彙ごい的に」


 と、ついくだらない事を突っ込んでしまう。


《間違っている……かも、しれませんね……はは……》


 なんだか彼女が無理をしている様な気がして、


「辛かったらライブを止めてもいいですよ。文字チャットの方が話しやすいなら俺はそっちでも……」


《いえ、このまま続けさせてください》


 彼女はきっぱりとそう言って、正面を向いた。

 画面には彼女の顔と胸元辺りまでが映し出されている。


 きっと向こう側にも同じように俺の顔が映っているのだろう。

 

 そう意識した瞬間にどんな表情をしていいいか分からなくなって硬直。


 しかし、

 

《つむさんは……私が想像した通りの人でした》


 その一言でふっと余計な力が抜けた。


「俺も……です。ハルハルさんは俺がどんな風だと想像してました?」


《え……と。何ていうか、とにかく玄人くろうと感がすごくて、少し厳格げんかくな感じで……、でも瞳の奥には子供みたいに無邪気な光を灯してて……ってすいません! 失礼ですよね?》


 俺が小さく笑んで首を横に振ると、ほっとした様子で、


《つむさんの方は私をどんな風に想像してましたか?》


「あー、大人しくて可憐かれん……、普段はあまりしゃべらないけど、しっかりした考えをちゃんと自分の中に持っている……みたいな感じかな」


「……嬉しいです」


 不意に魅せた彼女の笑顔が眩しくて俺はつい目線を逸らしてしまった。



 しばし沈黙があって、彼女はある事を提案。


《つむさんさえ良ければ本名で呼び合いませんか? 文字チャットの時は違和感なく話せましたけど、こうして面と向かって話すとなんか変な感じがしませんか?》


「確かに。えーと、俺の本名は真鍋まなべつとむだから、勉……さんかな」


《私は向島むかいじま春美はるみです。春美って呼んでくださって大丈夫です》


「うーん、いきなり呼び捨てはハードル高いから、春美ちゃん……って言うのも何かしっくりこないから、春美さん……でいいかな?」


《ごめんなさい。やっぱり、いきなり呼び捨てはダメですよね? ファシリさんが勧めてくれたからつい調子に乗ってしまいました。あ……人の所為にしてしまいました……。二人ともすいません》


 AIにも律儀りちぎに謝る春美さんを見て、幾分心が温かくなるのを感じた。


 そういえば、文字チャットモードの時と違ってファシリは一言も話さない。

 ライブチャットの会話を阻害しないように、無音のサポートという訳か。


《勉さんはやっぱり話しやすいです。ファシリさんの言う通り勇気を出して良かったです》


 ライブチャットはファシリの提案だったのか。


 とAIに感謝の念を抱きかけた時、アクシデントが起こった。


《あ……勉さん、カメラの位置がずれて……》


「えっ、本当? こっちからは見えないんだけど。ファシリ、カメラの位置を戻せるか?」


 しかし、応答はない。


 そこまでの機能はないか、と手動でプロパティを開き初期設定に戻してみる。


「どう? 戻った?」


 問い掛けに直ぐに応答はなく、彼女はなぜか無言でうつむいていた。


 はっとして時計を確認すると、0時を過ぎている。


「ごめん。もうだいぶ遅い時間になってたね。今日はここまでにしておこうか」


 春美さんは《……はい》と小さく頷くとすぐに退出した。


 よっぽど眠かったのだろう。

 


 俺はこの時そう思っていたが、それから二ヵ月、彼女がログインする事は無かった。

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